最初の出会いは、大学2年の頃だったと記憶している。当時私は藤沢で午前中の語学 に出たあと一路日吉のグランドへと向かうという毎日を過ごしていた。できるだけ早 くグランドへ行こうとすると、昼飯は電車の中でとらねばならない。皿にのった昼飯 を食うなどということは、そのころの私には決して許されぬ贅沢であった。
必然的に昼飯はいつもカロリーメイトや菓子パンやおにぎりをジュースで流し込むこ とになる。そんなときでもそこはスポーツマン。サラダパンを食っては「これで繊維 は大丈夫」、ミルクを飲んでは「カルシウムはバッチリだな」と自分の健康に気を使 ったりする。いやなことがあったりすると、「親父、いっぱいくれぃ」というのりで 合成着色料入りのパンをむしゃむしゃと喰らうときもあった。
こんな生活が続くわけだから、当時の菓子パン状勢にも一家言持つようになった。菓 子パンの世界というのは、特にそのネーミングにおいて無法地帯の様を呈している。 有り体に言えばどっかの親父が小便でもしながら考えた名前がそのまま世に出てしま った、という類のものが石ころのように転がっている世界なのである。中でもすごか ったのが『「黒糖ロシア」 沖縄産黒糖使用 カリフォルニア産小麦たっぷり』であ る。これは一応「黒糖ロシア」が正式名称で、沖縄産黒糖やカリフォルニア産小麦は あおり文句なわけだが、これを食べるときいったいどこの国に思いを馳せればよいの だろうか。私は一応「メンソーレ! メンソーレ!」と連呼しながらコサックダンス を踊る金髪ピチピチカリフォルニア娘を想像した。ひどく大味だったのを覚えている。
そんな抱きしめたくなるようなささやかな青春時代を過ごしていた頃、私は頭脳パン と出会った。前述の通りパンを選ぶ際に体に気遣うことはあっても頭に気遣うことは なかった私は、先人の英知の偉大さと自分の思いのいたらなさに少なからずショック を受けた。
出会ったその日から私は魅せられた。「食べると頭が良くなる」という単純にして胡 散臭いコンセプト、なにかぼくとつとして、「効き目はともかく、この人達はいい人 だぞ」と思わせるパッケージ(図-1参照)、何よりこの頭脳パン教授(命名 藤岡) は私の心を捉えて離さなかった。ともかく食った、それこそ学校に行く日は毎日食っ た。食うだけでは自分の頭脳パンへの愛情が示しきれないと思って、袋は全部とって おいて肌身はなさず持ち歩いた。ちなみに、このことは時期的にも初対面の第1印象 から脱却しかけていた友人達にとって、私という人間を正確に捉えるための良い助け になったようだ。

そんな私と頭脳パン教授の幸せな日々も長くは続かなかった。その発端となったと思 われるのは『慶應塾生新聞』である。以下に示すように頭脳パンの紹介記事があるコ ラムとして載ったのである。私ははじめ同好の徒が他にもいること、知りたかったこ とに対する答えを得られたことにうれしさを覚えた。しかし、その記事が出た直後に 、頭脳パンが売り切れるという有りうべからざることが発生したのである。もともと 頭脳パンの数は少ない。棚の隅っこの方でせいぜい2個ぐらいが静かなほほえみをた ずさえているぐらいが常であった。これは何かの間違いに違いない、たまたま売り切 れただけだろう、念のためちゃんと仕入れたことを店員に確認してその日は引き下が った。しかしそんな状況が2・3日続くと、見えない敵の出現であることを認めざる を得なくなったのである。
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頭脳パンを調べてみよう 〜前期試験に秘密兵器?〜 |
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「頭脳パン」なにそれ? ほとんどの塾生が知らないのは当然だ。このパンは"幻のパン"と言われ(ホントかよ)慶應では三田キャンパスの生協などで販売されている。 |
私は負けるわけにいかなかった。どうせ奴等は新聞を見て「おっ、これが頭脳パンかぁ、こりゃ買うしかないでしょ」、「よっしゃ、これで来週のテストはバッチリだぜ」などといいながら食うに違いない。袋だってすぐに捨ててしまうだろう。もしや半分残すやも知れぬ。何よりも皿に載った昼飯を食うことのできる奴等に私は絶対に負けるわけにはいかなかったのである。 見えない敵へのはた迷惑なイメージをまっしぐらに膨らませながら、私と彼等との戦 いが始まった。まずは走った。授業が終わると同時に走った。それでもだめと分かる と2時間の授業のうちの5分の休みの間に買いに行った。挙げ句の果てには我らのク ラスの担任であるMs.Barterを"Excuse me teacher,but can I go to toilet?" とだまくらかしたことも一回あった。
はじめから私の勝ちは見えていた。何しろ頭脳パンへの想いが違うのである。しかし そうまでして再び手に入れた教授との日々も終わりを告げることになる。3年への進 級すなわち語学の終了である。午前中の授業がなくなり、今や皿にのった昼飯を食え る身分になった私にとって頭脳パンは既に思い出の中の住人になっていた。
人混みに流されるままに卒業してしまった私は、勤務先において再び教 授と出会うことになる。今回は皿にのった昼飯を食う時間がないほど忙しい社会人と して。しかし、頭脳パンは既に私の愛した頭脳パンではなかった(図-2参照)。彼 もまた、人混み流されていたのだ。時の流れとは無関係に見えたその佇まいは消え失 せ、時代に迎合した安っぽい小太りなじいさんが薄ら笑いを浮かべているだけであっ
た。カルシウムが加わったというそのパンは唱い文句通り食べやすくはなったのかも しれない。しかし私の青春の終わりを告げる味にしては何とも寂しく薄っぺらい味で あった。
はたして変わったのはパンだけなのか、私に再び見えない敵と戦う力は残っているの だろうか。