消火器を使いやすく
環境情報学部 4年 石原 和音
学籍番号 70050607
t00069ki@sfc.keio.ac.jp
2006年4月30日
消火器は使いにくい。幸いなことに、私は今まで、消火器を実際に使ったことがない。しかし、ここではあえて、消火器を使ったことのない私が、消火器は使いにくいと断言したい。このレポートでは、まず消火器が使いにくいと考えられる理由を述べ、次に、その現実的な解決策を示す。
消火器が使いにくい理由は、総じてその使用の手順が感覚的でないこと、それ故に説明書きを読まないと使用できないことにある。以下はその消火器の説明書きの写真である。
まず第一に、この説明書きは、消火器を使用する場所にない、ということである。消火器の設置場所の目の前で火災が起こることは稀であろうから、火災が起きた場合、火災現場まで消火器を持ち運ばなくてはならない。持ち運ばなくてはならないが、しかし、持ち運んだ先には説明書きがない、というジレンマが発生する。では、先に説明書きを読んで覚えてから、消火に向かえと言うのだろうか。緊急の場合に、そのような人間の短期記憶に頼ることはあまり感心しない。
第二に、火災発生時には時間的余裕がない。防火は初期消火が命である。特にこのような小型の消火器は、初期消火のためにこの世に存在すると言っても過言ではない。刻一刻と広がる火の手を前に、この説明書きを読めるのだろうか。しかも、緊急の場合は人間の判断力は低下する。そのような状況で冷静にこの説明書きを読めるとは思えない。
第三に、視界の問題がある。周囲に煙が充満している場合、光は煙にさえぎられ、煙が目にしみ、細かい説明書きを読むことは困難となるだろう。また、電気系統にも異常が及んでいれば、照明が消えて暗くなっていることも考えられる。
第四に、言語の問題がある。日本語や英語が読めない人はこの説明書きを読めない。日本語か英語を理解しない人にとってこの看板は、分かるような分からないような絵が描いてあるだけの謎のプレートである。国際化の進む昨今において、これは我々の感じる以上の問題であろう。
では、どのようにすれば説明書きなどを必要としない消火器になるだろうか。
この消火器の使用に必要な手順は3つである。1.安全ピンを抜く、2.ホースを対象に向ける、3.レバーを握る。たったこれだけの操作ではあるが、安全ピンに気づかなかったり、ホースを火に向ける前にレバーを握ってしまったりしてパニックになるであろうことは容易に想像が付く。
私の提案はこうである。その3つの手順をあらわす数字を、操作対象に大きく印字すればどうか。数字(インド・アラビア数字)ならば、かなり世界的に広く認知されている。日本語・英語を母国語としない人たちにも理解できる。細かい説明を読まなくとも、小さな数字の順に操作すればよいということは直感的に分かる。
下図のように、安全ピンに大きく「1」と表示し、ホースの先に「2」と書いた大きなラベルをつけ、レバーにも「3」と大きく書いておけばよい。周囲が暗い場合にも読みやすいよう、蓄光インクで印字すれば尚良い。これが私の提案である。至極単純な提案と思われるかも知れない。しかし、この方法ならば、製造コストは上がらない。現行の消火器製造ラインをそのまま利用でき、また、既設の消火器にもシール状のラベルを貼るだけで適用することができる。現実性のあるとても有効な方法ではないかと考える。
もちろん、他の改善策も検討した。そのうち2つを記し、それぞれの問題点を述べる。
1つは、単なる安全ピンだったものを、半透明の安全カバー+安全ピンに変更する方法である。カバーで消火器全体を覆っておき、安全カバーと安全ピンを繋いでおくことで、カバーを取ると同時に安全ピンが抜けるようにする。この方法では、消火器が使用するにはカバーを取らなくてはならない、ということが誰の目にも一目瞭然であり、相当分かりやすくなると思われる。しかし、この方法では、製造コストが大きく上昇してしまうであろうことと、カバーを取るだけで安全ピンが取れてしまうので、メンテナンスや運搬などの際、意図せずに消火液を噴出させてしてしまうリスクがあることが問題であった。
もう一つ検討した改善策は、「銃」のメタファーにならって消火器を設計する方法である。銃の「1.ロックをはずし 2.狙って 3.引き金を引く」という操作に対応させ、消火器を設計する。しかしこの方法も、製造方法が大きく変わり、製造コストの大幅な上昇を招くことが予想され、現実的方策ではない。
私が今回特に重視したのは、実現可能性である。どんなに良いデザインも、製造や普及などにかかるコストを考慮しなくては、ただのコンセプチュアルアートである。「使いやすい」ものは、使われてこそ意味がある。我々はアートではなく、デザインをしたいのだ。インダストリアルなデザインの目的は、使われることにある。
私が、最終的にこのデザインを選んだのは、使いやすさと現実可能性のバランスにおいて特に秀でていると考えたからである。これを単なるレポートとして終わらせることなく、社会に働きかけ、僅かながらもイノベーションを起こしたいと考えている。具体的には、ウェブなどでの呼びかけを行うのと並行し、シールを実際に作り、配布してみたい。
本当に分かりやすいものは、その「分かりやすさ」について語られたりしない。 - kz
我々が「マックは使いやすいよ」「この携帯は分かりやすいね」「このスイッチだと一目瞭然だね!」などと嬉々として話をするのは・・・・そのパーソナルコンピュータや携帯電話やスイッチなどとよばれるものが、本当は非常に分かりにくいものだからである。同じ類に属するものが非常に分かりにくいからこそ、相対的に分かりやすいことが話題になりうるのだ。そして、そんな、『相対的に分かりやすい』なんてものは、おおよそ、やっぱり使いにくい。
「俺の腕はなかなか使いやすい」とか「この空気は吸いやすいね・・・とても俺の肺にマッチするよ」とか「宇宙船地球号の重力はちょうど良いね」なんて話は、我々はしない。・・・あまりに当たり前で、話し相手になってくれる人がいない。それどころか、嬉々としてそんな話をしていたら、精神の健康を疑われるだろう。
しかし、昨今、Man Machine Interfaceから更に進んでBrain Machine Interfaceというものが研究されはじめていると聞く。Brain Machine Interfaceとは、脳を直接、機械に繋ぎ、体の一部として機械を動かす - つまりいわゆるサイボーグになる – ためのInterfaceである。それが実現する未来には、本当に「俺の腕はどうも使いにくい・・・そろそろこっちも義手にしようか」なんて話がされるようになるのかもしれない。インターフェースの設計も、そこまで考えなくてはならない時代が来つつある。おそろしくもあるが、楽しみである。