その前にまず、長良川河口堰問題の概要を説明しますね。
長良川は岐阜県美濃地方の大日ヶ岳に源を発し、166km流れて伊勢湾に注ぎます。
上流には、水に浮かんでいるような美しい城下町の八幡町があります。 郡上八幡と愛称されるこの町は、昔から人々が水と共に生きてきた。 町のいたる所に清流が流れているたいへん美しい川です。 そして、長良川は多くの川の職業漁師を養っています。 ダムのない川は、多くの恵みを人々に与えてくれます。
日本には行政が管理している川が約3万本あります。そのうち大きな川で 私達が自慢できる川といえば、釧路川、四万十川、そして長良川です。 四万十川や釧路川は流域に人があまり多く住まなかったために開発が遅れ 現在でもきれいな川です。 現在、本州で、本流にダムの無い大きな川は長良川だけになってしまいました。 長良川は日本の真ん中を流れ、その166kmの流域のうち約150kmまで田畑や住宅が たくさん作られている川です。 そのような川でも本流に大きなダムが造られなかったから、 今も子供達が泳いだり、水を飲んだり、1300年の伝統の鵜飼がいきている川なのです。
このころは、長良川は日本中どこにでもあるような地方の普通の川でした。 しかし、長良川以外の川にはどんどんダムや河口堰が造られていきました。
そして、水需要が無いのに、1988年7月に強引に着工され、 またそれと同時に第2次反対運動もはじまりました。 工事は1995年3月末に終了しました。
総事業費は約1,800億円とも2,000億円とも言われています。
たとえ塩害が発生したとしても、もっと安上がりの防止方法や対策がいくらでもある。
河口堰は常時海抜1.3mで水を貯めておくことになる。今ですら長島町には長良川 から20ヶ所近く漏水があるのに、地上から3Mの高さに水が貯められる恐怖を考えた ことがあるのだろうか?
河口堰は横断構造物であるために、洪水や高潮、津波などの際に障害物となり、 特に地元の人たちにとっては危険極まりない。
伊勢湾台風時に襲った高潮は、河口堰のピアとは比較にならない程細い伊勢大橋 のピアにぶつかり、行き場を失い長島町の堤防を決壊させ、死者381人(長島町だけで) を出す惨事となった。 高潮が海から押し寄せてきて、 そして河口堰ではね返えされた海水が長島町と桑名市を襲う可能性だってある。
洪水時には、川幅が堰柱のため10¥%減少しているので、スムーズに流れない。
そして、河口堰の所で両岸に溢れでることも考えられる。
長島町より上流の、浚渫を推進している
海津町でさえ、今よりも水位が70cm上昇する。
・利根川や芦田川の例との比較。
・長島の人々の声。
・実際の長島の人々の動き‥お任せ民主主義。
昨年(1993年)3月、国土庁が「木曽川水系水資源開発基本計画」を全面的に 見直した。 (それまでの水資源開発計画は今から20年以上も前につくられたものである。)
水量について言うと、1985年を目標年次に置き、1985年の予想水量を毎秒132tとした。 そして、長良川河口堰を含む6つのダムや河口堰を計画した。
1993年の新しい計画では、目標年次を2010年に設定し、その時の水量を毎秒83tとした。
水の使用量というのはどれだけの人が水を使うか(給水人口)とか、 1人あたりどれくらい使うかだろうか? といった数値を過去の実績や適正な将来 予測に基づいて算定しなければならないのだが、実はそうなっていないことに 大きな問題がある。 1975年〜1990年の15年間では、水道用水が毎秒9tの増加。 逆に工業用水は8t減少している。(合計毎秒1tの増加。totalで10t台前半である。) ところが1985年〜2000年までの計画では、水道用水が更に24t増加、 工業用水が22t増加、合計46tもの増加、となっている。 これほど本当に増えるのだろうか? 多くの研究者が疑問視している。
長良川河口堰については、建設の発想から根本的に疑ってかかったほうがよい。 治水はもちろん大事だが、治山という発想が皆無だ。 治山治水を行なってからこそ、はじめて水を治めることができるのだ。 浚渫をするとこよりも、山林を守ることが先決だ。治山治水であるべきでだ。
だから、長良川河口堰建設に関しては、自然保護と治水との対立という単純な 図式で語ってはいけない。 少なくとも長島町に関しては、反治水ですらある。
しかし、下流部で破堤した1976年の安八水害では、 数百年に一度の大洪水にもかかわらず、
もし浚渫の必要性があるのなら、さっさと浚渫をすべきだった はずである。そうすれば1976年の安八水害も起こらなかったはずだ。しかし、 彼らは浚渫をしようとしない。それはなぜなら‥‥‥‥
計画当初は、中部工業地帯の工場の冷却水の需要がこれから増すだろうというこ とで河口堰計画が持ち上がった。つまり利水目的の河口堰建設だったのである。
「治水」という言葉を持ち出してきたのは、 1959年の伊勢湾台風による死者5,000人に及ぶ被害に始まり60年,61年の3年 連続の水害により人々の心に刻まれた水害に対する恐ろしさを利用して、 河口堰の必要性を受け入れさせるためだった。
伊勢湾台風の死者の大部分は伊勢湾に発生した平均潮位を3.9mも超える高潮の 名古屋南部を中心とするゼロメートル地帯への侵入による犠牲者だった。
本州に残されたたった1本の天然河川(本流にダムがない川)が、なくなってしまう。
更に流れが止められるため、水質が悪化する。
河口堰は川と海を二分する。そして重要な汽水域を破壊し、ヤマトシジミが全滅 する。
日本中の河川にある魚道は、ほとんど役に立たないものである。強い魚は最新の 魚道なら通るかもしれないが、鮎やサツキマスなどのデリケートな魚はまず通らな い。すると当然、長良川から鮎やサツキマスがいなくなる。天然のサツキマスが産 卵するのは、地球上では長良川だけである。
現在の工事にともない、周辺の生物の生息場所が破壊されている。
これほど無駄、危険、生態の悪化が明らかな工事が何故強行されるのか。 建設省の論理は全て、打ち崩されているにもかかわらず、 彼らは自分達の利権とメンツのために非を認めようと決してしない。
そして、このような嘘とコジツケで日本中の川に手をつけてきた。
日本は海山川3点セットで壊している。
長良川流域の人々は川と共に暮らしており、自然も数多く残されている。 今、その長良川が殺されようとしているのである。
最後に、故開高健氏の言葉を紹介する。
『最後の川一本守れんで、何が日本人だ! 』
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