米国における電子情報自由法の成立と利用
−情報技術による市民のエンパワーメント−
慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科
後期博士課程
土屋 大洋
1 はじめに−第三段階の行政情報化−
本稿で取り上げるのは、米国で1996年12月に成立した「電子情報自由法改正(Electronic Freedom of Information Amendments of 1996)」である。これは、政府情報の請求者が電子媒体で情報を受け取ることを認めると同時に、政府機関が持つ電子データも情報公開の対象となるということを確認するものである。本稿では、米国における電子情報自由法の成立と実際の利用のされ方を検討することによって、情報技術が政府と市民の間のパワー・バランスを変える力を持っているということ、そして、インターネット時代、マルチメディア時代の情報公開法として、電子情報自由法の枠組が一つのモデルとなりうることを示すことにしたい。
ここでは、行政の情報化を三つの段階で定義する。情報化には、組織をフラットにすることで意思疎通を促す、より迅速な決定を促す、というように、いろいろな側面があるが、ここでは、行政事務に伴う情報の電子化という側面から考える。そうすると、「第一段階の行政情報化」とは、コンピューター導入、情報・記録の電子媒体での保存・蓄積、ネットワーク化に伴う情報の共有などの、行政内部での情報化である。行政機関へのコンピューターの導入台数は1987年度以降急速に伸びており、1990年代に至ってもその勢いは止まっていない。また、1997年1月からは霞が関WANが稼働し、省庁間の電子情報の共有、データベースの相互接続が始まっている。
行政機関内部だけではなく、外部の国民とのコミュニケーションの改善に情報技術を応用することが、「第二段階の行政情報化」である。例えば、行政から国民への情報の流れてとして、CD-ROMでの白書の出版や、パソコン通信、インターネットによる情報提供・広報活動がある。また、国民から行政への情報の流れとして、電子メールによる意見送付や電子ファイルによる許認可申請や各種書類提出が考えられる。
そして、情報「提供」だけでなく、情報「公開」をも電子的な媒体を介して行うのが、「第三段階の行政情報化」である。情報公開制度は、国民の知る権利に基づき、国民が行政機関に情報の公開を求め、これに応ずることを行政機関の義務とする制度であり、行政の自主的な情報提供・広報活動とは一線を画するものである。情報技術が広く普及する以前は、こうした情報公開は紙媒体の文書で行われるのが当然であった。しかし、第一段階、第二段階の行政情報化が進んできた結果、電子媒体の情報・記録も情報公開の対象とし、かつ、電子的な媒体・手段での公開を認めるようになってきたのである。米国で1996年に成立した「電子情報自由法改正(Electronic Freedom of Information Amendments、以下EFOIA)」は、第三段階の行政情報化の先例であるということができる。
以下、第2章では、各国の情報公開制度を概観するとともに、米国の情報公開法である「情報自由法(Freedom of Information Act、以下FOIA)」の考え方について見ていく。第3章では、FOIAを改正するEFOIAとはどのようなものかを論点を上げて検討する。第4章では、実際にEFOIAがどのように利用されているかを、連邦調査局(FBI)のホームページを例に見ていく。そして第5章において、市民のエンパワーメントとしてのEFOIAの意義を指摘するとともに、EFOIAの課題、そして日本の情報公開制度へのインプリケーションについて考察したい。
2 1966年情報自由法(FOIA)
2.1 各国の情報公開制度
そもそも最も早く情報公開法を制定したのは北欧のスウェーデンであり、18世紀までさかのぼることができる。つまり1766年の「著述と出版の自由に関する1766年12月2日の憲法法律」と呼ばれるものである。これは検閲制を廃止するとともに公文書の印刷配布の自由を宣言、合わせて公文書の公開を導入するものであった。スウェーデンでは王政復古の中で一時的に公文書公開制度が後退することもあったが、今日まで様々な修正が加えられ、スウェーデンの統治機構の中で不可欠の要素とされている。
しかし、その後、第二次世界大戦後まで各国の情報公開制度の整備は進まない。戦後になって、フィンランドが、隣国スウェーデンの影響を受け、1951年に公文書公開法を成立させた。その他、デンマークでは1970年に公文書公開法が成立し、オランダでは1978年に「行政情報の公開と取得の権利に関する法律」が成立、1980年に施行された。フランスでは「行政と公衆の関係改善に関する1978年7月17日の法律」が成立、この中に公文書公開制度が盛り込まれた。カナダ、オーストラリアでは1982年に情報公開法が成立している。
先進国の中で情報公開法を持っていないのは、日本の他、ドイツとイギリスである。ドイツでは、連邦の情報公開法は制定されていない。しかし、報道機関には官公庁に対する情報請求権が認められている。イギリスでは1911年に公務秘密保護法で公務員の守秘義務を規定し、政府の情報は王室のものであって、正当な手続きなしに公開されないとされていた。1989年に、この法律は改正され、その後、メージャー政権が「開かれた政府に関する白書」を提出するなど、情報公開に向けた動きが見られる。また1958年に成立した「公文書法(Public Records Acts)」により一部の公文書は公開され、公文書館(Public Record Office)で閲覧できるようになっている。
アジア諸国では、情報公開法を整備している国はいまだ韓国だけである。韓国では1990年代に入り情報公開に対する気運が高まり、金泳三大統領候補が1992年の大統領選挙の際、情報公開法制定を公約として当選し、当選後「行政情報公開運営指針」を出した。これをたたき台にして1996年に「公共機関の情報公開に関する法律」が成立した。しかし、他のアジア諸国では情報公開法制定へ向けた動きは一般的に緩慢である。
2.2 FOIAの成立
米国では、第二次世界大戦後、政府の秘密主義に対する不満がジャーナリストの間で高まった。そこで1950年に、米国新聞編集者協会が「情報の自由に関する委員会」を設置、この委託を受けたニューヨーク・ヘラルド・トリビューンの顧問弁護士であったハロルド・クロスが1953年、『国民の知る権利−公共的な記録および審議過程への法的アクセス』という本を出した。
「知る権利」という考え方が、情報公開をめぐる論議の中では重要である。日本の情報公開法制定をめぐる論議においても、法律の中で知る権利を明文化するかどうかが一つの争点となっている。米国では建国以来、開かれた政府という思想が生きており、政府の情報は国民のものとする考え方が強かった。しかし、合衆国憲法には言論・出版の自由を規定した修正第一条があるものの、表現の受け手のことは重視されてこなかった。
ところが、第二次大戦後、この修正第一条は公的言論の自由の保障を中核とするものであるという解釈がとられるようになった。つまり、連邦最高裁は言論の自由の保証の中に情報受領権や情報収集権を含めるという立場をとるようになったのである。これによって政府情報の公開への道が開けた。憲法修正第一条自体は政府情報へのアクセスを認めていないが、政府情報の公開が民主主義において不可欠であるとの考え方が定着した。
米国のFOIAは、公民権運動が高まる中、1966年7月4日の独立記念日にジョンソン大統領が署名し、翌1967年の独立記念日から施行された。その後FOIAは、戦時中の日系人強制収容問題、ケネディ大統領暗殺事件、ベトナム戦争不明米兵問題などの、人権・民主主義に関わる問題への国民の知識欲が高まると共に意義を増してきた。30年たった1996年頃にはFOIAに基づく年間請求総計が60万件にも達するという。また1974年には「プライバシー法(Privacy Act of 1974)」によって政府が保有する個人情報の扱いについて修正が行われた。
2.3 FOIAの内容
FOIAの最も大きな特徴は、一定の情報については市民からの請求を受けるまでもなく政府が進んで公開することを義務づける「自動的公開原則」にある。つまり「原則公開、例外非公開」になっているのである。そして、記録を非公開にする場合もその理由を行政機関が証明しない限り非公開にならない。つまり非公開の証明責任は行政側にある。
FOIAに基づく請求は誰でも行うことができ、外国人でも特別な手続きを必要としない。そのため日本の市民団体やマスメディアも利用し、いくつかのスクープを発掘している。記録の検索・複写などにまつわる手数料は商業目的の場合、実費で請求されるが、マスメディアや公益団体による公益目的の申請には割引・免除規定があり、一般市民による請求は通常無料になる。
FOIAの対象にならない例外規定として、九つの適用除外事由(exemption)と三つの記録除外事由(exclusion)が定められている。適用除外事由とは、記録が存在するものの特別の理由により公開を拒否するもので、記録除外事由とは記録の存在の有無に関わらず記録は存在しないと答えることができるものである。
九つの適用除外事由とは以下のものである。
1) 国防・外交情報
2) 行政機関内部の人事規則、慣行に関する情報
3) 制定法によって特に開示が免除されている一定の情報
4) 営業上の秘密(トレード・シークレット)や、第三者から得られたもので、秘匿権が認められ、または秘密に属する商業上または金融上の情報
5) 行政機関との訴訟で、行政機関以外の当事者が法律により利用することができない行政機関相互間または行政機関内部の覚書もしくは書簡類の情報
6) 開示することによって、個人のプライバシーに対する明らかに不当な侵害になる、人事ないしは医療、あるいはこれに類する書類の情報
7) 法執行手続きを妨害すると合理的に予期されうる場合、個人のプライバシーに対する不当な侵害になると合理的に予期されうる場合、その他一定の法執行の目的で収集された記録や情報
8) 金融機関の規制監督に関連する一定の情報
9) 油井に関する地質学および地球物理学上の情報およびデータ
また、三つの記録除外事由は以下のものである。
1) 継続中の刑事捜査に関する一定の記録
2) 情報提供者に関する一定の記録
3) 国家秘密として秘密指定された外国における諜報活動や国際テロリズムの捜査に関するFBIの一定の記録
こうしたFOIAに規定された例外の他にも、判例の中で「グロマー回答」あるいは「グロマライゼーション(glomarization)」と呼ばれる「存在応答拒否処分」が認められている。これは、記録の存在自体の情報が重要な結果をもたらすと考えられる場合、記録が存在するかしないか回答できないという回答である。
請求した記録の公開が、一部あるいは全部認められなかった場合、または一部が削除されている場合、さらには、記録が存在しないという回答を受けた場合、不服申し立てをすることができる。不服申し立てを受けて、政府機関は再審査し、公開・非公開を決める。ここで非公開とされ、かつ、これに不服であれば自分のお金で裁判を起こして争うことができる。もしこの裁判に勝利すれば、裁判にかかった費用は政府が肩代わりすることになる。
裁判においては、二つの制度が特に設けられ、非公開の正当性を争うことになる。一つは「ヴォーン・インデックス」と呼ばれるものである。これは行政側が、非公開とされる記録がなぜ非公開にされなくてはならないかをその内容にふれない限りで詳細に記した説明書である。これを作成する義務は行政側にあり、これに基づいて判事や記録の請求者は非公開理由を検討する。
また、もう一つの制度として「インカメラ」というのがある。これは非公開とされた記録が本当にヴォーン・インデクスの通りのものであり、公開することができないかどうかを判事が実際に目で見て確かめるという制度である。この際、記録の請求者は、この記録を見ることができず、別室で判事が検討し判断を下すことになる。もし、グロマー回答に相当する記録であった場合で、実際に記録が存在する場合は、請求者に知らされないでインカメラが行われることもある。その際、判事が公開すべきだと判断すれば、記録の存在が確認され、全部または一部が公開されることになる。
FOIAの最大の問題点は申請件数の増大と未処理件数の累積、そしてそれに伴う公開までの時間が伸びていることであった。例えば、国防総省は、年間申請件数が1975年には約4万件だったが、1994年には10万件以上に達した。それにかかるコストは75年には500万ドルだったのが、1994年には3100万ドルになったという。米国政府全体では総額1億ドルをFOIA関係に費やしているといわれている。
3 1996年電子情報自由法改正(EFOIA)
3.1 成立の背景
各国でも、それぞれのやり方で電子媒体の記録を情報公開の対象文書としてきた。それをまとめたのが表 1である。解釈上、対象文書に含めている国々の中でも、一定の準備段階のものや内部使用文書をのぞいたりするなど、ばらつきがある。アジアで初の情報公開制度を制定した韓国では、コンピューターにより処理される媒体も公開される情報に含まれているが、電子メールによる情報請求は本文の中には規定されていない(ただし、大統領令によって可能になっている)。米国では、従来の情報自由法(Freedom of Information Act)の下では、解釈運用上あるいは判例上、電子的記録を情報公開の対象に含めていたが、これをEFOIAによって明確にし、さらにいくつかの改正を行ったのである。
1991年以降、パトリック・レイ(Patrick Leahy)上院議員(民主党、ヴァーモント州)が情報自由法の対象に電子媒体を含めるよう活動してきた。1991年にいったんEFOIAは上院に提出されたが、下院に送られることなく不成立に終わっている。しかし、90年代半ばになり、インターネットを始めとする情報メディアの普及が顕著になってきたため、議会での立法化の動きが強まった。そして情報通信政策に積極的なクリントン政権の成立がレイ議員を勇気づけたと言われている。レイ議員は、「電子的なアクセスは、情報自由法の論理的に必然な拡張である」、「情報自由法は紙の記録に載っていることを知る権利であるだけでなく、電子的な記録にも等しく適用されることをはっきりさせる必要がある」と述べている。
マスメディアや圧力団体もこれをバックアップした。例えば、Radio-Television News Directors Association、American Society of Newspaper Editors、Association of American Publishers、Center for Democracy and Technology、National Newspaper Association、Newspaper Association of America、People for the American Way Action Fund、Society of Professional Journalistsといった団体がEFOIAの早期成立を求める書簡を連名で1996年9月に議会に送付している。「法律(FOIA)の30周年はそれを電子時代に持っていくのに最適の機会だ」というのである。
法案は下院で1996年7月12日に「行政改革監視委員会(the House Committee on Government Reform and Oversight)」に付託された後、小委員会での審議を経て、議会への報告を義務づける修正を受け、9月17日、402対0で可決。翌18日、上院では修正なしで可決。ホワイトハウスへ送付され、10月2日、大統領が署名し、成立した。EFOIA署名に際してクリントン大統領は声明を出し、その締めくくりとしてこう述べた。「我々の国は、開放(openness)と責任(accountability)の民主的な原理に基づいて建国され、30年間、FOIAはこれらの原理を支え続けてきた。今日、『1996年電子情報自由法改正』は米国政府と米国民の間の重要なリンクを改善するものである。」
3.2 改正の要点
便宜上、FOIAとEFOIAをここでは分けて使っているが、実際には両者は同じものである。米国の法律は、以前からあるものを廃して新しいものを立てるというやり方ではなく、前からある法律を改正していくという形を取る。そのため1966年FOIAを改正するために1996年EFOIAが成立したのであって、FOIAはなくならない。つまりFOIAとEFOIAは同じものなのであって、1996年の改正に重点を置く場合にEFOIAと呼ばれることになる。
EFOIAの特徴にはいくつか挙げられるが、全般的に電子データを用いるメリットは、情報の検索と編集が容易になるということである。大量の紙を読み込むよりも電子データをコンピューターで検索した方がはるかに簡単に目的の言葉を探すことができる。そして、電子データのコピーもまた非常に容易である。それによって情報の編集も簡単になる。CDT(Center for Democracy and Technology)やEPIC(Electronic Privacy Information Center)といった市民団体は、電子メールを活用した情報提供を積極的に行っている。こうした市民の間での情報交換が電子メディアの使用によって急速に活性化しているのである。
EFOIAの特徴は以下の10点に集約される。
1)記録(records)の新しい定義
電子的な形式を含む、行政機関の記録となるあらゆる情報をFOIA請求の対象とする
2)電子的なアクセス
1996年11月1日以降に作成され、情報自由法の下で「公共の閲覧とコピーに供する」ことになった記録は、電子的にアクセス可能にしなければならない
3)コンピューター編集(Computer Redaction)
政府機関は記録の一部を削除することができるが、その際には削除された箇所と量を示さなくてはならない
4)1966年FOIAの下で公開された記録
1966年FOIAの下で公開された記録、そして将来公開の対象となると判断される記録は、(再度の)正式な請求を待たずして公開されなければならない
5)インデックスの作成
各政府機関はすでに公開された文書のインデックスを作成し、1999年12月31日までにオンラインで利用できるようにしなくてはならない
6)フォーマットの選択
可能であれば、請求者の望むフォーマットで記録は提供されなければならない
7)データベース検索
行政機関は電子媒体の記録を検索する合理的な努力をしなければならない。「検索」とは請求に対応する記録を見つける目的で手作業または自動化された手段に調べることである
8)優先処理(Expedited Processing)
個人の生命または身体の安全に急迫の危険をもたらすことが合理的に予見できる場合や、情報の普及に主として従事するもの(メディアなど)による請求については、優先的に処理する場合がある
9)対応時間の延長
行政機関は請求があってから20日以内に(改正前は10日)、記録を公開するかどうかの決定をしなければならない
10)マルチトラック処理
請求順に処理をするのではなく、簡単な請求から処理することが認められる。特に大きな文書や複雑な文書に対するFOIA請求を含むふつうでない状況においては、政府機関と請求者はその請求に対する合理的な限界を議論することが奨励され、定められた時間の中で処理されうるようにするか、処理のために適当な時間を設定するよう合意するようにする
こうしたEFOIAの特徴は、それまでのFOIAの運用に関する反省を基に考慮されたものである。その中で対応時間の延長は一見後退のようであるが、実際には10日という期限が守られていないのが実体であるので、現状に合わせたと見るべきである。
4 FBIのWWWホームページに見る電子情報自由法の利用例
4.1 情報自由法とプライバシー法
実際にEFOIAによってどのような変化が起きているのだろうか。表 2は、米国の主要省庁のEFOIA対応ホームページをまとめたものである。主要省庁に限らず、独立行政機関を含めて、EFOIAに対応するホームページを整備し始めている。
ここでは、FBIを取り上げ、そこでどのようにそれが実践されているかを見ていくことにしたい。FBIは、EFOIAにすばやく反応した機関の一つで、これまで頻繁に請求されてきた有名人に関する記録やUFOに関する記録などを、ホームページ上でPDFファイルという形で公開し始めた。
FBIは連邦司法省の捜査機関である。その役割は連邦刑法侵害の調査を通じた法の擁護、外国の諜報やテロ活動からの米国の保護、連邦、州、地方、国際機関へのリーダーシップと法執行援助の提供、そして公衆のニーズに即応し米国憲法に忠実なやり方でその責務を果たすことであるとされている。FBIの調査を通じて得られた情報は司法長官はじめ司法省幹部に提示される。FBIの捜査のトップ・プライオリティは五つあり、テロリズム対策、麻薬・組織犯罪、外国諜報対策、暴力犯罪、金融犯罪、である。
様々な情報が機密情報としてFBIに蓄積される一方で、こうした情報の公開を求める国民の要望も強い。しかし、当初の「1966年FOIA」では法執行目的で集められた調査ファイルはFOIA請求の対象とされていなかったため、FBIの記録はほとんどが公開されなかった。しかし、1974年にプライバシー法が成立し、自分の個人情報の開示を請求できることになり、また1975年にFOIAの改正法が成立し捜査で得られた情報も公開され得ることになったため、FBIの情報もFOIA請求の対象となることが多くなった。そのため1975年にFBIはFOIA関連の人員を大幅に増員する。それによって20数年にわたり30万件以上の請求を扱い、600万ページの記録が公開されたという。1998年現在で、FOIA請求とプライバシー法に基づく個人情報請求を扱うFOIPA(Freedom Of Infromation and Privacy Acts)部門は約400人の人員を擁しているという(http://www.fbi.gov/foipa/history.htm)。
FBIのような、直接市民の情報を扱う政府機関にはFOIA請求が集中する。EFOIAによる修正前のFOIAでは、受け付け順に請求を処理していたため面倒な請求が重なると記録の公開が遅れ、未処理分(backlog)が累積する問題があった。実際に、1996年3月31日には1万5259件の未処理請求があり、540万ページもレビューされなくてはならない書類が貯まっていた。さらに、不服申し立てをされている請求が480あり、233の訴訟がペンディングになっていた。それだけ情報公開制度が利用されているということでもあるが、請求を受ける行政機関側には膨大な負担となっていたのである。
しかし、EFOIAによって行政機関側は簡単な請求から処理し、複雑で時間を要する請求については請求者と話し合うことが認められ、改善が見込まれている。
図1 FBIのホームページ
出所:<http://www.fbi.gov/>(1998年5月6日)
4.2 電子閲覧室
FBIはその最初のホームページ(http://www.fbi.gov/)に「FOIAファイル(FOIA Files)」というリンク・ボタンを用意している(図 1参照)。これをクリックすると「FBI FOIA電子リーディング・ルーム(Electronic Reading Room)」のホームページ(http://www.fbi.gov/foipa/foipa.htm)へ行く。
ここでは、イントロダクション、電子リーディング・ルーム、そして司法省へのリンクが用意されている。電子リーディング・ルームをクリックすると、すでに公開されたFBI記録の中でも、特に一般の関心が高いものがPDFファイルの形で公開されている。例えば有名人の記録の中には600ページ以上にわたるエルビス・プレスリーの記録などがある。
図2 ロズウェル空軍基地に関する公開文書
出所:<http://www.fbi.gov/foipa/document.htm>(1998年5月3日)
「不可思議な現象(Unusual Phenomena)」のリストを開けると未確認飛行物体UFO(Unidentified Flying Objects)に関する調査結果の記録などがある。UFOとの関連でよく出てくるのがロズウェル空軍基地である。これに関する記録はわずか1ページであるが公開されている。図 2はその内容である。これを見てわかるようにPDFファイルでは紙の原資料をスキャナーで画像データとして取り込み、電子的に再生することができる。紙で公開されたままに黒く塗りつぶされたところもわかる。
こうして電子的に公開することで、FBIは同じ請求に繰り返し対処する手間が省けることになる。請求にかかる手間と時間と資金が行政側にとっても請求側にとっても大きく削減されることになるだろう。
5 情報技術による市民のエンパワーメント
制定から30年以上たった米国の情報自由法(FOIA)は、政府の透明化に大きく貢献してきた。請求の遅滞は問題だが、それだけ市民やメディア、公益団体によってFOIAが利用されている証拠でもある。そして、30周年を契機に行われたFOIAの改正であるEFOIAの成立は、情報公開制度と行政情報化を結びつけ、第三段階の行政情報化として、情報公開に新たな地平を開いた。EFOIAはいわば情報公開の新しいパラダイムである。
ヨーロッパ諸国においても電子データを米国に先んじて情報公開の対象としている国がいくつかあった。特に北欧諸国は情報公開制度の発祥の地であるとともに、現代の情報通信技術においても先進的な地位にある。しかし、インターネットの発祥の地である米国がインターネットを使って情報公開を行うと宣言したことによって、この新しいパラダイムは本格的なものになったと言える。
この制度自体、いまだ完全でないところはある。しかし、EFOIAはマルチトラック処理の導入などFOIAの改善を目指すとともに、電子媒体、インターネットの導入によって、大きく二つの効果をもたらした。
第一の効果は、費用の削減である。クリントン政権は情報通信技術を行政改革のてこにしようと考えてきた。その現れがナショナル・パフォーマンス・レビュー(NPR)や「1993年政府のパフォーマンスと成果に関する法(Government Perfomance and Result Act of 1993)」であった。そしてこのEFOIAもその一例となるだろう。FBIに繰り返し請求される、いわば「人気のある」記録はホームページで入手できるようになり、手間が削減されることになる。また、数百ページの紙をもらうのと、フロッピーディスクに納められた電子データをもらうのとでは大きな差がある。もともとの記録が電子媒体なのに、それを紙にプリントアウトするとするなら時間も紙も必要になるが、電子ファイルのコピーは、より短時間でできるし、費用も安い。さらに電子データであれば、検索と編集が簡単にできることになる。電子データによる公開は行政側にとっても、情報を請求する側にとっても大幅なコストの削減につながる。
EFOIAがもたらした、もう一つの大きな効果は、情報公開で提供される情報と、行政側が自ら提供する情報との間の境がなくなってきているということである。本来「提供される情報」と「公開される情報」には大きな差がある。つまり第二段階と第三段階の行政情報化の差である。例えば情報公開法がまだない日本の場合がわかりやすい。行政が白書や報道発表、あるいはホームページで「提供」している情報は非常に限られたものである。窓口閲覧制度で閲覧できる情報もリストにあるものだけである。極言すれば行政側が出したい情報しか提供されていない。行政側が出したくない情報を国民は手に入れることができない。しかし、情報自由法の自動公開原則によって行政側の情報は原則公開、例外非公開になっている。そして、すでに公開されたものについてはリストが電子的な媒体で作られ、よく請求されるものについてはホームページでアクセスできるようになりつつある。主要政府機関のホームページには検索機能が付けられており、またGovernment Information Locator Service(GILS)という政府機関を横断して情報検索をする機能も作られている(http://www.usgs.gov/gils/)。自動公開原則と電子アクセスによって公開されるべき情報は、提供される情報に近づきつつあるのである。
こうした政府情報へのアクセスの改善は、政府と市民の間の情報の非対称性の解消へとつながる。行政機関は、与えられた権限に基づき市民の情報を集めるが、その権限を行政機関に与えるのは本来、市民である。よって、行政機関の情報は市民のものであるというのが情報公開制度の基盤である。市民は、情報公開制度を通じて自己決定に関する情報をより多く手に入れることができるようになる。これは「エンパワーメント」という言葉で表現できるだろう。
「エンパワーメント(empowerment)」を辞書で引くと、「権限を与えること。権限委譲」とされている。エンパワーメントはいろいろなところで語られる言葉になりつつあるが、辞書的な「権限委譲」から拡大し、その結果としての「力の増大」までも含めた概念として用いられている。EFOIAは、情報技術が政府と市民の間のパワー・バランスを変える力を持っているということの一つの例であると同時に、インターネット時代、マルチメディア時代の情報公開法として一つのモデルとなるだろう。
では、EFOIAに問題点はないのだろうか。法案が成立する前から指摘されていた問題点を列挙すると以下のようになる。
1)今後の技術変化に十分に対処できないこと
2)政府の電子メールが、政策決定プロセスにおいて、どのように扱われているかの包括的なレビューが不十分であること
3)電子的な媒体で保存されている記録が公開される場合、削除の明示が困難なこと
4)請求されたときに政府機関が電子媒体で記録を提供する要件の曖昧さ
5)行政内部の文書や、未決定の事項に関する記録を公開するかどうかはっきりしないこと
6)マルチ・トラック処理システムの恣意性
7)優先処理の曖昧さ
8)「記録」の定義の曖昧さ
こうした問題点の多くは、実際にEFOIAがうまく運用されるのかという疑問に基づいている。EFOIAが成立する前のFOIAの時代の問題は、立法上の問題ではなく、むしろ行政側の取り組み方の問題であるという指摘がある。それは万国共通の官僚主義もあり、予算・人員の不足という面もある。こうした問題は法案成立に当たっても議論されたが、おそらく実際に運用してみて改善を図っていくことになるものと思われる。
では、わが国の情報公開制度はどうなっているのだろうか。わが国における政府情報の公開は地方自治体が先行してきた。1981年に山形県金山町で始まった情報公開の動きは、ようやく国政レベルに達しようとしている。情報公開法案に対する関心は、景気低迷や金融スキャンダル等に隠れて、国民レベルでは必ずしも盛り上がっていない。しかし、情報公開法案の成立は永年の課題であり、国内外のメディア、研究者、市民団体が注目している。
国会に提出された情報公開法案でも、電子データを公開対象とすることになっている。つまり第二条において、
この法律において「行政文書」とは、行政機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書、図画及び電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られた記録をいう。以下同じ。)であって、当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして、当該行政機関が保有しているものをいう
とされている。こうした動きは歓迎すべきであろう。しかし、米国のEFOIAはこうした電子データの公開だけにはとどまらない様々な方策が用意されている。例えば、インデックスの作成やホームページ上での情報の公開などである。
1966年のFOIAは、日本の情報公開法を考えるに際して常に一つのモデルとなってきた。そして、1996年のEFOIAもまた示唆に富むものである。日本政府のホームページの数も現在急速に増えているところだが、情報公開法成立前ではその内容は十分なものにはなりえない。しかし、EFOIAの優れた点は取り入れ、よりよい情報公開法を考えるヒントにするべきである。日本の行政情報については、他にも文書管理の問題など課題が多いが、電子データによる請求の受け付け、公開、そしてホームページなどのインターネット技術の最大限の利用が期待される。