国際大学グローバル・コミュニケーション・センター編
『智場』(ニューズレター)2000年9月号掲載

土屋大洋「ドット・コミュニストの台頭?」

2000年7月18日から21日までパシフィコ横浜においてISOC(Internet Society)の年次総会、「INET 2000」が開かれた(http://www.isoc.org/inet2000/)。ISOCは米国のバージニア州とスイスのジュネーブに本部を置く、いわばインターネット・コミュニティを統括する組織である。その年次総会がINETであり、1991年に始まってから今年で10回目となった。1992年に第二回のINETが震災直後の神戸で開かれて以来の日本開催となる。

INETの会議は、半分アカデミック、半分ビジネスといった内容で、チュートリアル、本会議、分科会からなる。分科会は、八つのテーマ分かれるが、私は、主に「インターネットの規制・ポリシー・管理」のセッションに出席した。

ここでの議論の中心的な話題の一つは、やはり「デジタル・ディバイド」であった。INET 2000のテーマが「Global Distributed Intelligence for Everyone」であり、また、ちょうど国際的なデジタル・ディバイドの問題をG8首脳が論じる九州・沖縄サミットの時期とも重なっていたため、話題とならざるを得なかったのである。

「デジタル・ディバイド」とは、もともとは米国内で情報技術にアクセスできる人とできない人の間で経済格差が生まれてきており、その経済格差がさらにアクセス環境に差をもたらす悪循環が起きているという議論である。そのアクセス環境の差をもたらす要因として、所得、学歴、性差、居住地域などが指摘されている。この国内問題としてのデジタル・ディバイドが、いつの間にかサミットの前から国際的な格差の問題となって議論されるようになってきた。

デジタル・ディバイドに関して、INETのいくつかのセッションで面白いコメントが出てきた。その中でも、「ドット・コミュニストの台頭にはうんざりだ」というのが印象に残った。その主張はこうだ。「ドット・コム・カンパニー」の成功に目がくらみ、デジタル・ディバイドの解消という理想を掲げ、「すべての人に情報革命を」と叫ぶ輩には我慢できない。まるで新しい共産主義者(コミュニスト)が台頭してきたようだ。たとえば、テレビの普及に政府は手を貸さなかったが、米国でテレビを持っている世帯は、トイレを持っている世帯よりも多い(共同トイレの世帯がまだ多い)のだから、ITに政府の手など必要ない。必要だと思う人が自助努力でアクセス機会を獲得すればいい、というのである。

実は、この言葉はデジタル・ディバイドをめぐるディベートの中で出てきた言葉で、発言者の本心ではない(らしい)。発言者は、米国のゴア副大統領のスタッフとして米国の情報通信政策に深く関わった人物である。彼は、デジタル・ディバイドをめぐる議論の表も裏も知り尽くした上で、からかい半分に「ドット・コミュニスト」という言葉を使ったのである。

結局、ディベートの前と後を比べて、政府の役割を支持しない人が増えたため、デジタル・ディバイド反対派がディベートに勝利した(ただし、それでも絶対数では賛成派が多かった)。

日本でも「IT革命」という言葉が、頻繁に使われるようになってきた。しかし、「市民革命」ならば、革命の担い手が市民だとわかるが、「IT革命」ではその主体が見えてこない。体制側にいる政府や大企業が革命を主導しようとしているところが、市民革命との大きな違いかもしれない。


補注:実際に公刊された文章とは若干異なります。


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