国際大学グローバル・コミュニケーション・センター編
『智場』(ニューズレター)2001年3月号掲載

土屋大洋「バングラデシュの情報化を阻む政治対立」

2月半ばにバングラデシュのダッカを訪れた。行くことになってから知ったのだが、バングラデシュに関するガイドブックは日本で一冊も出ていない。かの『地球の歩き方』にも入っていない。2月の末にようやく初めてのガイドブックが出るらしく、ダッカの日本人はみんなそれを心待ちにしているようだった。

ダッカというと、1977年の日本赤軍によるハイジャック事件を思い出すぐらいで、全く知識のない人が多い。かつてバングラデシュは1947年にインドから独立したパキスタンの一部をなしていた。しかしこのパキスタンはインドの北西の現在のパキスタンと、インドの北東の現在のバングラデシュからなる世界でもまれな「飛び地国家」だった。

しかし、西のパキスタンが東のパキスタン(バングラデシュ)を搾取したりしたため、バングラデシュは1971年に独立を勝ち取った。バングラデシュは独立30年の新しい国ということになる。

残念ながら独立後もバングラデシュ政治は安定していない。世界の最貧国として位置づけられているのも政治の不安定による経済開発の遅れが背景としてある。初代の大統領、二代目の大統領ともに暗殺されてしまった。その初代大統領の娘が現在の首相であり、野党の党首が第二代大統領の妻である。政治制度の変更に伴って政治の実権は大統領から首相に移り、与党のアワミ連盟(AL)と野党のBNP(バングラデシュ民族主義党)が激しい政治闘争を続けている。

私がバングラデシュを訪れたのはJICA(国際協力事業団)の調査で、デジタル・デバイド解消のためにODAがどのような役割を果たせるかを調べることであった。日本からは直行便がないため、タイのバンコクで行きと帰りに一泊ずつし、バングラデシュには5泊6日の予定であった。

ダッカ到着の当日と一日目は無事に調査ができた。バングラデシュ政府にも日本政府のIT支援策は伝わっており、いくつかの点で支援を求められたが、我々の調査は基礎的なものでプロジェクト形成のためではなかったため話を聞くにとどまった。

しかし、民間の若手の人たちはそうした海外からのIT援助に否定的だった。あるパソコン教室に行ってみると、米国と全く同じテキストを使い、英語のOSを使ってトレーニングが行われているという。ここでパソコンとインターネットを習い、米国とオンラインでつながった部屋で試験を受けて合格すると、米国でも通用するマイクロソフト社やオラクル社の認証がもらえるという。この会社にとって援助は必要なく、それよりも政府の腐敗が問題だと指摘していた。

別のソフトウェア会社に行くと、米国帰りの社長が最先端のオフィス・ビルで若いエンジニアたちを鼓舞している。そのビルは米国のシスコ・システムズ社が設計した光ファイバのネットワークでつながっている。このビルだけをとってみれば先進国と遜色ないシステムである彼の会社にとっても援助は必要ないという。

こうした若い人たちの心意気に感心しながらも、やはりインフラの貧弱さは気になった。ホテルからローミング・サービスを使ってのダイヤルアップもトラブル続きでなかなかつながらない。独占電話会社のBTTBの資料によれば国際回線も細すぎるようだ。不思議なことにバングラデシュの国別ドメインである「.bd」の管理ができていないらしく、世界共通に使える「.com」や「.net」をみんな使っている。

我々の調査は「ハルタル」と呼ばれるゼネストによって中断されてしまった。2月13日(火)のハルタルは野党4党の呼びかけによるものだった。残念なことに、この日、警官を含む5人が銃弾に倒れ亡くなってしまった。すると、14日(水)も15日(木)もハルタルだということになってしまった。

ハルタルの日は、一般市民は外に出られず、ビジネスも学校も休みになってしまう。おまけにイスラム国家のバングラデシュでは金曜日と土曜日が休みだ。火曜日から土曜日まで日本人以外の現地の人には会うことができず、調査は中途半端なものになってしまった。

いわゆる政治的安定という意味の「グッド・ガバナンス」を援助国側が援助供与の条件とすることもあるが、援助国が被援助国の政治に口を出すのは政治的に難しい問題である。

動きの速い情報技術の分野で援助をすること自体が難しいのに、さらにそうした政治問題に巻き込まれれば、援助活動は遅々として進まないことにもなりかねない。与党と野党の間には政策的な違いはあまりなく、独立以来の政治闘争が続いているだけである。この政治の問題をバングラデシュ自身が解決できなければ、援助は日本にとってもバングラデシュにとっても無駄になりかねない。バングラデシュの政治指導者の自己変革を願わざるを得ない。


補注:実際に公刊された文章とは若干異なります。実際に公刊されたものはpdfファイルを参照。


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