3月半ば、ドイツのボンを訪れた。首都機能の半分程度は、ドイツ統合後の新首都ベルリンに移ってしまったそうだが、ドイツ・テレコムの本社と政府の電気通信部門はボンに残っている。ボン自体はもともと大きな都市ではないが、引越しが嫌いなドイツ人はボンからあまり流出することもなく、そこそこの賑わいを見せている。
その街角で古本市が開かれていたため、ぶらぶらとのぞいていた。そこで、
Serge Elisseeff and Edwin O. Reischauer, compilers, Selected Japanese Texts for University Studies, volume 1, Third Printing, Cambridge, Massachusetts: Harvard University Press, 1948.
という本を見つけた。エドウィン・O・ライシャワー氏はいうまでもなく、後に駐日大使を務め、日米関係の発展と安定に貢献した人物である。セルジュ・エリセーエフ氏は、フランス人ながら米国ハーバード大学教授をつとめ、ライシャワー氏の日本研究の恩師にあたる人物である。
この本はなかなか興味深い。私が見つけた第三版は1948年の発行となっているが、最初のあいさつ文の日付は1942年になっている。つまり、日米開戦が1941年12月8日だから、戦時中に初版が発行されていたことになる。この本がドイツのボンの古本屋に眠っていて、出版から53年後に日本人が再び手にするというのはなんとも奇遇である。
内容はあらゆる類の日本の文章の寄せ集めである。日本語の習得用に編纂された資料集であり、最初の文章、アキヤマ・ケンゾウ著『日本中世史』の出だしはこうである。
皇紀二千六百年は、いまは數年の後にせまつてゐる。其の半分、皇紀一千三百年は、丁度大化改新の數年前に當つてゐる。
また、二番目の文章の土屋喬雄著「國防國家體制の建設(一)幕末」『改造』(1941年6月)は下記のように始まる。
今日わが國の置かれてゐる情勢が、まことにわが史上未曾有というべきほどの一大難局であることは、いふまでもない。
さらには夏目漱石の小説『それから』一説や、『枕草子』、漢文の読み下し文、芥川龍之介の手書きの手紙、カタカナの電報の文章まで含まれている。当時日本で読まれていた文章が古典から日常的なものまでまとめられているのだ。
戦時中からの日本研究としては、ルース・ベネディクトの『菊と刀』が有名だが、これは国務省がベネディクトに依頼した調査研究に基づいている。民間のハーバード大学でもエリセーエフやライシャワーの尽力によって日本研究が進んでいたことがこの古本から伝わってくる。
しかし、この本が本当に日本語習得の副読本として使われており、その内容を学習者が理解していたとしたら、相当日本に対する理解は進んでいたはずである。にもかかわらず、日米は泥沼の太平洋戦争を続けることになった。これは何を意味しているのだろうか。
米国が日本を理解していたほどに、日本が米国を理解していなかったということももちろんあるだろう。戦争が終わった後、米国を訪れた人の多くが、こんな国と戦争をしたのは無謀だったという感想を述べている。
しかし、国際的な相互理解はきわめて困難な作業であるということを改めて確認する必要もあるのではないか。
太平洋戦争が終わってから50年以上が経った。「日米同盟」は堅固なもののように見えるし、多くの人がその必要性を唱えている。にもかかわらず、そこには依然として理解不足が横たわっている。
例えば、日米両国政府が毎年交換している規制緩和要望書である。これは、90年代後半に至って日米経済交渉が個別品目の問題から構造問題へとシフトした流れを受けている。日米両国政府は、それぞれの国で存在する不必要、不適切な規制を指摘し、より開かれた経済関係を模索しようとしている。
ところが、米国通商代表部(USTR)が実際にどのように要望書の項目を作成しているかというと、もちろん日本に進出している米系企業からのヒアリングも行っているが、多くは日本国内で出されている各種の報告書を元にしているという。政府やシンクタンクなどが毎年膨大な量の報告書を出している。そのうちまともなものがほとんどだが、中には偏った政策提言が含まれている場合もある。いわばUSTRは日本国内の声を代弁する形で要望書を出してくるのだが、その内容は玉石混交なのである。
さらには、日本国内の利益団体が米国政府に働きかけ、それが要望書に盛り込まれるということもある。その結果、日米摩擦に見える問題が実は日日摩擦に他ならないということもままある。
情報通信分野で言えば、2000年夏の日米接続料交渉や、2000年秋から2001年春にかけての支配的事業者(ドミナント)規制がそうである。接続料交渉では、USTRが執拗に接続料の引き下げを求めたが、米国の利害関係者がそれを強く求めた形跡は見られない。むしろ、接続料の引き下げを求めているのは、日本のNTT以外の通信事業者であった。
支配的事業者規制は、2000年10月の米国からの規制緩和要望書がきっかけとなって、総務省が2001年春に法案を提出しようとした。しかし、米国政府が求めたNTT東日本とNTT西日本に対する支配的事業者規制はなおざりになり、米国の要望書に書いてないNTTドコモに対する規制を総務省が求めていることが露見した。
もちろんこうした政治的混乱は、日本側にも責任があるが、安直に問題を取り上げた米国側にも責任の一端があるのではないか。USTRにはそれなりの言い分があるだろうが、米国内で通信行政を担当する連邦通信委員会(FCC)の幹部は、なぜNTTドコモに関する支配的事業者規制が必要なのかと首をかしげている。米国内での基準から見てもおかしなものを、結果的に、日本に求めることになってしまったという事実をUSTRは理解しているのだろうか。
さりとて、日本の情報通信政策論議の希薄さも今回の問題に責任がある。これだけ米国に関する情報は溢れていても、何が本当なのかが伝わって来ない。
総務省は、支配的事業者規制は欧米でも行われているグローバル・スタンダードだから日本にも導入しなくてはいけないとして電気通信審議会を説得した。しかし、米国では、支配的事業者と非支配的事業者の間で非対称規制は行われているものの、それは規制を差し控える(forbear)という形で行われ、できるだけ規制をしない方向を目指している。欧州でもSMP(Significant Market Power)規制というのがあるが、これは現状にそぐわないとして見なおしの動きがある。とてもグローバル・スタンダードといえる状態ではない。こうしたことは調べればそう苦労せずにわかることだが、情報を役所に依存していると事実を見落とすことになる。
米国では共和党新政権が生まれたことで、情報通信に限らず、各分野において政策の転換が予測されている。例えば、環境問題に関しては、京都議定書から離脱すると米国は宣言した。こうした動きを全くの驚きを持って迎えるか、予測の範囲として迎えるかが、日米の相互理解の深さを知る物差しとなるだろう。
現在の米国における日本研究の裾野は、ライシャワー氏らの努力によって、大きな広がりを見せている。一方、日本における米国研究も、大学で人気のあるテーマの一つであろう。しかし、本当に十分なほど行われているのだろうか。
8年ぶりの共和党政権成立は、日米関係の見なおしにとっていい転機となるだろう。共和党関係者は、「共和党内には日本との関係を重視する人物が多い。したがって2002年の米国議会の中間選挙でも共和党に勝利をもたらすべく、日本も協力して欲しい」という。つまり、ブッシュ新政権に得点を稼がせてくれれば、日本にとっても好ましい結果になるというのである。しかし、共和党政権と民主党政権、どちらが本当に日本にとっていいのかということは簡単に判断できることではない。
インターネットによって情報のフローはどんどん拡大している。その情報を取捨選択することはもちろん重要だが、それ以上に、それを見据える確かな視点が必要である。50年以上前に作られた本を見ながら、当時の人はそこから何を学んだのかに思いをめぐらせた。今、我々は、溢れる情報から何を学んでいるのかを問わなくてはならないだろう。
補注:実際に公刊された文章とは若干異なります。実際に公刊されたものはpdfファイルを参照。