これからたぶん出る成果

 今日も大して仕事が進まない。修士論文のドラフトを1本読み、コメントを返す。内容はおもしろいのだが、これがけっこう大変。

 他に、急ぎの自分の論文の初校ゲラを戻す。

 ついでに、これからたぶん出る成果を紹介(若干、現実逃避的)。

  • Kim Andreasson, ed., Cybersecurity: Public Sector Threats and Responses, CRC Press, 2011.

http://www.prlog.org/11742755-cybersecurity-public-sector-threats-and-responses.html

(日本のサイバーセキュリティ対応について一章書いた。)

  • 加茂具樹、小嶋華津子、星野昌裕、武内宏樹編著『党国体制の現在——変容する社会と中国共産党の適応』慶應義塾大学出版会、2012年。

http://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766419108/

(中国のインターネット規制について一章書いた。)

  • 某学会学会誌に海底ケーブルについての論文(印刷中)
  • 某紀要に海底ケーブルについての論文(印刷中)

年末年始は時間がない。

 年末年始は家にいても仕事のための時間がほとんど取れない。何とかならないのかなあ。

 卒論、修論、博論を計20本ぐらい読まないといけないのだけど、今日読めたのは2本だけ。たぶん、一発OKの人はいないから、今月半ばまではずっと読み続けるんだろうな。

 元旦の読売新聞1面でコメントを取り上げてくださったのだけど、反応があったのは某国大使館だけ。そんなもんなのかな。正月っぽい話題ではなかったからね。

石毛直道「知の探検家・梅棹忠夫」

石毛直道「知の探検家・梅棹忠夫」『アステイオン』66号、160〜172ページ。

 梅棹忠夫の解説としてはコンパクトながらとてもよくまとまっていると思う。「モゴール族探検記」は恥ずかしながら未読だが、読みたくなった。人工衛星の時代、地理的な探検はもはや価値がなくなりつつあるが、知の探検はまだまだ未開の地がたくさんある。

スティーヴン・ヴォーゲル『新・日本の時代』

スティーヴン・ヴォーゲル『新・日本の時代―結実した穏やかな経済革命―』日本経済新聞社、2006年。

 大学院生たちとの輪読の課題書。父親のエズラ・ヴォーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバー・ワン』から30年。日本はバブル崩壊以降の多大な課題を抱えている。そうした課題にどう日本が対応しているのか、比較制度分析などの成果を使って分析している。

 読後感は、とにかく単純には説明できなくなってきているということ。著者の関心が労働と金融にあって、そこからの説明は興味深い。企業が改革の一環としてダウンサイジングを進めたことが、今の大学生の就職難につながっている。それを吸収する新産業や新企業が育っていない。外国人が経営を握るほどダウンサイジングの幅が大きくなる傾向も見られ、日本市場における外資の役割を考える点でも興味深い。

 いずれにせよ、日本も多かれ少なかれ変わっている。エズラの『ジャパン・アズ・ナンバー・ワン』では企業経営者に外国人はおらず、大学では外国人は教授になれないと書かれていたが、もはやそんなことはない。

福島康仁「宇宙空間で軍事的な挑戦を受ける米国」

福島康仁「宇宙空間で軍事的な挑戦を受ける米国—『暗黙の了解』の限界とオバマ政権の対応—」防衛研究所ニュース、159号、2011年11月号。

 米ソ(露)の間にあった「暗黙の了解」が崩れてきているとの指摘。「暗黙の了解」を共有しないアクターが台頭してきているのと、対宇宙システムおよびその関連技術の拡散が進行しているからだという。

 宇宙も面倒くさくなってきている。

ロバート・S・ロス「中国の海軍ナショナリズム」

ロバート・S・ロス(八木直人訳)「中国の海軍ナショナリズム:その起源と展望、米国の対応」『海幹校戦略研究』第1巻1号増刊、2011年8月、47〜85ページ。

 ちょっと長いが、海軍力を増大させている中国が何を考えているか分かる。地政学的な考察をしている。著者はボストン・カレッジ教授。

Yan Xuetong, ”How China Can Defeat America”

Yan Xuetong, “How China Can Defeat America,” New York Times, November 20, 2011.

 著者は精華大学の教授。「どうやって中国はアメリカを打ち負かすか」という鷹派的なタイトルだが、中味は、中国は思想やモラルを重視しないとアメリカに勝てないというもの。アメリカは50カ国以上の同盟国を持ち、アフガニスタン、イラク、リビアと三つの戦争を同時に戦う能力があるが、中国は正式な同盟国は一つもなく(半同盟国として北朝鮮とパキスタンがあるのみ)、人民解放軍は近年戦争を経験していない。中国がグローバルなリーダーとなるには世界の人々のハーツ&マインズを勝ち取らなければならないという。

 中国がこうした政策に最も成功したのは唐の時代だったという指摘もおもしろい。遣唐使があったように、日本もたくさんの留学生を唐に送っていた。経済や軍事にフォーカスした政策を改めよというのが著者の提言。

日本国際政治学会「ソーシャルメディアと政治変動の国際比較」

 今日は日本国際政治学会の以下の部会で討論者をしてくる。お三方の論文を読んで、それぞれおもしろかった。

 この部会、けっこう若い。前嶋先生が65年生まれ、中山先生が67年生まれ、私が70年生まれ、阿古先生が71年生まれ、山本先生が75年生まれ。でも10年の幅がある。本当のネット世代は74年生まれ以降というから、実はほとんどの人がネット・イミグラント。きっと聞きに来る人も若い人ばっかりなんだろうけど、どんな議論になるかな。

=====

部会 9 ソーシャルメディアと政治変動の国際比較

司会 中山俊宏(青山学院大学)

報告 前嶋和弘(文教大学)「アメリカの政治過程におけるソーシャルメディア―ティーパーティ運動と『インターネット・フリーダム』をめぐって」

山本達也(名古屋商科大学)「アラブ諸国における政治変動とソーシャルメディア」

阿古智子(早稲田大学)「ネット世論の高まりに見る中国の『民主』」

討論 土屋大洋(慶應義塾大学)

増田米二『原典 情報社会』第I部

増田米二『原典 情報社会—機会開発者の時代へ—』TBSブリタニカ、1985年。

第I部 情報社会総論(25〜57ページ)

 未来を予測することはとても難しいが、増田は本当によく見通していたなと思う。

 第I部では「機会産業(opportunity industry)」の概念も示される。増田が予測したほどわれわれは自由時間を享受できていない感じがするが、それも主観的な判断に過ぎず、労働による拘束時間は減っているのかもしれない。もう一つは、政治体制が増田が予測したほど変化していない。

増田米二『原典 情報社会』序論

増田米二『原典 情報社会—機会開発者の時代へ—』TBSブリタニカ、1985年。

序論——情報社会論へのアプローチ(15〜24ページ)

 これも大学院の課題文献。

 序論では基本認識が示されている。ここで出てくる「情報ユーティリティ(情報市民公社)」というのは結局インターネットだったんだな。この本よりさらに古く、1967年に出た『コンピュートピア―コンピュータがつくる新時代』の中で「情報ユーティリティ」の発想は出てきているらしい。探してみるか。

エズラ・F・ヴォーゲル『Japan as No.1』第10章「教訓」

エズラ・F・ヴォーゲル(広中和歌子、木本彰子訳)『Japan as No.1—アメリカへの教訓—』ティービーエス・ブリタニカ、1979年。

第10章 教訓——西洋は東洋から何を学ぶべきか(261〜296ページ)

 これで『Japan as No.1—アメリカへの教訓—』は終わり。

 外国人は日本の大学で教授になれないと書いてあるけど、今はたくさんいる。企業の社長やCEOにも外国人がなっている。この時代からずいぶん日本も変わった。

 訳者あとがきによると、グレン・フクシマさんの奥さんの咲江さんも翻訳に参加していたそうだ。咲江さんはヴォーゲルの助手をしていたようだ。この頃留学して人たちの奥さんたちもその後活躍している。訳者で、広中平祐夫人の和歌子さんは、その後、国会議員にもなっている。

エズラ・F・ヴォーゲル『Japan as No.1』第9章「防犯」

エズラ・F・ヴォーゲル(広中和歌子、木本彰子訳)『Japan as No.1—アメリカへの教訓—』ティービーエス・ブリタニカ、1979年。

第9章 防犯——取り締まりと市民の協力(237〜258ページ)

 インテリジェンスに対するアレルギーが強いのとは対照的に、警察への協力度が高かったのはなぜなんだろう。案外、インテリジェンスに反対しているのはマスコミだけなのかもしれない。

エズラ・F・ヴォーゲル『Japan as No.1』第8章「福祉」

エズラ・F・ヴォーゲル(広中和歌子、木本彰子訳)『Japan as No.1—アメリカへの教訓—』ティービーエス・ブリタニカ、1979年。

第8章 福祉——すべての人の権利としての生活保障(214〜236ページ)

 やはり福祉と雇用は一体なんだなあ。雇用があれば、福祉への負担は軽減される。好景気を維持することが重要。

エズラ・F・ヴォーゲル『Japan as No.1』第7章「教育」

エズラ・F・ヴォーゲル(広中和歌子、木本彰子訳)『Japan as No.1—アメリカへの教訓—』ティービーエス・ブリタニカ、1979年。

第7章 教育——質の高さと機会均等(189〜213ページ)

 予想通り、大学生は勉強してないと書いてある。外国人は日本の大学に留学するのではなく、小学校〜高校に留学したほうが良いかもしれない。日本語も学べるし、学力は上がり、日本人のコミュニティの中で居場所を見つけられるだろう。

エズラ・F・ヴォーゲル『Japan as No.1』第6章「大企業」

エズラ・F・ヴォーゲル(広中和歌子、木本彰子訳)『Japan as No.1—アメリカへの教訓—』ティービーエス・ブリタニカ、1979年。

第6章 大企業——社員の一体感と業績(160〜188ページ)

 月末までの仕事でアップアップだったけど、ようやく少し余裕が出てきた。

 この大企業の話も、今では考えにくいな。おもしろいのは、日本の大企業の成功は「日本民族のなかに流れている神秘的な集団的忠誠心などによるのではなく、この組織が個人に帰属意識と自尊心を与え、働く人々に、自分の将来は企業が成功することによってこそ保証されるという自覚を与えているからである」という点。なぜこういう組織が維持できなくなったのだろう。経済のパイ全体が小さくなったからなんだろうか。

季国興「『インペッカブル事件』の合法性」

季国興「『インペッカブル事件』の合法性」『海幹校戦略研究』第1巻1号増刊、2011年8月、28〜34ページ。

 同じ雑誌(広報パンフレット)の中に掲載されている中国側の主張。中国は、米国海軍音響観測艦「インペッカブル(USNS Impeccable)」の排他的経済水域内でのインテリジェンス活動は、平和目的ではないから国連海洋法条約の規定に違反するという主張をしている。

 そうだとすると、日本の領海内に潜水艦を潜らせてインテリジェンス活動をしている中国は何なんだろうね。

ピーター・A・ダットン「中国の視点から見た南シナ海の管轄権」

ピーター・A・ダットン(吉川尚徳訳)「中国の視点から見た南シナ海の管轄権」『海幹校戦略研究』第1巻1号増刊、2011年8月、19〜27ページ。

 南シナ海は中国の主権が及ぶ海域であると中国は主張している。しかし、筆者はその四つの論拠がいずれも脆弱であると指摘している。

 どうやら、中国は国連海洋法条約の規定を無視して、排他的経済水域にも安全保障上の主権が及ぶと解釈しているようだ。それはあまりにもムチャクチャだろう。

 ところでこの『海幹校戦略研究』の海幹校とは海上自衛隊幹部候補生学校のことで、『海幹校戦略研究』は一見するとその紀要のように見える。しかし、ISBNが振られていなくて市販されてはいない。関係者に聞いたところ、これは広報用パンフレットなのだそうだ。新手の広報だ。

エズラ・F・ヴォーゲル『Japan as No.1』第5章「政治」

エズラ・F・ヴォーゲル(広中和歌子、木本彰子訳)『Japan as No.1—アメリカへの教訓—』ティービーエス・ブリタニカ、1979年。

第5章 政治——総合利益と公正な分配(122〜159ページ)

 日本は共同体の団結が強く、フェア・プレイよりもフェア・シェアが重視される。