古橋好夫「太平洋島嶼国間のテレコミュニケーション」

古橋好夫「太平洋島嶼国間のテレコミュニケーション」『太平洋学会誌』第24号、1984年、109〜122ページ。

 まだパラオ独立の10年前の講演録。ここで期待されているのは、予想以上に寿命が延びたATS-1という通信衛星の活用。海底ケーブルについてはほとんど言及がなく、人工衛星の時代まっただ中だったことがうかがえる。

 ATS-1についてはこちらも参照。

http://www.nict.go.jp/publication/CRL_News/back_number/007/007.htm

江副卓爾「太平洋横断同軸海底ケーブル」

江副卓爾「太平洋横断同軸海底ケーブル」『科学』第34巻12号、1964年、658〜659ページ。

 47年前の論文。ただし、論文と呼べるほどの長さはなく、見開き2ページのB4サイズ。著者は日本国際電信電話株式会社の人。

 1906年に太平洋の海底ケーブルは開通しているが、電信線1本だった。1956年に大西洋で同軸海底ケーブルが開通し、太平洋には1964年に敷設された。そこで使われた技術について解説している。細かい技術的な点はよく分からないが、大きなイノベーションだったことは分かる。

「透明性革命」とネットワーク

土屋大洋「『透明性革命』とネットワーク」『治安フォーラム』2011年8月号、34〜41ページ。

 本当は3月に締切だったものの、震災で私の原稿提出が遅れ、雑誌側も震災特集を急遽組むことになり、ようやく掲載になりました。

 先日の情報通信学会では明治大学の江下雅之先生が関連する発表をされていましたし、名古屋商科大学の山本達也くんも言っていましたが、アラブの一連のデモではアルジャジーラなどの既存メディアも重要だったとのこと。その辺は残念ながらこの原稿ではカバーできていません。

 ただ、拙著『ネットワーク・ヘゲモニー』ではカバーできていなかった中東デモやウィキリークスの問題をフォローできています。

日本のサイバーセキュリティ対策とインテリジェンス活動

土屋大洋「日本のサイバーセキュリティ対策とインテリジェンス活動—2009年7月の米韓同時攻撃への対応を例に—」『海外事情』2011年6月号、16〜29ページ。

 『海外事情』の情報セキュリティ特集に掲載していただきました。事前に名和利男さんが書かれていることは知っていましたが、他にも同僚の武田圭史さんや旧知の須田祐子さんなどが書かれいます。拓大の佐藤丙午先生のラインナップのようです。

 情報セキュリティではないですが、旧友の坪内淳さんも書かれています。

台湾の学会に参加

土屋大洋「日本のサイバーセキュリティ対策とインテリジェンス活動―東アジアにおいて高まる脅威への対応―」第一回現代日本研究学会年次大会、国立師範大学、台北、2010年11月25日。

 だいぶ昔の話になってしまいましたが、久しぶりに台湾に行き、学会発表をしてきました。台湾は何度も行っていますが、楽しいところです。学部の時の友人とも会って旧交を温め、いつもの李製餅家のパイナップルケーキも買い込みました。

 まずは台湾国立師範大学での日本研究センターの開所式典。台湾の外務大臣にあたる外交部長などVIPがたくさんいらしてびっくり。なぜだか分かりませんが、台湾では日本研究ブームが起きていて、アメリカでの冷え切った日本研究との温度差を感じました。

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 開所式典の後、現代日本研究学会が開かれました。60本以上の研究発表があり、会場の多くの人が日本語を話せるのに驚きです。基調講演はわれらが常任理事。

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 仕掛け人はこの人です。

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 会場の様子。

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 途中で少し抜け出して、台湾国立師範大学のキャンパスのカフェでお茶。11月末だけど暖かい台湾。

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 学会終了後に街歩きをしながらSOGOの本屋に入ったらジュンク堂でした。日本の雑誌や書籍のほうが売り場面積が大きくて、これまた驚きました。

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 こんな看板も出ていました。日本語が街中で普通に使われています。

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 今回、一番気に入ったのは、シジミの醤油漬け(鹹蜆仔?)。また近いうちに行きたいものです。

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ネットワーク・ヘゲモニー—「帝国」の情報戦略—

 約3年半ぶりに単著の新著が出ました。今朝印刷所から出てきて、早速昼過ぎに受け取りました。

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土屋大洋『ネットワーク・ヘゲモニー—「帝国」の情報戦略—』NTT出版、2011年2月17日、本体3400円+税、ISBN978-4-7571-0303-0

 ちょっと値段は高めですが、200ページ未満ですから、それほど苦もなく読めると思います。

 アメリカのMITにいる間に出したかったのですが、想定外の出来事が続いて間に合わず、帰国後もいろいろなことに忙殺されて遅れてしまいました。ともかくも出すことができて、MIT行きを支援してくださったみなさんに恩返しができました。ありがとうございました。まずは、アメリカ行きを押してくださった小島朋之先生のお墓参りに行ってこようと思います。

未来を創る情報通信政策

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国際大学グローバル・コミュニケーション・センター編著『未来を創る情報通信政策—世界に学ぶ日本の進路—』NTT出版、2010年。

前の職場であり、客員研究員をしている国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)の皆さんと本を書きました。私は終章の「インターネットの未来」を担当しています。ヨーロッパの仲間たちとやってきたプロジェクトの成果を盛り込んでいます。

他の章もGLOCOMの研究員と客員研究員が自分の得意分野について書いていて、おもしろいです。

GLOCOMが最近また元気になってきてうれしい限りです。

目次などは出版社のウェブを参照。

http://www.nttpub.co.jp/search/books/detail/100002100

九十九里浜でICPC

 毎年11月はICPC(情報通信政策研究会議)の合宿が恒例になっている。アメリカ西海岸から戻って一日休んでから九十九里浜へ。予定の特急は東京駅の京葉線ホームから出ることに直前になって気づき、東京駅に着いてから地下ホームへ猛ダッシュ。久しぶりに全力で走った。

 ICPCはだいたい半年ごとにやっていて、今回が13回目。よく続いているものだ。中身を漏らさずにディープに話ができるところがおもしろい。

 今回は風邪気味だったので早めに就寝。ところが午前4時に戻ってきた相部屋住人の豪快ないびきで目が覚める。時差ボケもあったのでそのまま起き出し、朝風呂へ。ロビーで仕事をしていたら、日の出は6時19分だと聞こえてきたので、私も海岸へ。あいにくの曇り空だったが気分が良い。

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 2日目の議論もいろいろ脱線しながら、刺激が多かった。

 帰路、予定を変更して実家へ向かう。つながらなくなっていたブロードバンドを復旧。1ヶ月も使ってなかったらしい。それでもたいして困らないらしい(ま、それなりに困ったから私に連絡が来たのだけど)。

西海岸へ

 11月11日の夜、正確には12日(金)の0時5分、羽田の国際線ターミナルから飛行機に乗り、ロサンゼルスへと向かった。羽田の国際線ターミナルが開業してから初めての利用だ。ゲートを離れた飛行機は、整備上の横をゆっくりタクシー(地上走行)しながら滑走路へと向かう。飛び立った飛行機は東京の夜景を少しだけ見た後、一路、アメリカへ向かう。

 ロサンゼルスへ着くと日付が戻り、11日の夕方16時55分になる。まだ外は明るく、カリフォルニアの青い空が見え、準備不足の出張だが、幾分気分が軽くなる。今回は同僚のSさんが一緒で、目的はサイバーセキュリティに関する調査である。本当は東海岸に行く予定だったのだが、メインで行きたいと考えていたところのアポが取れなかったこと、東海岸まで行っている時間がとれなかったこともあり、西海岸にした。木曜日に授業があるので、金曜日の飛行機に乗って東海岸に行くと、金曜日の夕方に到着になり、いきなり週末に入ってしまうが、西海岸だと金曜日がまるまる使えるのだ。

 といっても今回の出張では準備期間が短かったせいでロサンゼルスで会いたかった2組に会えなかった。そのため、金曜日はロナルド・レーガン図書館を再訪し、資料集めを行った。

 金曜日の夜にはサンフランシスコに移動し、週末と月・火はUCバークレー、スタンフォード、CDT(Center for Democracy and Technology)、EFF(Electronic Frontier Foundation)といったところを回る。9月に東海岸にちょっとだけ行ったときとは全然違う話が聞けておもしろかった。

 週末には20年来の友人Cに会えたのも良かった。バークレーには今回2回行ったのだけど、最初の日はフットボールの試合があって大騒ぎ。旧知のKさんがBRIEを案内してくれたのだが、その前には試合前のバーベキュー会場と化していた。Kさんと待ち合わせたStradaというカフェはフェルマーの定理が解明されたところだとか。ずっとここでお茶を飲みながら仕事していたいと思った。

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UCバークレーのキャンパス

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Caffe Strada:フェルマーの定理が解明されたところ?


大きな地図で見る

 スタンフォード大学は私が初めて行ったアメリカの大学。1週間ほど寮に潜り込ませてもらった。ブックストアの2階のカフェでも少し仕事。ここも懐かしい。キャンパスの中には間近に迫っていたUCバークレーとのフットボールの試合に合わせて「BEAT CAL」の巨大な垂れ幕がかかっていた。

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スタンフォード大学の垂れ幕「BEAT CAL(カリフォルニア大学をやっつけろ)」

 サンフランシスコのホテルは9年前の9.11のときに泊まっていたところと同じにした。来年で10年かと思うと感傷的になる。あれからアメリカも世界も変わってしまった。ウィキリークスの問題までつながっている。

 火曜日の夜にサンフランシスコからロサンゼルス経由で羽田へ。到着は木曜日の朝5時。飛行機に乗っている間に水曜日がすっかり蒸発してしまう。5時まで眠っていられるからいいやと思って搭乗後はしばらく仕事をしていた。ところが日本時間の午前2時半には食事で起こされてしまう。これは失敗。その日は午後から仕事だったので疲れてしまった。

Googleからオバマ候補への献金

 Googleと中国の問題についてカナダで議論していたとき、Googleはオバマ政権に多額の献金をしているという話が出た。

 こういうときにはopenscrets.orgである。確かに出ていた。

http://www.opensecrets.org/pres08/contrib.php?cycle=2008&cid=N00009638

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 2008年の大統領選挙におけるオバマ候補への組織別献金者で5位になっている。金額は$803,436(約6,500万円)。規制があるのでGoogleが会社としてポンと出したのではなく、個人やPAC(政治活動委員会)などを通じて小口で献金されたものをopensecrets.orgが集計したもの。マイクロソフトよりちょっと少ない。

 この献金があったから、Googleが中国とやり合ったとき、国務省が強くバックアップしてくれたのだろうという解釈がカナダで出ていた。Googleにとっては割に合うものだったのかどうか。

 しかし、カリフォルニア大学やハーバード大学は何やってるんだろうね。もちろん、OBが少しずつ出しているのだろうけど、大企業に並ぶ献金額になるというのも不思議だ。

「未来のインターネット」プロジェクト最終報告ワークショップ

http://www.internetfutures.eu/?p=187

 昨年から続けてきた「未来のインターネット」プロジェクトの最終報告ワークショップが11月22日にブリュッセルで開かれます。

 あいにく私はSFCのORFが重なっていて行けません。全くもって残念。

 報告書のドラフトはすでに完成していて、欧州委員会に提出済みです。以下からダウンロードできます。

http://www.internetfutures.eu/?p=194

ワシントンDCへ

 出張や旅行は計画しているときが一番楽しい。実際に出かける前日は終えておかないといけない仕事や用事が山積みになってイライラが高まる。今回のワシントンDC出張は某常任理事からの依頼で、慶應も参加しているU.S.-Japan Instituteのイベントの一環としてパネル討論をするというもの。急な話だったし、日程的に厳しいのでいったんは断ったのだが、他に行ける人がいなくてお鉢が戻ってきた。知り合いを集めてサイバー・セキュリティに関するパネルを9月8日の午前中に開くことになった。

 9月7日、ワシントン直行の全日空2便(B777-300)に乗り込む。見たい映画がたくさんあるのがすばらしい。パラオに行くときに乗ったコンチネンタル航空は見たい映画が一つもなかった。ユナイテッド航空に乗ることが多かったけど、全日空に切り替えようかな。ユナイテッドのマイルを消化してしまおう。サイバー・セキュリティのパネルだから、見たことはあったものの、『ダイハード4.0(Live Free or Die Hard)』を見る。ま、ハリウッド映画的なやりすぎだよね。「fire sale」という言葉を覚えたのが収穫。三段階のサイバー攻撃で社会を混乱に陥れるというもの。

 ダレス空港がきれいになっていてちょっと驚いたが、入国審査が延々と長いのは変わらず。ダレス空港の名前はJohn Foster Dullesから来ている。彼のことはいつか研究対象にしたい。ダレス空港からタクシーに乗ると緑の中のハイウェイを抜けていく。ワシントン近郊にはたくさんの緑があってうらやましい。ホテルはデュポン・サークルの近くなので、見慣れた道とは違う道を通る。ポトマック川沿いを走り、ジョージ・タウン大学(実は中に入ったことがない)を左に見ながらキー・ブリッジをくぐると帰ってきたという感じがする。

 ホテルで一休みしてから友人に会いに行く。昨年子供が生まれたばかり。9ヶ月にしてよちよち歩いて少しおしゃべりも。びっくり。

 夕食は知り合いと6人でデュポン・サークルのギリシャ料理へ。いろいろな話ができておもしろかった。

 ホテルに帰って翌日のパネル・ディスカッションの準備をして眠る。機内でほとんど眠らなかった割には元気だ。

 翌日、10時半から12時までHilton Washington Embassy Rowにてパネル・ディスカッション。ちょっと時間不足の感があったが、滞りなく終了。終わった後、米国政府のインテリジェンス関係者二人から名刺をいただく。これはありがたい。彼らも困っているんだろうな。何人か知り合いも来てくれていた。地元(?)のテレビからのインタビューをいきなり受ける。なんだかよく分からないうちにカメラの前でしゃべらされて冷や汗が出る。DVDを送ってくれるというがどうなることやら。参加してくださった皆さん、ありがとうございます。

パラオ訪問

 太平洋島嶼国の一つ、パラオに行ってきた。

 かつてパラオは30年以上にわたって大日本帝国の委任統治領だった。パラオまでは現代の飛行機でも、グアムでの乗り換えを含めて8時間かかる。大日本帝国政府はパラオに南洋庁を置き、産業振興を図ったが、よくこんなところまで来たものだと感心する。

 パラオというと南洋の暑い国というイメージだったが、意外にも夜は涼しくて過ごしやすい。酷暑日が続く東京から来ると、夜の涼しさは天国のようだ。無論、昼間は強烈な太陽が照りつけるので暑いが、東京のような交通渋滞や満員電車はない。

「パラオまで何しに行くんだ」と多くの人に言われたが、今回の目的はAPT(Asia-Pacific Telecommunity:http://www.aptsec.org/)という総務省がバックアップする団体主催のワークショップに参加することであった。テーマは無線ブロードバンド(http://www.aptsec.org/2010-WS-WBP)で、対象者は太平洋島嶼国の代表たちである。総務省はAPTを通じてこのワークショップに資金提供しているので、総務省からも担当官が来ており、挨拶もかねて日本のIT政策に関するブリーフィングを行った。

 それ以後は、無線ブロードバンドをめぐる規制や技術についてのプレゼンテーションとディスカッションが行われた。昨年、インドネシアのバリで開かれた大臣会合で「Bali Plan of Action」という文書が採択されており、それに沿った形で提言案を考えるのがゴールである。

 各国の事業者や規制者、それにクオルコムやインテル、インテルサットといったベンダーや事業者、さらに各国のコンサルタントも参加し、太平洋島嶼国を念頭に置いたソリューションのプレゼンテーションもあった。

 太平洋島嶼国の課題は二つ。(1)小さな島々をどうやってつなぐか、(2)国際回線をどうやって確保するか、である。

 島が一つだけであれば、その島の中にネットワークをつなぐのはそれほど難しいことではない。むしろ、小さい分だけ簡単だともいえる。例えば、WiMAXとWiFiを組み合わせればそれなりのネットワークは構築可能である。電波も混み合っているわけではない。

 しかし、太平洋島嶼国の多くは無数と言っても良いくらいの小さな島々で構成されていることが多い。人口が数十人しかいないという島もある。そうした小さな需要のために設備へ投資しなくてはならないとしたら大赤字になってしまう。音声電話だけならマイクロウェーブ波の無線でも良かったが、インターネットを想定するなら光ファイバーによる海底ケーブルが欲しい。これが第一の課題である。

 さらに深刻なのが、第二の問題の国際回線の確保である。音声通話の時代には人工衛星による通信が主であり、国際電話や国際ファクシミリは国営事業者にとって大きな収益源であった。しかし、電子メールが使えるようになると国際電話や国際ファクシミリの利用は急速に減り、収益も減少するようになった。さらに、インターネットのコンテンツはどんどんリッチになり、帯域を必要とするようになる。そうすると、人工衛星では大きな需要を裁ききれなくなってきた。例えば、2010年8月現在、パラオでは三つの人工衛星回線を使ってインターネット接続をしているが、合わせて30メガbpsしか帯域が確保できていない。人口が少ないとはいえ、島内の需要を満たすのは難しい。

 そこで、光ファイバーの海底ケーブルが必要になるが、その敷設には莫大な資金が必要になる。その資金をまかなえるだけの事業規模がほとんどすべての太平洋島嶼国で確保できない。米国領のグアムは米国の重要な軍事拠点となっているために、大容量の光ファイバーが接続されている。しかし、グアム(米国)やオーストラリア、ニュージーランド、台湾、フィリピンといった国々との海底ケーブル接続を行うためにはそうした国々が納得するうよな事業規模と収益が見込めなくてはならない。

 インターネットにおける相互接続では、規模の小さなネットワークが規模の大きなネットワークに料金を支払うことになる。同規模同士のネットワークならばピアリングという料金相殺を行うことができるが、太平洋島嶼国の場合は、どうしても料金を支払って接続してもらうという構図になってしまう。国内で十分な収益が確保しにくい上に多額の国際接続料金が必要となれば、海底ケーブルによる国際接続は現実的なオプションではなくなっている。「つなぎたいけど金はない」という状態を脱しないことには太平洋島嶼国のデジタル・デバイド解消は不可能である。

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 今回のワークショップを通じてもブレークスルーは見つからなかった。私にとって新鮮だったのは、O3bという人工衛星を使ったサービスである。GEO(静止軌道)でもLEO(低軌道)でもなく、中間のMEO(中軌道)の人工衛星を使い、各衛星は毎日地球を4周する。一つの衛星は10本のビームをだし、1本のビームは400メガbpsから1.1ギガbpsの間の通信容量を持つ(最大で下り600メガbps、上り500メガbps)。しかし、いまだしっかりとしたサービス実績があるわけではないようで、料金もよく分からない。地上で10キロごとに受信アンテナを作らなければいけないということも課題のようである。

 今回のワークショップで私にとっての成果は、太平洋島嶼国の当事者たちが何を考えているのか、生の声を聞けたことである。頭では難しい問題と分かっていても、実際に会って話をするとより多くの情報が伝わってくる。彼らも自分たちの課題を痛いほど理解しているし、それが解決できないことに非常にいらだっている。APTがそうした当事者たちの声を束ねる場になっており、それに日本が資金を出してくれていることに感謝してはいるものの、それだけで話は進むのかとイライラしているのだ。

 それでは日本が援助すれば良いではないかという声もあるが、日本のODA予算は1997年を頂点に、その後はどんどん減ってきている。財政赤字の拡大が大きな要因である。総額が減り続ける中で、通信関連のODA予算は総額の1%を切っており、どんどん縮小傾向にある。

 また、被援助国によっては通信事業はすでに民営化されており、民間会社を直接的に支援することも難しい。音声電話の基本サービスならまだしも、インターネットは「贅沢品」とする見解もまだ残っている。

 最終日、ワークショップは昼で終わり、午後は地元のPNNCという国営事業者を見学。写真の二つのアンテナのうち、上を向いているのがインターネット用、斜め上を向いているのが音声用とのことだった。

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 飛行機は夜中の1時発である。PNNC見学の後、ボートに乗り、ロック・アイランドというダイビングの名所に連れて行ってもらう。本格的なダイビングではなく、シュノーケリングだが十分楽しめた。あいにく雲があったが船上で夕日が沈むのを見て、港に変えるまでは久しぶりに天の川を眺めた。開発が進んでいないからこその美しさだと思うと複雑な気分になる。

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インターネットの未来(未来のインターネット)

 前にも紹介した通り、ヨーロッパのプロジェクトで未来のインターネットに関する研究を行っている。

昨年の9月にブリュッセルでワークショップがあり、今年の3月にボストンのMITで、そして、5月に東京でワークショップを開いた。その報告がウェブに載った(ボストン東京)。ご協力いただいた皆さん(その多くがICPCのプログラム委員とアドバイザリー・ボードの皆さんです)、ありがとうございます。

そしたらスウェーデンの海賊党からメールが来た。おもしろいもんだ。返事しなくちゃ。

最初は私も勘違いしていて、「インターネットの未来」に関するプロジェクトだと思っていたけど、「未来のインターネット」が正しかった。

私にとってはヨーロッパは暗黒大陸。何が起きているのかさっぱり分からない。

中国は広大なコモンズ

 週末に大学院生たちと合宿。課題論文のうちの一つは中国政治について扱ったものだった。議論の中で、中国の土地はいまだに国有になっている話に及ぶ。まるで私有地のように家は建ち、工場が並んでいるが、原則として利用権を得て利用しているだけだという。無論、先祖代々そこに住んでいるという例もあるのだろうけど、いざとなれば政府は立ち退かせることができる。

 これは電波の世界で議論しているコモンズの話に他ならない。

 電波帯域は技術によってある程度「広がる」可能性があるが、一般的には土地のように限られた資源である。誰がどの周波数帯を使うかは、土地をめぐる争いと似ている。日本では電波を使うには免許を取らなくてはいけないが、いったん免許をもらうと実質的に居座ることができた。地デジ化は特定の電波帯域からの立ち退きを迫るという点で画期的なことだ。

 そう考えると、中国の国土利用はすごい可能性を持っていることが分かる。3月に同僚の加茂具樹さんと揚州市というところに行き、畑の真ん中に政府が一気に道路を敷いている様子を見てきた。国土という広大なコモンズを中国政府はいざとなれば自由に使えるのだ。成田空港や普天間基地のような問題は起きない。すごいなあ。

情報通信学会

 学会ネタが続きますが、6月26日(土)〜28日(月)に早稲田大学で情報通信学会があります(公共選択学会と重なっていますね)。26日(土)16:20〜17:50のパネルで司会をします。KDDI総研の斎藤隆一さん、高崎晴夫さんの発表と、濱野智史さんの発表が予定されています。

 ただし、まだ学会のウェブではプログラムが発表されていないので、確定版ではありません。

 28日にはエリ・ノームの講演もあるようです。

公共選択学会

 似たような名前でまぎらわしいですが、6月26日(土)と27日(日)には公共選択学会がSFCであります。こちらでは27日(日)のシンポジウムII「公共選択新時代を先導するICTの潜在力」(13:00〜15:20)というのに出ます。

通信と放送、融合への早道は

これも2年前に産経新聞に載せてもらったもの。著作権云々はまちがっていた気がするけど、本論は今でもそう思うし、実際に進んできていると思う。

土屋大洋「通信と放送、融合への早道は」『産経新聞』(2008年2月27日)。

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