左京大夫道雅
今はただ思ひ絶えなむとばかりを
人づてならで言ふよしもがな
恋してはならない相手に「あきらめましょう」と一言だけ、人づてでなく伝えたい
(もう一度逢いたい)という思いを詠んだ歌である。恋してはならない相手とは、
伊勢の斎宮であった当子内親王であった。
さて、話は変わる。競技かるたを始める際には、序歌を詠む。競技かるたの詠みは
2枚目以降は前の歌の下の句を詠み、1秒の間のあと次の上の句を詠むことになっ
ている。しかし、1枚目の詠みの時は、詠むべき前の歌がないので、取り手が詠み
の雰囲気を知るとともに、次の上の句に続く下の句を詠むために、序歌を詠むので
ある。ちなみに序歌の下の句は2度詠む。序歌の下の句2度目の詠みあとに1枚目
の詠み札が朗詠されるのである。
序歌は小倉百人一首以外の歌なら、何が詠まれても悪くはないのだが、全日本かる
た協会では、佐々木信綱氏の選定で指定序歌を定めている。
難波津に咲くやこの花冬ごもり
今を春べと咲くやこの花
この歌は、古今和歌集の仮名序に登場し、枕草子21段にも誰でも知っている歌の
たとえとして引用されている。ただ、仮名序では「今を春べと」ではなく「今は春
べと」と記されている。
これは、「今は」であると、序歌の下の句の2度目の詠みの際にここで取り上げた
「今はただ」の札と取り手が間違える可能性があるので、それを防ぐための措置で
もあるらしい。このようにし
ていても、実際、「いまは」の札と「いまこ」の札が同一陣内にあって「いま」決
まりになっていたり、「いに」の札を加えて「い」決まりになっていたりすると、
序歌下の句2度目の詠みで札を払ってしまう競技者をたまに見かける。回りもびっ
くりするが、何と言っても一番動揺するのは、払ってしまった本人である。気をつ
けたいものである。
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