右大将道綱母

嘆きつつ一人寝る夜の明くる間は
   いかに久しきものとかは知る


 作者は「蜻蛉日記」を著した藤原倫寧女である。夫藤原兼家との間に後の右大将道 綱を生んだところから右大将道綱母とも呼ばれる。兼家の子は他には、中関白と 呼ばれた道隆や「望月のかけたることのなしと思へば」と詠んだ道長がいる。子の 出世の差は、母の出自の差であったのか、それとも本人の能力の差であったのか…?
 この歌は、町の小路の女のところに通う夫兼家を門前払いした時に詠み送ったもの である。権勢を誇った兼家と才気溢れる彼女のやりとりの面白さや、当時の通 い婚の習慣が、蜻蛉日記のエピソードからうかがえる。

 ところで、百人一首の中には様々な鳥獣などの生物が出てくる。
 たとえば、「山鳥」「鹿(しか)」「ととぎす」「きりぎりす(こおろぎ)」「かささぎ」 などである。子供の時分には、こういう歌が耳に残り、はやく覚える札となる。植物 や地名なども、百人一首で耳慣れて覚えたものも多い。「ももしきや」で、アンダー ウェアを思い浮かべ、「かくとだに」は「かくと谷」という地名なのか昆虫の「ダニ」 の仲間なのかと思ってみたりという経験を持つ方も多いのではないだろうか。
 そして「牛」と「烏賊(イカ)」である。取札の冒頭に書いてあるから、子供としては イメージしやすく探しやすいのである。これが「ナガラウシ」(ながらえば…BY藤原 清輔朝臣)とここで取り上げた「ナゲキイカ」である。語呂が良いせいか、この呼び 方で親しまれている。とにかく、どんな語呂合わせであっても、まず、歌を覚えるこ とが、かるた競技への第一歩である。
 親しみやすい歌の例として、ここに紹介した。

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