
なぜ、我々は官に従うのか。まずは、語源から考えてみたい(資料7)。
「公(おおやけ)」とは「ム=私」に「ハ=反する」という意味である。この「公」を昔は「大宅」と書いた。これは、国民から集めた倉を指し、倉の中に入れたものは公のものであるから、人民は絶対に手を触れてはならないという考え方を表している。この論理からは、情報公開という考えは生まれない。役人は、集めた権力を利用するが、それを国民に分けることはない、ということになる。ここでは、情報を囲い込むことを公と言っている。
一方中国では、韓非子は「自ら営む者之を私といい、私に背くこれを公という」と述べているように、私が大切なのであって、その私を押さえつける公というのは良くない、と考える。
欧米では「公」を「public」と表現する。「public」とはラテン語で「publicus」のことであり、「populous」という意味。「populous」とは言い換えれば「people」となる。つまり「公」とは「OPEN
TO ALL」を表す言葉なのである。すべての人に開放するのがpublicであり、開放しないことがprivate。日本とは、全く逆である。日本がいかに公というものを中心にしてしまったかが分かる(資料8)。
日本の歴史からは、「和をもって日本と為す」という考え方が読み取れる。
明治維新直後、瓦焼きの業界団体は、問屋の株仲間を認めてもらうかわりに、冥加金を上納する、という約束をしている。お金を出して、業界の権利を認めてもらおうとする思想が、明治の初めには、既に出ていた(資料9)。政府に対して、きちんと文句が言える体制ではないのである。
また、明治期における殖産興業、富国強兵とは、国がたくさんお金を持ち、軍隊のために使おうとする政策であった。個々の国民を豊かにすることではなかったのである(資料10、11)。大正10年の第1次大戦後の反動恐慌、同12年の関東大震災、そして昭和2年の金融恐慌、昭和5年の昭和恐慌により、土地の価格が暴落し、不良債権が発生した。これを日本銀行が救済した。そのつけは、当時の台湾銀行が被ったのだが、同行債権の約80%が不良債権化するという事態を引き起こした。財界人グループが不良債権を買取り、同行を救済したのだが、後日、それら債権が健全化したため、救済のつもりが、儲かってしまったのである。財界人に対して、新聞は「悪徳商人」と書き立てた。軍部は、その悪評を利用して、財界人エリートを、そして、監督不行届きとして官僚エリートを一掃しようとしたのである。
このようなことがあり、軍部が力を持ち、昭和13年の国家総動員法の成立となった。それを受け、第一次近衛内閣の時に、落ちこぼれがでないように業界全体を助けていく護送船団方式が完成された。これが昭和16年(1940年)のことである。
日本は、昭和恐慌を通じて、結果的に一つのシステムを作り上げた。その特徴を3つあげれば「間接金融」「労働慣行」「官僚機構」である(資料12、13)。
間接金融システムとは、市場から直接資本を集めるのではなく、銀行が将来の含み益を当てにしてお金を貸すというものである。経済成長がなければ、含み益がでないため、経済の右肩上がりを前提としたシステムである。


