優秀レポート(2) 「電気事業の今後の展望に対する感想」 環境情報学部2年 尾澤重知

 今回の東京電力株式会社会長、那須翔氏の講演は「電気事業の今後の展望」がテーマであったが、わたしのレポートでは電力事業に限らず、広く「規制緩和」について述べたいと思う。

 那須氏は講演の中で「民」と「官」の区別を積極的になされていたが、わたしはこの区別は問題の本質ではないと思う。日本においては、先の薬害エイズ問題に典型的に見られるように一部の民間企業、官僚、そして大学(研究期間)が癒着関係を保っていることが事実として存在するからだ。現在もまだ癒着の状態にあるならば氏の仰せられる「民」と「官」の区別はほとんど意味を持たないだろう。もちろん現在は以前以上に「民」と「官」の対立の図式が見られる。それが規制緩和の問題だ。しかしこの場合にも「民」「官」に大きな違いがあるわけではない。NTTの分割議論が示すように、利権や権力を巡り「民」と「官」の立場が逆転する例もあるのだ。「民」も「官」も組織として権限拡大を図ろうとしているならば積極的区別の意味がないことをここで強調しておきたい。 

 以上のような現状を打破するためには、規制緩和を利権・権力の移動ではなく解体としてとらえるべきだろう。現在の規制緩和の議論のポイントでずれているのはまさにこの点だ。NTTの分割化は、郵政省の権威を高めるためのものではない。規制緩和は「民」「官」ともに利権や権力を分散することに意味があるるはずだ。しかし、そのような規制緩和がおこなわれたとしても、現在の日本の閉塞状況を打開するのに不十分だ。なぜならば日本における利権や権力は目に見えない形でなおも存在し続けるからである。それが慣行・習慣である。これら利権・権力を生み出している限り、表面的な規制緩和のみでは利権・権力の集中を打ち壊すことができない。確かに日本の慣行・習慣は日本型経営として積極的に評価しうるものであるが良い面はそのままにし「自己責任説明」の範囲内で明文化して利権・権力への歯止めをかけるべきだ。アカウンタビリティと言い換えることができるが、現状の日本においては「民」「官」「学」どこにおいてもこのアカウンタビリティの欠如により、国民の多数が不利益を被ってきているのである。 

 ところで東京電力では今後の電力不足という負の問題に対し、積極的なテレビコマーシャルによって「節電」を呼びかけている。負の情報を提供することによって自らの権威を低くする可能性がある点から考えるとこのコマーシャルは自己責任説明の一種と考えられる。しかし原子力発電所に関しては明らかに不十分ではないだろうか。安全性を説明することがあっても危険性を説明することはなく、極めて一方的な情報伝達である。否定的な視点からみるとテレビコマーシャルの節電広告にしても単なる呼びかけであって、長いスパンでの深刻な電気不足や資源不足を説明するものでもない。負の可能性を知らせることによって短期的な営業活動に支障をきたすことも考えられるが、医師のインフォームドコンセントやPL法の施行でみられるように、長いスパンで見た場合には重要であることは間違いない。

 学生の質問でわたしと同じような視点から「テレビコマーシャルでは電気不足問題に関する説明が足りないのではないか」というものがいたが、その際の那須氏の回答は形式的だった感がある。「テレビ局にガイドラインがある」のは確かに理由ではあろうが、根本的な根拠にはなりえない。いうまでもなく東京電力は大口スポンサーでありテレビ局に対して積極的意見を述べられる立場であるはずだ。しかも出資会社である日本テレコムやアステルは電気通信分野ではないか。テレビ局で説明ができないのなら、その他のメディアを通して自己責任の説明をおこなっていただきたいし、そうするべきである。インターネットを活用する手もある。現在の東京電力のホームページは、負の説明を取り入れるところまできていない。 

 確かに、説明をしたところで民主的にすべての了解が得られるわけではないが、負の情報を隠し続けることによって利権や権威を保ち続けることは許されることではない。現在可能な第一歩は、負の可能性について詳細な情報を提供するべきだ。もしテレビコマーシャルのガイドラインが本当に原因だとしたら、放送局という「民」の見えない規制を解体・分散しなければならないだろう。それでこそ東京電力という組織としての責任を果たすことであり、あるべき姿であるとわたしは考えている。

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