時事通信社「地方行政」1999/8/5掲載記事

企業経営の手法導入で講座開催−東京

自治体を抜本改革するコツとは
−行政経営フォーラムと早大アークカレッジ−

 非営利の自主研究グループ「行政経営フォーラム」と「早稲田大学アークカレッジ」は東京都内で「これからの日本のパブリック・マネジメント(公共経営)」をテーマににした講座を開いた。

 自治体の首長、職員や研究者ら約百人が参加する中、企業経営の手法を行政にいかに応用するかを論点に、現在の行政の問題点と抜本改革の進め方などを探った。特に、国鉄の分割民営化や映画「スーパーの女」に学ぶ改革のリーダーの在り方、改革のイニシアチブのとり方など、実践的な講演を柱に据えたのが特色で、主催者は「等身大の行政改革はどこでもできること。単なる勉強に終わらないで、明日からでも何か実行してほしい」などと強調した。この講座で議論された、自治体を抜本改革するコツとはいったいどんなものか。

自立した現場が不可欠

「現在の行政には四つの問題がある」――。最初に講演した上山信一行政経営フォーラム主宰は、行政改革のポイントをこう分析した。これを打破しないと、例えば中央省庁の再編や地方分権も、単なるキャンペーンにすぎないと主張する。

 その問題とは、第一に法令遵守主義だ。「今の役所は、六法全書や法令集の方が、目の前のお客より大事。法律が大事なのは形式論としてはそうだが、目の前のおじいさんが印鑑がないから出直すように言われ、すごすごと帰ってゆく。この後ろ姿と法律とどっちが大事なんだ、という議論が出てくる」。つまり、法令遵守主義を顧客志向へ転換することが不可欠だと解説する。

 第二は予算消化主義だ。「単年度予算である以上、今年度分は使い切らないと損だ。無駄なものに使って、来年度予算獲得のためのアリバイをつくる。これはやめた方がいい。魂が汚れる」と、業績や結果で評価する成果志向に改めるよう訴える。

 第三は上意下達だ。「行政はいじわるだという人がいるが、局長から現場の人まで、だれにも悪意はないと思う。会えばいい人で、話も分かる。それが組織で意思決定しようとして硬直的になっていしまう。目の前で困っているおじいさんがいれば、現場で対応すればいい。いちいち局長や課長に話を聞かずに現場で決める、こういう経営に変えるべきだ。それがスピードアップにもなる。いろんな人に相談しては話が決まらない。過去の経験にとらわれるような人に相談していると、上にあげるほど話しのレベルが下がる。民間企業でも最近は、現場の二十歳代後半くらいが経営センスに優れていて、一番駄目なのが役員クラス。社長と三十歳くらいの社員がサシで話している企業が、一番よく回っている。現場の英知を使いましょう。」このように現場の自立経営を確立することが必要と強調する。

 第四は事後の情報公開だ。「やっと情報公開が始まったが、納税者からすると当たり前のこと。積極的に住民に手伝ってくれと言わないと、行政経営できないのが現状だ。金ない、人ない、知恵もない行政機関が(事後に)『何をやっているのかみなさんにお見せすることにした』と言っても、楽しいものは何もない。それよりも、次に何をするのか早く説明してもらいたい」。行政が進んで事前に住民に話しを持っていく積極的マーケティングの導入を力説する。

手法より理念を

 こうしたことから、最近では、ニュー・パブリック・マネジメント(NPM)理論が注目されているという。

 大住荘四郎新潟大学教授によると、NPMとは、民間企業の経営ん考え方や手法を可能な限り公共部門(行政)に導入し、公共部門を効率化・活性化させようと言う行政経営論。一九八〇年代半ば以降、小さな政府志向を背景としてイギリスなどを中心に、行政実務の現場で実際に実施された施策を後から理論かして形成されたと言う。

 NPMのコンセプトは、第一に「予算や人の配置など経営資源の使用に関する行政の裁量を広げ手続きではなく、業績や成果で行政をチェックすること」こと。第二に市場のメカニズムを活用すること。例えば、公的企業の民営化、民間委託、PFI、エージェンシーなどだ。第三に顧客主義への転換、第四に組織の簡素化などが挙げられる。市場メカニズムの活用は、橋本行革におけるPFIやエージェンシーなどの形で日本でも導入されたが、大住教授は「日本は単なる個別手法の適用にとどまっている。イギリスなど他の国は、目的や理念を明確にして、そのために手法を編み出した。日本はまったく逆。このままでは効果が限られ、(先進国を見習うことができる)『後発者の利益』も享受できない。何をするのか、(手法より)理念を学ぶ方が先ではないか」などと批判する。

問題先送り傷口広げた国鉄

 JR東海の葛西敬之社長は、国鉄改革の過程で学んだことを講演した。講演ではまず、八七年に分割民営化された国鉄の歴史を五期に分け分析した。

 それによると第一期は六三年までで、独立採算にこだわった時代。その機運は、当時の総裁が入社式で話した「線路をまくらに討ち死にする覚悟でやれ」という言葉に象徴されるという。

 第二期は、六三〜六九年で、首都圏の通勤路線強化などのため、不採算投資に踏み込んだ時期。赤字が出始め、「採算がとれなくても国に代わって建設するのだから、倒れたら国が助けてくれるはずだ」と言う声が内部でも出た。

 第三期は六九〜七六年で、最初の再建計画を打ち出した段階。再建には、利用者(運賃)、納税者(税金)、国鉄(合理化)の「三方一両損」が必要をしたが、「抜本改革を先送りする内容で、これでは良くならないことを社員みんなが知っていた」という。特に七一年に焼却前赤字となってからは、財投で対応してもらい「不沈艦」意識ができ、社員の気持ちを荒廃させたという。

 第四期は、七六〜八一年で、国が支援を大幅に強化した時期。そして第五期が八六年までで、最悪の経営状態に対応し、「後のない計画」として経営改善のための計画を打ち出した段階だ。しかし、これも問題を先送りする計画で、絶対達成できないとして、国鉄内部では、「死産の子供」などといわれてきたと言う。こうしたなか、葛西社長らは当時、臨時行政調査会(第二臨調)が行政改革を議論していたことを踏まえて、分割民営化の抜本改革が必要だと主張。反対が圧倒的多数で、できると確信できる人は、いなかったが、改革に乗り出し、何とか実現できたと言う。

経営最悪でも「今のままがいい」

 その国鉄改革で得た教訓は――。

 第一に、組織人、会社人間の限界だ。「経営が悪くなっても、それでも今のままがいい、と組織人や会社人間は大多数は思う」。そして現状に固執する。自治体や会社、組織が崩れる時に、よく「こんなにひどいのに、なぜ放置していたのか」という疑問が出るが、内部にいれば改革の必要性さえ認識できない。「組織、会社の枠を超えた目で、ものを見なければ役に立たない」わけだ。

 これを反映して、第二に「抜本改革は自発的にはできない。外科医は自分の盲腸は切れても脳は手術できない」という点も留意しなくてはならない。

 とはいっても、第三に「内部で呼応する者がいなければ改革はできない」。内外の改革者が力を合わせることが必要という。

 第四に「遠山の構え」重要性だ。「分割民営化はほとんどの人が『できるわけがない』と言っていた。そんな中、改革を実行したが、その際、遠くの山を見ることで、大局を見失わないようにすることが大事だと感じた」

 このほかにも、「自己否定は改革の出発点」「戦う決意を固めたものだけが戦いを回避できる」などの教訓を披露。最後に「民営化自体に奇跡を起こすふしぎな力があるわけではなく、合理化など、その過程での努力があった。JRも政治的妥協の産物で、経済合理性を徹底したものではない」と、民営化ですべてが解決すると言う安易な考え方に警鐘をもらした。

「スーパーの女」に学べ

 玉村雅敏慶応大大学院生らは、伊丹十三監督の映画「スーパーの女」が経営改革の最高の教材だと主張した。スーパーの女は、今にもつぶれそうなスーパーマーケットを、その経営者の幼なじみの女性が立て直していく様子を描いた映画。実際のスーパー社長が原作を書いただけあって、全体の話の中にはリアルなエピソードが数多く盛り込まれている。

 玉村氏らは、五つの改革のステップ(図)を基に、その映画から学ぶべきことを説明する。主な点だけを列挙すると―。

 映画では、精肉の値札が特売日の安値のままで翌日も掲げられ、レジの女性にお客から苦情が出ていることを描写。責任部署である精肉部に対してスーパー内のだれも是正を求めていなかったため、女性主人公が値札の直しを要請すると、同部の職人は「忙しい」との返答。結局、値札は直されたが社内の職人の意向が顧客より優先されている実態が浮き彫りにされている。これが問題認識の段階だ。

 次に、店員やパートで働く主婦らスーパー関係者が集まり、顧客(主婦)の意見を聞く試食会を設定すると、おにぎりのたらこがおかしいとお客が指摘。調査で、業者がごまかしていたことが判明して、改善を依頼。再び試食会を実施すると、みんな「おいしい」と口々に話し、お客に直接接したことがなかった業者は、「こんなに感激したことはない」と涙を流す。こうした過程で女性主人公に共感し、改革を志す人が生まれていく。

シンボルの否定を

 だが大きな障壁にぶつかる。包装の日付を変えた上で売れ残った食品を再び販売する「リパック」の是非だ。廃止を求める女性主人公ら“改革派”に対して、店長らは「商売の知恵」「日付はパックした日を記載しているので、うそをついていることにはならない」「これまでの社の方針だ」などと猛烈に反発。双方は激しく対立するが、結局経営者がリパック廃止を決め、“非改革派”のシンボルであるリパックの否定に成功する。これがアプローチ、実践の段階だ。

 こうした過程で、このスーパーは盛り返し、うだつのあがらない経営者は自身を持ち始める。スーパーのオーナーが持ち込んだ売却話に対して「正月まで待ってほしい。それまでに業績を上げてみせる」などと、たんかをきる。そして、その目標に向かって店員が頑張る。これがトップのコミット、全員の参画に当たる。

 以上、「スーパーの女」によって、上山氏らは「改革をリードするとはどういうことか理解できると思う。だれでもできることなので、映画を参考に実践してほしい」と訴える。

 映画では、“非改革派”は、肉の横流しなどを行った悪者として描かれている。しかし、悪者でなく善人であったとしても、改革の障壁であることには変わりがない。役所では、ある職員が「市民(顧客)主体」の行政を訴えても、前例重視の体質から、ほとんどの幹部は改革に否定的となりがちで、その必要性さえ認識できないケースが多い、スーパーの女を見た人はだれもが、店長ら非改革派はスーパーを良くしようという熱意に欠けていると映る。自らの役所でこの店長らのようになっていないか、自治体幹部は自問することをお勧めする。

「失敗は許されない」の誤り

 最後に開かれたパネルディスカッションでは、フジテレビの政治記者から転身した長島一由神奈川県逗子市長、建設会社から「官」世界に入った若園義彦埼玉県鶴ヶ島市立図書館長、広告会社から神奈川県職員となり退職して教壇に立つ後藤仁神奈川大教授らが参加し、体験談などを話した。

 長島市長は、「もともと国政志向だった。衆院議員をねらって世界のに飛び込んだ。(逗子市長につく前に)衆院選挙を待つつもりで一度、鎌倉市議になり、そこでたまたま談合問題を追求し、入札システムの予定価格の事前公表をやり始めた。これが先進モデルとなり、各地から問い合わせが殺到し、広がっていった。この経験から、むしろ地方の方が(世の中を)変えられるのではないかと感じた。知り合いから、五万人くらいの市の方が先進的なことができると言われ、逗子市長選に出馬し当選した」などと、自治体から改革を進めることの重要性を力説した。

 「民」から「官」の世界に入って感じたことについては、長島市長は「前例主義に陥る」「コスト意識が低い」「情報発信する意識、プレゼンテーション能力が低い」「スピードが遅い」「公平性を非常に重んじる」などを列挙。若園館長は「官尊民卑の思想が徹底していると感じた」「人事評価のないところと思う」「指示文書など非常に悪文で何を訴えたいのか良く分からない」などを挙げた。

 特に、民間から転じた人にとって「前提としてミスが許されないと言う考え方」(長島市長)には違和感が強いようだ。後藤教授は「(官は)失敗が許されないとよく言う。しかし、失敗したくなくても失敗することがある。失敗には価値がある。隠さないで、教訓を学び、次に生かすことが重要なのに失敗は許されないと言ってるから、失敗したら抹殺してしまう」と、官の理論の異常性を指摘した。

 これら「民」と「官」の両方を経験したパネリストの話を受けて、上山氏は「官民相互の人事交流が重要だなと感じた。また、民間委託など、民間との付き合い方なども研究してみたい」などと締めくくった。

(神谷秀之=内政部)