「公共建築」174号 (社)公共建築協会 2002/10行政経営にマーケティングの発想を 千葉商科大学 政策情報学部
専任講師 玉村雅敏
1.地域経営とマーケティング
「地域経営」という観点から考えたとき、地域を豊かにするために行われている活動や政策には、多種多様なものがあります。例えば、
・都市開発や学校教育など、行政が主導して進めている活動や政策
・まちをきれいにしよう、お年寄りを元気づけようと、町内会が行っている活動や政策
・地域の教育問題を自分たちで改善していこうと、PTA、NPO(非営利組織)が行っている活動や政策
・地域での豊かな食生活を提供しようとするスーパーやコンビニなどが行っている活動や政策
・コミュニティのメンバーがコミュニティのために行う「コミュニティ・ビジネス」による活動や政策 など。このように並べてみると、実際に行政だけで直接実施できる活動や政策というのは、地域全体で必要とされるものの一部にすぎないということに気づきます。
また、活動や政策によっては、行政を介さないで、住民同士で片づけた方が早いこともあります。例えば、子供の遊び場づくりをする際に、土地も労力も住民のボランティアワーク(グランドワーク運動)で進めることや、老人を元気づけようと町内会でお互いに訪問することなどは、行政を介していたら、逆に手間と時間、お金がかかりすぎてしまいます。
このように考えてみると、まちや地域を豊かにするには、行政だけではうまくできないことも多く、多種多様な行動主体(NPO、民間企業、町内会、地域コミュニティ、学校、家庭、個人など)が自発的に行動して、ともに手を取り合い、行政とも協力しあって、必要な活動や政策を生みだし、実行して、さらにその成果を確認して前進していくといった状態をつくる必要があります。こういった発想から、青森県では「政策マーケティング」という活動を進めています。
「政策マーケティング」という言葉を聞いたとき、それは、行政の活動を住民にわかってもらう(売り込む)活動かと思うかもしれません。確かに、かつては、マーケティングというと売り込み活動や広報宣伝活動を指していたこともありました。しかし、現在、売り込み宣伝活動だけを指してマーケティングということはまずありません。
そもそも、マーケティングとは言葉の通り「Market + ing(=市場づくり)」という意味です。現在完成している商品を売り込むことだけではなく、まだ完成していない商品の潜在的なニーズを探りだし、市場に並べる商品を創造することや、「市場(=多様な価値が交換され、関係者に満足が提供される場)」そのものを創ることもその範疇となります。すなわち、マーケティングとは、モノをつくる(生産)・売る(販売)だけではなく、顧客の潜在ニーズを獲得することや、市場を形成することなど、企業や組織の活動すべてを包括する概念であり、関係者すべてに持続的に満足を提供していく仕組み(市場)をつくることも意味しています。
このように考えると、地域経営や政策といった公共的な領域においても「市場づくり(マーケティング)」がありえます。住民が抱く潜在的な「政策ニーズ」を探り出し、そのニーズを満たす政策や活動を創造し、提供していく社会的なプロセスを実現することや、多種多様な政策の担い手間でのやりとりを通じて、様々な政策や活動が生み出され、かつ関係者に満足を提供していく「政策市場」をつくることも必要なことといえるでしょう。
前述のとおり、行政以外にも多様な政策の担い手がいます。地域を豊かにするには、多様な担い手の行動を誘発し、連携した活動を促していくことで、必要な政策や活動を生み出していく必要があります。これも、一種の「マーケティング(市場づくり)」ということができます。
青森県では、その推進役としての役割を「政策マーケティング委員会(独立の意思決定権を持つ、県が設置した第三者委員会)」が担い、政策市場づくりの様々な活動に取り組んでいます。
その活動の一環として、「政策マーケティングブック」を2000年より年1回発行しています。この冊子には、マーケティングリサーチの手法(グループインタビューやアンケート調査など)を活用して明らかにした、県民が求める政策ニーズの実態と、その変動状況を掲載しています。具体的には下記の内容が掲載されています。@ 政策目標:「県民がより満足した人生を送れる青森県」を実現するための具体的条件(4個)
例:もしやの不安のない暮らし、人や地域とのつながりの深い暮らし、などA 点検項目:政策目標を実現するために特に重要とされた政策ニーズ(27個)
例:地域で十分な保健・医療・福祉サービスが受けられる、住み慣れた地域社会で死ぬまで暮らせる、子どもが楽しく意欲的に学習できる、などB 評価指標:点検項目の改善度合いを確認するために、点検項目を数値指標に置き換えたもの
例:保健・医療・福祉サービスの不満度、身の回りに高齢のためにやむを得ず転居した高齢者がいる高齢者の割合、学校が楽しい児童・生徒の割合、などC 現状値:評価指標の現状値
D めざそう値:評価指標毎に、実際に携わっている人の視点から見て、5年後にはどういった水準をめざしたいのかを示す値
E 分担値:評価指標の改善を担う役割分担(アンケート調査から明らかにした、個人・家庭、NPO・市民団体・町内会、企業、学校、市町村、県、国の役割分担の割合)
青森県では、こういった、地域の実情を住民ニーズという観点からまとめた「政策マーケティングブック」を、県内で活動する多様な政策の担い手に配布しています。さらに、県内で活動する人・これから活動したいと思っている人が県内各地で集まり、このブックを題材にしたワークショップ(通称、「政策いちば」)を開催し、「めざそう値」を実現するための行動計画を一緒に作り始めています。
また、現状値について、毎年、その変動状況をみることで、青森県という地域は「住民満足の実現へむけて前進しているかどうか」の、一種の政策評価を行っています。この現状値の変動という事実について、関連する行動主体による説明責任と改善活動を引き出すことで、めざす目標へと前進していくことを想定しています。
なお、青森県では、この「政策マーケティング」の活動以外に、「青い森ファンド」という公益信託のスキームを利用したボランティア基金を用意して、実際にボランティア活動を始めたい人を積極的に支援していくなど、様々な形で県民の行動誘発も仕掛けています。
2. eGovernment(電子政府)におけるマーケティング
民間企業経営において、インターネットが登場したことで、製造・販売・流通等の商業活動モデルが変化(eCommerce)したように、行政経営においても、単なる「政府のOA化」を超えた、新しい行政経営のあり方(eGovernment)が生まれてくることが予測されます。
そのあり方を考える際には、民間企業経営におけるマーケティングの変化に学ぶことが出来ます。
民間企業経営の世界では、派手にコマーシャルを打ち、顧客に商品を販売するという、従来のマス・マーケティングはもはや過去のものとなりつつあります。
顧客のニーズが多様化している中で、顧客全員に対して、同一の製品を同じように提供した場合、ひょっとしたら、誰にも必要のないものを提供することになるかもしれません。また、顧客自身、最初から欲しいもの(ニーズ)がわかっているとは限りません。様々な商品やサービスと交わりながら徐々にニーズが顕在化してくることは多くあります。
このような状況下では、顧客1人1人との関係づくりを通じて、関わった関係者に満足を提供していく「リレーションシップ(関係づくり)マーケティング」が求められるようになってきました。
こういったリレーションシップ・マーケティングは、何も目新しいものではありません。例えば、かつて、家庭の裏口から「御用聞き」にやってきた商店は、家族構成や好み、生活環境、ライフスタイルなどの顧客情報を把握し、顧客とのコミュニケーションをはかりながら、顧客が求めるであろう商品を程よい分量で届けるというサービスを行っていました。これも一種のリレーションシップ・マーケティングです。しかし、こういったやり方は手間やコストがかかります。大勢の顧客に同質の、目の行き届いた個別サービスを提供することも困難です。したがって、大量に生産し、安く販売しようとする規模の経済性とは相容れないものでした。
ところが、顧客と企業との間を密接に結びつける媒体であるインターネットが生活レベルに浸透してきたことで、様々なリレーションシップが復活し、個々の顧客に個別対応しながら、大規模であることを活かしたビジネスを行うという、かつては不可能であった展開が可能になってきています。例えば、オンライン書店であるアマゾンドットコム(http://www.amazon.com/)のサイトでは、ある本を買おうとすると、かつてその本を買った人達の購買履歴を参照して、同じ傾向を探し出し、何冊かの本を併せて紹介してくれます。これは、データベースやインターネットといった情報技術を前提とすることで実現した、大勢の顧客を相手にするからこそできる、個別対応といえます。
このように、顧客と企業との間を密接に結びつける媒体であるインターネットを土台に、顧客の生活・行動情報の継続的な収集と分析に基づいて、個々の顧客のライフスタイルや興味・関心に柔軟に応じる企業活動が行われるようになっています。
そして、こういった活動が浸透していった次の段階として見えてきたことは「個々の企業が単独で取り組んでも限界がある」ということでした。顧客のライフスケープ(日常生活)から見ると、個々の企業はある一定の領域のみをいわば縦割りに担当しているにすぎません。結果、単独企業で入手できる顧客の情報は断片的なものとなり、顧客との有機的なコミュニケーションをはかるには限界も出てきます。
そこで現れてきたのは、インターネット上に様々な業種の企業を横断するネットワーク(情報基盤)を構築する動きです。その基盤の上で顧客や商品・サービスに関する情報が流通する仕組みを構築して、結果として相乗効果的にビジネスチャンスを広げていこうとしています。その典型的な例が、リクルートが手がけているISIZE(http://www.isize.com)です。そこでは、結婚や転職、旅行、転居などといった人生の「イベント」を軸に様々な情報を一手に、かつ個別にカスタマイズした形で、提供するサービスが行われています。こういったサービスを手がけることで、個々の顧客の関心が「創造」され、購買行動を「誘発」されるというわけです。
ここで行われていることは、顧客と企業の間のインタラクションを通じて、創発的に需要が喚起されているということです。こういった「創発的に需要を喚起する」ことは、何も「顧客と企業」の間ばかりではなく、「顧客間」でのコミュニケーションを濃密にすることでも可能です。例えば、お互いに料理のレシピを紹介し合う「cookpad.com」というサイトでは、お互いに料理や調理方法を教え合うことで顧客の関心が相互に創造され、さらに購買行動も誘発されるといった「創発型需要喚起」へとつながっていっています。これまで述べてきた民間企業経営におけるマーケティングの変化は、行政経営や地域の経営にとっても様々な示唆を与えることでしょう。
例えば、アメリカには、納税者1人1人に向けて「あなたの収めた合計$490の税金から、警察サービスに$163、消防に$110、公共事業に$54、図書館サービスに$32…支出しました」といった個々人に向けた市政報告書を送る自治体があります。税金に限らず、同様の発想をインターネット上で行い、さらに、アマゾンドットコムのように、データベースの機能と組み合わせた各種工夫を施すことで、住民1人1人に対応した形態でのアカウンタビリティを実現していくことや、個々人専用の市役所を構築することも技術的には出来ることです。
また、情報ニーズが高まる場面である「生活をしている上で直面する様々なイベント(例:引っ越し、出産、就学、予防接種、害虫の駆除など)」を軸にした情報基盤を、地域の政策の担い手である多様な組織が連携して構築することで、顧客ニーズを獲得する「ビジネスチャンス」ならぬ「政策チャンス」を見いだすこと・広げることもできるでしょう。
藤沢市「電子市民会議室」等では、インターネット上に地域の問題を話し合うコミュニティを構築して、住民間のインタラクションを喚起しながら政策運営を進めることも行われています。その工夫次第では、住民間でのインタラクションを通じて、住民が必要とする情報やサービスのニーズを顕在化させることで行政活動の質や効率性をあげることや、住民の自主的な行動を誘発することで地域のアウトカムを高めることも考えられます。このように、インターネットの存在を前提としたとき、行政経営は大きな変化に直面することは容易に予測できます。住民との「リレーションシップ」を土台に、住民の意識に幅広く対応しながら、かつ、メリハリをきかせた新しいタイプの行政経営となることが期待できるかもしれません。