「前向き」の公共事業評価を
現在、わが国の公共事業評価は、「事業に一定の歯止めをかける」ことに主眼がおかれているが、行政経営の目標管理、また企業やNPO・住民が地域の政策課題解決を促すための基礎情報提供を目的とした「前向きの公共事業評価システム」の構築が求められている。玉村雅敏(千葉商科大学政策情報学部講師)
■ ソーシャルベンチャー、NPM(新しい公共経営)の登場
一九九〇年代という時代を、後世に評価するとしたら「二十一世紀が始まった時代」と評されるのではないだろうか。九十年代には、インターネットやソーシャル・ベンチャー、NPM(New Public Management:新しい公共経営)など、個人の行動様式や社会システムを激変させるような、それまでなかった道具やシステムが多数登場している。パーソナルコンピュータや携帯電話、インターネットなど、様々な情報メディア環境が生活化したのが九十年代である。こういった情報メディアは、人々の行動様式に変化をもたらした。特に、インターネットを介して、それまでにあり得なかったような情報共有や集団行動が可能となったこと(例えば、藤沢市の「電縁都市ふじさわ」におけるインターネットを用いた政策形成など)により、集団合意形成のあり方から、組織モデルや社会システムにまで大きな変化が訪れている。
また、社会的な問題の解決策として、ビジネス(収益性)の力を活用して新しい仕組みを提示する「ソーシャル・ベンチャー」がビジネスモデルとして成功を収め、注目を集めたのも九十年代である。ソーシャル・ベンチャーとは、主に福祉、教育、環境、健康、貧困、コミュニティの再開発、途上国への支援などといった、社会的・経済的な問題領域に事業として取り組み、収益性を成り立たせると同時に、ビジネスの力や発想を活用して社会問題を解決していく事業体である。このような領域は、長らく、政府(行政)が市場を独占してきた分野である。しかしながら、平等性を前提とした、画一的な政府の対応では解決できないことも多かった。このような状況において、企業やNPOが問題解決の新しいアイディアや方策を提示し、ビジネス(収益事業)として取り組む動きが現れ、軌道に乗り始めているのである。
一例を挙げると、「Working Assets」という八五年に開設された通信事業会社がある。この会社は利用者が電話をかける毎に料金の1%を人権・社会的公正・教育・環境の領域のNPOに寄付するという事業を行っている(九八年は約三〇〇万ドルを集めた)。また、毎月、二〜三のテーマ(平和、人権、環境問題など)を設定し、該当する企業や政府機関に対して直接意見表明するファックスやEメールを送る際には、通信料を無料にし、市民運動を支援している。この会社は、社会的・経済的問題への関心を広げるキャンペーンとビジネスを結びつける新しいスタイルを提起しているとともに、米国Inc誌の「最も速いスピードで成長した会社五〇〇」に五年連続(九三〜九七年)ランクインするほど収益を挙げている。
行政の経営を見てみると、九〇年代は、可能な限り民間経営の手法・発想を行政経営に取り込んでいく「NPM」が、先進諸国で広く取り組まれ、成果を上げていった時代である。
「市場の失敗」を是正することを期待された政府であるが、公共部門の非効率性、財政赤字拡大、債務の累積、経済成長率の鈍化等の問題(=「政府の失敗」)を引き起こしていた。その解決策として、公的部門の管理手法に、民間企業で培われてきた、成果に基づくマネジメント手法を導入し、公的部門の効率化・パフォーマンスの改善を図ろうとする「NPM」と呼ばれる実践理論が活用された。
このNPMの鍵となるのが、実際に達成した成果(パフォーマンス)を測定する「評価システム」である。NPM型の行政では、政策執行を進めている現場レベルに権限委譲をして執行の自由度を高める代わりに、成果に対する説明責任(アカウンタビリティ)を求める。そして、実際に達成した成果を測定して確認をし、継続的な改善を繰り返す形で政策プロセスを進めていくのである。
こういった様々な変化を念頭に、昨今進んでいる行政改革を捉えると、直面する検討課題が見えてくる。本稿では特に公共事業の評価システムに関する課題を考えてみたい。
■ 公共事業評価システムの現状
日本における公共事業の改革は、発注システムの改革、PFI(Private Financial Initiative)の推進、事業の計画・実施過程の透明化、など様々な改革が、中央省庁・地方自治体の両方で進められている。その中でも特に重要なのが、公共事業に関する一連のプロセスを改善することに繋がる「評価システム」の導入である。欧米諸国では、数十年前から費用便益分析を中心に公共事業の評価が実施されてきたが、日本において公共事業の評価システムの導入が進んだのは、実はここ4、5年のことである。それ以前は、社会資本の蓄積が欧米諸国と比べ相対的に貧弱であったことから、投資効果があるのは当然とされ、評価の必要性がそれほど考慮されてこなかったのであった。
しかし、ゼネコンスキャンダルや景気後退を背景に、公共事業の評価制度の導入が検討され、九八年度から包括的な公共事業の評価制度が導入された。これは、国の直轄事業および補助事業を対象として事業の予算化を検討する際に行う「新規採択時評価制度」と、採択の数年後に事業を継続するか中止・休止するかを検討する「再評価制度」からなる。
両制度とも、実際の運用を見ると「事業に一定の歯止めをかける」ことに主眼が置かれている。
例えば、新規採択時評価とは、評価対象事業を翌年度の国の予算に計上するか否かを判断するためのものである。その進め方は、まず、各事業主体(公団や地方自治体など)が国の各省庁から提供されている評価実施要領とチェックリスト、そして費用便益分析マニュアルに基づいて評価調書を作成して、本省担当課に提出をする。この調書に記載される費用便益比(B/C)の値は、国が規定した下限値を上回ることが前提条件の一つとしてチェックリストに挙げられている。そのため、実態としては、費用便益比が条件を下回るものは、要望事業として提案されないようにする暗黙の歯止めがかけられている。
一方、再評価制度は、すでに実施している事業から中止・休止するものを選別する制度となっている。具体的には、北海道の「時のアセスメント」を原型にして、
@事業採択後5年間を経過した時点で未着工の事業
A事業採択後一定期間(事業特性に応じて五年間から十年間)を経過した時点で継続中(未完成)の事業
B社会経済情勢の急激な変化等により見直しの必要が生じた事業
といった基準から、評価対象事業を自動的に抽出し、学者等の第三者による事業評価監視委員会において、継続・中止・休止の判断を下している。このようにして、事業採択後の経過時間を基準にして歯止めをかけている。
■ 公共事業評価システムの今後の課題
●現状の制度は有効に機能しているか
現状は、こういった「歯止めをかける」ことに主眼が置かれた評価制度であるが、いくつか課題が指摘できる。
まず、そもそも「歯止めをかける」ことに成功しているのか、という点である。再評価制度について言えば、九八、九九年度の二年間で、一〇〇三九件の事業について評価をしているが、中止が四七件、休止が八九件と、実際に中止・休止となったのは全体の約一%に過ぎない。
この要因は、現在の制度では客観評価が難しいところにある。客観的な判断をするには何らかの判断基準が必要であるが、判断基準となる情報が十分に提供されているとは言い難い現状である。
例えば、再評価の場合には、すべての事業において費用便益分析といった現状分析が義務づけられているわけではなく、実施要領において定められている判定基準も抽象的な視点が述べられているだけである。いくつかの評価調書では採択時の費用便益分析結果と再評価時の結果を並記しているが、それを直接的に利用するというよりは、社会情勢の変化を整理するための参考情報として使われることが多い。
また、採択時評価の場合、本省に要望が上がってくる段階で、全ての事業の費用便益比が条件を超えているわけであり、この分析結果のみを判断基準として事業を採択することは難しい。実情としては、採択時評価制度導入前とさして変わらない、官僚レベルでの裁量の余地が大きい、総合的な評価となっている。
●目標管理のための評価システム
現状の「歯止めをかける」ための評価システムだけでよいのか、という問題もある。
例えば、事業執行の目標管理に活用する評価システムを構築することが考えられる。想定した成果を達成できたのか、できていないのなら、何が問題であったのか(例えば、事前評価の時点で問題があった、執行段階で問題があったなど)を分析し改善していく。こういったプロセスを繰り返し行っていくことで、政策形成・執行の質をだんだん上げていくといった評価システムも想定できる。
限られた資源をいかにうまく使ったかを検証していくことも必要なことであり、執行の効率性を上げるための評価システムもありうる。これは、投入した資源(人やカネ)を利用して、実際に提供できた財・サービスの割合を評価するものである。なお、その際の判断基準として、近隣自治体や、成功事例の自治体、過去からのトレンドなどとの比較分析も必要になる。
成果志向の行政システムを構築する上では、こういった視点の評価システムも不可欠である。
●積極的マーケティングのための評価システム
本稿の冒頭に述べたとおり、一般市民が政策課題に関与しうるチャンネルとして、インターネットなどの情報メディア環境が整ってきている。また、ソーシャル・ベンチャーやNPOといった公的課題の解決を担う存在も積極的に活動し始めている。つまり、公的サービスの担い手としては、企業やNPOが出てきたし、政策プロセスについては、情報の積極開示をすること、そして参画を誘発することが可能となってきている。
また、地域コミュニティを運営するコンセプトとして「シェアード・アウトカム(Shared Outcome)」というものがある。これは、何でも行政に頼らず、NPOや住民も含めて皆で高いアウトカム(地域全体にもたらされる成果)の実現の責任を分担(シェア)していこうという考え方である。米国の行政評価では、当初、払った税金の費用対効果のチェックに主眼が置かれていたが、近年では、こういったシェアード・アウトカムといった発想から、逆に住民が果たすべき役割を考えるきっかけとしても評価システムを活用しようという動きが現れてきている。
こういったことを念頭におくと、評価システムを通じた、積極的マーケティングの必要性が見えてくる。
現在の社会的な課題の多くは「行政当局に一任する」「予算処置をする」といった単純な解法では解けないものが多い。例えば、河川の水質汚染問題を解決するには、排水処理施設建設なども大事だが、住民個人個人、学校、NPO、企業、沿岸の自治体などの関係者の問題意識を高めることと、実践活動を引き出すことがすべてあいまって、本質的な解決へと前進する。
そのために情報公開や評価システムを活用することができる。ただし、計画の単なる情報公開や事業評価の結果の公表だけでは、(もともと興味を抱いていない)住民等に訴えることは難しい。何らかの積極的なマーケティングが必要となる。
例えば、汚水処理施設建設という事業では、公聴会や計画の事前開示から一歩前進し、「汚水処理施設とは何か?」「いくらかかるのか」「建設前後で悪臭はどのくらい減るのか?」「どのような賛否両論があるのか?」といった議論のため基礎情報を、包み隠さず積極的に提供する。加えて、自由に議論する場を設ける。すると、おそらく、この建設について賛否両論の議論が湧き起こる。この議論と結果の質は、必要かつ十分な情報を議論の俎上に載せられたかどうかに掛かっている。質の高い議論を実現するための素材を提供することも、評価システムの重要な役割といえよう。
また、評価システムは、現状を明らかにする役割も果たす。公共事業に関連した積極的マーケティングを仕掛けることは、企業やNPO、住民個人が、地域における政策課題の文脈を読みとり、その解決を目指した行動を引き出すことに繋がることも期待できる。
これまでに構築されてきた、日本の公共事業評価システムは、無駄な事業に歯止めをかけるという、いわば「後ろ向きの評価システム」であった。今後は、行政経営の目標管理に活用するための、また積極的マーケティングのための、「前向きの公共事業評価システム」の構築も必要であろう。