BRJ

(バーン・ルァム・ジャイ=山岳民族生活・ 子供の教育向上プロジェクト)


卒業生データ
BRJ(バーン・ルァム・ジャイ)は、山岳民族生活向上を目指すプロジェクトである。 山岳民族の村には学校がないため、または状態がよくない家族から離れるために、子供たちはBRJの寮(チェンマイ市内)に住む。それによって彼らは近所のチェンマイ市の学校へ通うことが可能になる。このページでは、BRJの活動がどのような成果を上げてきたかをみるために作成したデータの内容を分かりやすくまとめた。

BRJプロジェクトに滞在し、教育を受けた子供たちに関するデータを収集した。ただし、このデータは、少数民族の子供たちがBRJプロジェクト来た時点のデータである。データの順番は、BRJに来た年代順である。これまで400人以上の学生が卒業していったと聞いたが、データとして残っているのは146人であった。
データには通し番号がつけられていたが、データが抜け落ちている番号・番号が付されていないデータなどが多数存在した。これらのデータに関しては以下のように処理しておく。
番号が抜けている部分に関しては空欄のままにしておく。
番号のないデータは最後にまとめておく。

通し番号: 170 (通し番号がついている実際のデータ数: 126)   1984年〜1995年
番号のないデータ数: 20
全データ数: 146
 
性別(人) 男: 89女: 48不明: 9 
 (計:146)
出身地分布(province)(人)
Chiang Mai :63 Chiang Rai:6
Phayao: 6Nan: 24
Kamphaeng Phet: 8Phetchabun: 18
Lampang:2Mae Hong Son: 8
Tak:4Phrae:4
Sukhothai:1不明:2

民族分布(人)
Akha: 1Hmong:81
Jin:1Karian:5
Lahu:2Lisu:17
Meo:2Mien:13
Misean:4Yao:14
不明:6

BRJ卒業生の出身地はタイ北部の広範囲にわたることが分かる。同時に同じ村から何人もの子供が来るということもあるようである。

BRJ登録時の年齢分布

BRJ設立当初は、年齢の高い層が多かったが、時が経つにつれて低年齢化している傾向が見受けられる。現在、寄宿舎に滞在している子供たちの年齢が低いことを考えると、このデータの年齢層は高いといえる。さらに教育を受けるために村を出たという人も多いのであろうが、当初の年齢の高さを考慮にいれると、「貧困」「麻薬」など家や村に問題があるために、避難所としてBRJに来た子供が多かったのではないだろうか。また、同様な理由で、ほんの一時のみ滞在していた子供たちも多かったと推測される。その根拠は、14年という歳月の割に卒業生が多いということ、1年に受け入れている子供の数が非常に多いが、BRJにはそれほどの人数を収容する設備がなかったことが挙げられる。

卒業生たちの教育

BRJプロジェクトの卒業生には、高等教育を受けた人はそれほどいない。BRJ設立初期に村から移ってきたKhun Baiが、現在チェンマイ大学の博士課程を終えようとしているところである。彼女によると、「大学を卒業した人もいるが、それほど多いわけではなく2〜3人ではないだろうか」、ということであった。初期には20人くらいの学生がBRJの借家に住んでいた。家は狭かったため、何人かの子供は納屋で寝なければならなかった。

卒業生たちのその後

現在山の村で行っているプログラムの参加者には、BRJプロジェクトの卒業生が多い。何人かの卒業生は村に帰り、地元の開発に貢献している。文字を書く能力、清潔さを保つ生活習慣・経験・知識などによって、彼等は村の中でもリーダー格の存在である。彼等の存在がBRJと村人をつなぐ役目を果たしているといえる。

子供たちの両親の職業とそこから推測される生活状況

彼らの両親のほとんどは農業を生業としている。これは、彼らが現金収入をえることが困難な状況にある、といっても過言ではないのではないだろうか。現金収入を得るためには、作物を市場に運ぶための車が必要である。販売に足るだけの一定の生産量が必要である。現金収入を得る前に、多額の投資が必要とされるのである。資金だけでなく、計算能力・識字力が必要である。彼らがその能力を身につける程の教育を受けているということは年齢からいっても難しいと思われる。

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