ブルデュー: 言説の空間と実践

イ.  単語

         ハビトゥス : 社会による慣例(慣習、実践、日常生活)とこれらを規定する、表象する、表現と知識

         言語市場

         言説の逆説(パラドックス): 

1.    個人言語

2.    共通語

         「象徴」:人間社会の様々なやり取りで交換されるもの。以下の「価値」を指示するもの。ある場合、「意味」又は「意義」を指示する。主な象徴は

1.   お金

2.   言語

         「価値」

やり取りの中に交換できること。交換されるものは本物ではなく、象徴的なものである。

1.   金銭的な価値があるものの象徴はお金。

2.   社会的な「価値」があるものの象徴は言語。

         権力 : 社会市場、言語市場でのやりとりの中の社会関係。

 

ロ.  概念

         権力 

言語表現は権力象徴

言語表現は社会関係象徴 

言語表現は価値象徴

         共通語

         「意味」=話された内容の捕らえ方は、話し手との社会関係や一時的な状況にも決められる。

         中立性がない。意味が社会関係や社会状況にも決められることであるからこそ、喋る時に意図や動機がある。聞き手が話し手の動機とその適切さを判断する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハ. 主な引用文・要点

1.   p25 4行〜 「文法というものはほんの部分的にしか意味を定義しないものであり、言説の意味作業が完全に決定されるのは、それが市場と取り持つ関係においてである。。。。

〔いわゆる〕客観的な意味の根源には、まず弁別的価値があるが、これは一方には社会的に明確な性格をもったひとりの発話者が提供=供給した言語的生産物があり、他方にはある定められた社会空間にそれと同時に提示された生産物があって、両者の間で、発話者たちが、意識的であるにせよないにせよ、関係付けを行う結果、現れるような弁別的価値である。」

2.   p26 14行〜 「コミュニケーションの逆説とは、それが共通の媒体を想定しているのでありながら、その実――しばしば詩のように、情動を伝達するといった臨界例に見られることだが――特異な個人的体験を惹起させたり蘇らせたりすることなくしては、そもそもコミュニケーションそのものが成立しない、ということである、つまりこれらの個人的経験が社会的に有標であれば、コミュニケーションも成立するのである。」

3.   p27 6行〜 「一つの単語の異なった意味は、不変の核と、異なった市場に特有の論理との、両者の関係において定まるのだが、このさまざまに異る市場というものもまた、もっとも普通の意味が定義されるひとつの確定した地上との繋がりのうちに、客観的に位置付けられる。」

4.   p27 左から2行目〜p28、1行目 「実は中立=中性の単語など存在していないのであり、アンケートをとれば分かる通り、例えば趣味を表現するのに用いられる、およそありきたりの形容詞も、階級=階層しだいで、相違した意味や、時には対立した意味を担うものである。」     ブルデューの例:「農民」vs。「農業経営者」 p28左から5行目〜                                 《農村を後にしたばかりの誰かの面前で農民という単語を発音すると、それがどう取られるか、分かったものじゃない》。                                                                                              その説明は、p29 1行目〜 「価値観やら偏見やらをも軒並み道連れとするわけで、その結果この〔対抗するふたつの意味を持つことばの場合、意味を担いかねない〕論理は、常時《失態》を招きかねぬ危険を秘そめおり、せっかく相互の慎重な対処戦略の末に配慮を込めてとりかわされたコンセンサスですら、一瞬にして水泡に帰すおそれがある。」

5.   p30左から3行目〜 p31の2行目へ 「法律上の言説は、みずからの言表する事柄を存在せしむるという、創造的な言葉=言語能力遂行行為である。この創造的安ことばという臨界点を目指すのが、祝福、呪詛、希望、中傷といった、あらゆる遂行的言表であって。。。本源的直観〔観ずることによってその観ずる対象そのものを生起させるような「創造的知覚」〕同様、みずからの言表する事柄を存在へと生起させる。。。

言語は、集合的に認知されたがゆえに実現され=実在する存在、というものの表象を生産するものであり、

そうするがゆえに言語には「存在へともたらす生産力」とでもいうべき権力が授けられて(さずけられて)いるからであり、

おそらくそれゆえにこそ、言語は絶対的権力という夢にとって、絶好の媒体=支持体なのである。」