従来、環境問題が社会、人種差別問題として捉えられることはほとんどなかった。しかし、近年特に米国で盛んな多文化主義の影響で、環境研究は重要な転換期を迎えている。米国においては、それまで中産階級白人男性の立ち場からのみ論じられがちであった「環境」を、少数民族や貧困層の視点から見直そうという動きが、1980年代から出てきた。これは、「環境的公正」、「環境人種差別」といったキーワードを用いながら、社会的弱者たちが環境破壊の前線におかれ、深刻な被害を受けている事実を告発する研究に顕著である。
確かにこの新しい研究動向は、非常に重要で画期的な提言をおこなってきた。しかしその反面、環境破壊の被害者としてのみマイノリティーの立場を強調するあまり、非常に複雑な構造を持つ社会問題を、差別と被差別の二項対立的議論に単純化する傾向にあるのではないかと危惧する声も挙がってきている。また、各マイノリティーコミュ二ティー内部には、政治、イデオロギー、経済力、居住地域、階級などの違いに基く亀裂があり、このような内部分裂は環境的公正運動の分極化をも招いている。現在は多様な声に耳を傾け、さらに深くそして多角的に研究を進めていくことが肝要である。
修士論文のために、歴史家や社会学者などによる二次史料を読むと同時に、米国の環境的公正運動に、様々な立場から参加している関係者と連絡をとることも始めた。そして1996年夏には、一カ月余の間現地調査もおこなった。CERT職員、連邦政府機関、環境保護局とエネルギー省職員、草の根で環境人種差別に対抗している市民運動家、環境保護団体職員、などに実際に具体的な話をきいた。まだまだ、問題解決の段階には程遠いことは事実であるが、連邦政府が環境的公正を大切な政策課題としていることを認識した。
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参考までに 、以下に環境的公正問題に関与している諸団体のいくつかを紹介する。
ちなみに、草の根レベルで先住民の環境問題に取り組む団体で代表的なものにIndigenous Environmental Networkがある。
私は、昨年度から参加させていただいているティースマイヤ先生による「女性と発展プロジェクト」で得た、タイを中心とした人的及びコンピューターネットワークを利用しながら、東南アジアにおける環境的公正を調査、研究していきたい。貧困層にある小作農民や、国境地帯に住む特定の国籍を持たない先住民族等の土地使用権が不当に侵されている事実、また、産業廃棄物が厳しく規制されることなく捨てられている事実を、環境的公正の視点から検証する。東南アジアにおける環境的公正に関しては、社会学的な調査はまだ全くといってよい程行なわれていないので、1980年代の米国研究者が遂行したのと同様な調査が必要である。また、歴史学の立場からの研究も、環境問題においてはまだ発展段階であるが、アジア地域におけるケースについてもこれは不可欠である。さらに、課題の性格を考慮すると文字以外のメディアに残された記録の検討も、極めて重要であると考える。
博士課程一年度は、米国で実施した調査の経験をいかし、政府関係者、各種NGO職員、研究者の協力を得ながら、タイの北部国境地帯付近を中心とした現地調査をおこなう。まず、環境的不公正の前線に立たされている少数民族や小作農民が、タイ社会において歴史、政治、経済的にどのような立場にあるのかを検証する。そして同時に、フィールドワークをおこない、実際の状況を調査する。この時点で、高校時代の留学経験、語学、そして「女性と発展プロジェクト」を通して知り合った様々な人々とのつながりが大きな意味を持つであろう。チェンマイ大学などの研究機関を拠点として集中的な調査も考えており、そのコンタクトは確保している。この最初の一年間で観察、分析、表現のツールとしてのマルチメディアへの理解も深めたい。さらに二年目は、政府機関やNGOによる刊行物や、一年目の現地調査結果を歴史学、社会学、法律などの見地から綿密に分析を開始する。また、ポストコロニアリズムをはじめとした理論を整理し、博士論文を執筆する準備をすすめる。そして、三年目には、適切な理論を援用し、米国との比較検討をおこないながら、東南アジアにおける環境的公正について博士論文を書き進める予定である。
このような研究を通して、環境的公正問題を、環境研究、社会学、歴史学、などの学問領域を越えたひとつの重要な研究課題として提示していきたい。環境的公正を研究者の立場から、提言していくことは、より安全な生活環境、そして地球環境を守っていくことにつながっていくであろう。将来的には大学レベルでの教職につき、社会的弱者が不当に環境破壊の被害を受けることのない社会の実現のためにそれぞれの部二ゃ出積極的に働いていけるような若者の育成と同時に社会人の再教育に従事したい。