1996年12月23日-道路がスケートリンク状態


 この日は朝、車の氷を書いているらしい「がりっ、がりっ」という音で目がさめた。このところドイツはずっと暖かく、暖かいっていっても氷点下にならないということだけど、車のフロントガラスが凍り付くということもなかったので、「あっ、今日は結構冷え込んだのかな」と思って、ベットから起きた。窓から外を見てみると、隣の人が車の氷を取っているようだった。でも、どうやら雨が降っているようだ。雨というより霧雨かな。

 そこで、いつも朝見ている天気予報を専門にやっているder Wetter Kanalという番組をつけてみた。(天気予報は基本的に日本とあまり変わらないから、言葉が良くわからなくても、とりあえず中身はわかる。)すると、「今日はドイツの南部は、"Eisregen"で、道路が滑るので車は気をつけて欲しい」とのことを言っていた。"Eisregen"って、なんだ? でも、言葉から察するに、雹のことかな? そもそもドイツ語には、日本語の「みぞれ」に相当する言葉がない。11月の下旬に雪が降ったときに、ドイツ人にドイツ語で何というのかと聞いたら、「それは雪(Schnee)だ」と言っていた。確かに天気予報を聞いていても、雨と雪が混ざっているときの状態を"Schneeregen"とか言っているようだった。続けて、書くものかどうか自信がないけど。それから考えると、まあたぶん雹かなあ? それにしても、しとしとと雨は降っているけど。

 大学にそろそろ行こうかと思って、出かけることにした。いつもは自転車で出かけているんだけど、今日は天気が悪いから車で行こうかな、と思って外にでた。そう思って玄関から外にでると、うちの庭の柵に、なんとも悲惨な形相をしながら掴まっている人がいるじゃないか。私は、「えっ、いったい何者?」と思ってしまった。彼女は、うちの柵をつたって、ゆっくりと移動している。しかし、その謎はすぐに解けた。玄関からその家の門までの間が、まるで氷の膜が張ったようになっている。「スケートリンクのようだ!」 おそるおそる踏み出してみると、本当につるつるだ。「いったい何mmぐらい、この氷の膜があるのだろう?」 周りを見ると、葉を落とした木々も、自転車もまさに凍り付けだ。ゆっくり、ゆっくり門まで歩いていって、道路を見てみると、何と道路も全て凍り付いているではないか。これは確かに、車で走ったら、滑るだろうなあ、と何となく感心してしまった。とりあえず、道路の反対側に止めてある車まで行ってみようと思って、忍び足のようにしてそちらに向かった。それにしてもこれはすごいぞ。さっきの人が必死の形相で、うちの柵に掴まっていたのがわかる。ちょっとの高低差があると、だんだんそちらの方に滑っていってしまう。でも、何とか道路の反対側まで行けば、そこは1mぐらいの幅で砂というか砂利というか舗装されていない帯になっているので、そこをめざして歩いていく。しかし、そこも何と砂利ごと凍っていたのだ。

 やっとのことで車までたどり着くと、車はまるではけで水を塗りながら凍らしたようになっていた。全体にまんべんなく氷がついているので、なんか美しくもある。まずは、フロントガラスの氷を取らねば、と思い、ドアを開けてスクレイパーを取り出した。そもそも今から考えれば、何もそんな状態の中、車を動かして出かけなくてもいいようなものだけど。大学だって既にクリスマス休みに入っていたし。それでも、氷ははぐべく作業を開始したが、スクレイパーなど全く歯がたたない。だいたいいったいどのくらい氷がついているのだろうという感じだ。そこで、解氷剤を買ってあったことに気がついた。「これでバッチリだ。日本でも解氷剤でダメだったときはなかったから」と思って、車に掴まりながら後ろにまわり、トランクを開けて、解氷剤を取り出した。通常は、ワイパーのゴムを傷めるからといって、あまり使うべきではないといわれている解氷剤だけど、このときばかりは景気良く吹きかけた。フロントガラスの上の氷の表面を液体が流れていく、あの解氷剤独特の匂いがして、「おっ、融けてる融けてる」と思いきや、スクレイパーをあててみても全く変わっていない。「何と、全然融けていない」よし、もっと景気良くかけてやろうと、フロントガラス全体にわたって、かなりの量を吹きかけたが、どうやら流れていくのは解氷剤だけのようだ。「どうすれば、いいんだー!」と一瞬途方に暮れた。なにしろ、エンジンを温めて、フロントガラスの内側から溶かすなどということは、気の遠くなるぐらい時間がかかりそうだ。そもそも、ドイツ人は大気を汚さないように極力アイドリングしないっていうし。

 「あっそうか。何のことはない。お湯をかければいいんだ。」ということに気がつくまで、そう時間はかからなかった。これは、日本でも同じである。そこで、抜き足、差し足で部屋に戻って、鍋にお湯を入れてくることにした。それにしても、ただでさえ歩くのが大変なのに、非常に熱いお湯を鍋に入れて歩くのもたいへんである。何とかお湯をもってきて、かけてみるとさすがにお湯は強者である。結構融けたような気がした。でも、まだまだガラスは見えないけど。そこで、もう一度お湯を入れに行く。2回目でもまだガラスは見えない。しかし、凍った道の上を歩くのもだんだん慣れてくるもので、3回目ぐらいからはちょっと小走りで行けるようになってくる。3回目ぐらいで、やっとお湯が直接かかる上の方のガラスが見えてきた。そこで、その場所を手がかりにスクレイパーで氷をそぎ落とそうかと思ったが、やはりまだダメそうだ。4回、5回と回を重ねると、さすがに氷は融けてきた。ちょうどいいことに、地面に落ちたお湯が道路の上の氷も溶かしてくれた。でも、これでは、前しか見えない。後ろは、電熱線で溶かすにしても、せめてドアミラーが見えるぐらいまでにはしなくては、と思い、さらに数回お湯を運ぶことになった。

 こうしている間にも、近くを車が何回かとおりすぎたが、どの車も止まる寸前のような徐行をしている。確かに、ブレーキを踏んでも全く止まりそうな気がしない。こんな時はさすがに冬タイヤでもほとんど効果なしだろう。そんな中で、うちがあるところから、南に向かう道は、こちらからは少し下っているんだけど、そこを向こうからのぼってくる車があった。しかし、ほとんど大した坂にはなっていない、というよりは普段だったら坂であるなんて認識しないようなところだろうけど、その車はちょうど真ん中あたりで上れなくなってしまった。タイヤはむなしく空回りしている。どうやら一度下まで戻ってもう一度チャレンジするようだ。今度は助走をつけてあがってきたが、やはりさっきより少しのぼったところで同じ状態になってしまった。それにしても、滑らないようにと思って、できるだけ道路のわきの舗装されていない砂利の上を走っているようだが、その砂利も完全に凍り付いているようだ。次のチャレンジでは、片方のタイヤだけが滑ってしまって、とうとう車は横向きになってしまった。下りながらやっとのことで、体制を立て直したようだ。さすがに、それであきらめるだろうと思って、見学しているのをやめて、また部屋にお湯を取りに行って、自分の車を溶かしているとまだチャレンジしているようだ。やっぱりドイツ人は頑固なのかな? 私の車はやっとエンジンをかけられる状態になった。またエンジンをかけるのが一苦労。ちょっとしたこつがいるのだ。それについては、また書くとして、私の車がやっと発進できる状態になるまで、その車のチャレンジは続いていた。結局、やっと動き出したうちの車はその不屈の精神の車とすれ違って、下っていった。あの車はいったいいつまでチャレンジしていたのか?

 幹線道路にでると、さすがに道は凍っていなかった。雪が降った場合も幹線道路は朝にはもう雪かきがされてしまっている。氷を除雪車が剥いだのか、それとも車の熱で融けたのかわからなかったが、もうスケートリンクにはなっていなかった。それにしても、私が氷と格闘していた間もずっと雨は降り続いていた。こんな天気は初めてだ。きっと日本ではあり得ないだろう。上空の大気の気温がそれほど下がっていないから雨が降るのに、地上付近の気温が低いということだろうか。昼前に、戻ってみると、家の付近は相変わらずスケートリンクだった。それでも、少し雨足が強くなってきたので、さすがに融ける氷の方が増えてきたようだ。自転車のサドルの上の氷を割ってその厚さを見てみた。すると、4mmぐらいあった。これじゃあ、確かにフロントガラスが2倍になったようなものだ。

 あとから聞いた話では、この雨は未明の2時頃から降り出したようだ。ちょうど道路が凍り付きだした頃、ミュンヘンに住んでいる近藤氏は、友達を送るためにミュンヘン市内を走っていたそうだ。アウトバーンに合流する脇道を上るときに、彼の車はくるくるまわってしまったそうだ。彼の車は、ビートルなので、エンジンが後ろにあって、後駆だから、それは運転するのが大変だったろう。彼は、やっと家にたどり着いても、車を止める場所の、道路からのちょっとした段差が結局上れなかったそうだ。

 他のドイツ人にとっても、さすがにたいへんな天気だったようだ。車の氷を取るのに周りの人もみんな苦労していた。でも、中には要領のいい人もいて、こちらのブラシのついているスクレイパーには石打のような部分がついていて、それを使ってうまく氷を割って剥がしていた。でも、私にはフロントガラスを割ってしまいそうで(割れるわけないでしょうが)、なんとも恐いのだが。

 それにしてもびっくりの1日だった。でも、この日がそれ以降の鼻血がでそうなくらい寒い日々の序曲だったとは・・・