「山県有朋―出ては将軍、入ては首相」(4月20日)


 筒井清忠編『明治史講義【人物編】』(ちくま新書、2018年)で山県有朋を書かせていただきました。
 
 山県はいつか書いてみたい人物でした。圧倒的な権力、強い責任感、多くの部下という権力者の陽の当たる側面と、孤独な思索、内に秘めた劣等感、あまりに多くの友人を失ってきた前半生という陰の側面の対比がここまではっきりする人物は珍しく、これまで、どうアプローチできるか見通しがありませんでした。
 今回、お話をいただいたことを機に改めて山県の周辺を紐解いてみると、天皇との距離から論じ、「小輔」から「狂介」へ、「狂介」から「有朋」と名前を変えてきた彼の想いを感じ取ってみることができました。それに彼がこだわった制度を掛け合わせていったのが本稿です。庭園の話も出てきますので、お手に取っていただければ幸いです。
 

千鳥ヶ淵にある三番町共用会議所。憲法発布直前、山県がここに屋敷を構えていました。

 
 本書は、目を瞠るようなものすごい著者が並んでいますが、通読していて驚いたのが史学出身の方と政治学(政治史)出身の方の書きぶりの違いでした。下記に目次がありますが、私のお勧めは五百旗頭薫さんの大隈重信です。
 
 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I082886730-00
 


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