政策過程論(1999年度秋学期第9回)

1999年12月7日

草野 厚

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・合理的政策決定モデルへの批判

・組織過程モデル

・日表作成の宿題

 

1 合理的政策決定モデルの特徴と問題点

1 最もポピュラーなモデル

・個人の行動は合理的であるという前提

・国家や組織は統一体であり、合理的行動が可能であるという前提

2 完全情報と、十分な検討時間があることを前提

3 実施過程は視野に入らず(問題点)

・決定の過程と実施の過程からなる政策過程全体を評価するときに不便

4 誰が決定者であっても、合理的である限り同じ結果が得られるのか(問題点)

5 各選択肢のプラス・マイナスは事前にわかるのか(問題点)

 

2 組織過程モデル

1 モデルの概要

 慣習など非公式なルールから最も制度化されたマニュアルまで

 縦割り行政の弊害(日経新聞、1998年11月26日経済教室)

 利害対立は、政策に限らず。人的対立、組織利益の対立でも生じる。

2 合理的政策決定モデルとの違い

  ・合理的政策決定モデルは、時間の概念なし。静態的モデル。組織過程モデルは動態的

3 身近な標準行動様式(SOP)の事例

 

4 簡単なゲーム

 

3 組織過程モデルとキューバ危機

なぜ、ケネディ政権はミサイル撤去を実現するために、海上封鎖を選択したか

1 簡単な事実関係

61/1     ケネディ大統領就任

61/8/29  ケネディ、キューバのソ連兵器、米国の脅威でない

61/9/4   フルシチョフソ連共産党書記長親書、ケネディへ、問題起こす意図なし

61/9/13  キューバ、ソ連の攻撃用軍事基地となれば米国は強い決意とケネディ

61/9/22  ソ連・キューバ共同声明。兵器をキューバに、技術専門家とともに提供

61/10/14 (アメリカU2機で、キューバ領内のソ連ミサイル発見)

61/10/16 (U2機の写真、ケネディ見る)、以後断続的にNSCの最高執行会議開催

61/10/21 (NSC、封鎖論と空爆論で意見わかれるも、封鎖案に決まる)

61/10/22 ケネディ大統領の対外演説、海上封鎖を発表

61/10/24 封鎖開始、ソ連船舶18隻停止

61/10/28 フルシチョフ、ミサイル撤去声明

2 第二モデルによる関心事

(10月14日より前でも、後でもケネディ政権のとった対応策は異なったでは?)

3 ケネディ政権の、キューバ情報ルートとその内容

 なぜ、これらの情報が最高政策決定者に、実際にわたった時期よりも早く、わたらなかったのかは、組織過程モデルが想定する組織の特徴からおおよそ説明できる。組織の中に、情報が存在したとしても、最高政策決定者に直ちに、届けられるわけではない。届けられるにしても、各段階でチェックされ、時間がかかる。それどころか、各段階でふるい落とされ、本来ならば届けられるべき情報が伝わらないことさえある。各国の最高決定者や、企業の長がしばしば裸の王様といわれるのも、そうしたことと無関係ではない。

 SOPも、発見を遅らせ、空爆を選択させなかった一つの原因となった。5月1日の決定で、U2型機がキューバ上空で撃墜された場合の政治的影響力を考慮し(実際に、9月9日に中国で、撃墜された)、キューバ東部方面への偵察飛行経路に変更。その後、様々な情報により、10月4日にキューバ西部の上空飛行を国務省の反対を押し切り、決定するも、CIAと空軍、どちらが、偵察を実施するか管轄権争いをしている内に5日が過ぎ、結局、空軍がキューバ西部の偵察飛行を行ったのは10月14日が最初であった。つまり、最終的に残った選択肢の、海上封鎖と空爆の二つのうち、空爆案が採用されなかったのは、的確なタイミングで、ミサイル情報が最高政策決定者に届いていなかったからだというのが、このモデルの解釈(空爆のほうが望ましかったということを、いっているわけではない)になる。

 加えて、組織のSOPも空爆案を退けるのに貢献した。最終見通し、つまり、空爆を実施した場合に、破壊を保証できるかどうか聞かれた空軍は「10%でも不確実性があれば、破壊は保証できないとする見解(SOP)に従い、保証できない」と答えてしまった。慎重な検討を経た場合には、この結論は異なったものになったかもしれない(アリソン)

 

4 日表の作成(宿題)

 諸君は、最終報告書の作成を前提に、以下の中からテーマを選択し、それに関する日表を作成してください(「連立政権」の中からテーマを選んでもよいです)。これは、分析の前提となる作業であり、解説、解釈は必要ありません。既に、日表の作成の仕方については、説明をしてありますが、なお疑問点がある場合には、政策過程分析入門を参照して下さい。

 エクセルで作成する場合が特にそうですが、文字の大きさには注意をしてください。過度に小さいものは避けてください。読めません。

 日表の作成は、一人でも、グループ(三名以内)でも構いません。当然のことながら、グループワークのほうを、より厳しく採点します。そのまま、最終報告もグループワークで行っても構いません。その際、報告書の成績が仮にAであったとしても、最終成績が三名ともAであるとは限りません。これまでの提出物などを勘案しつつ採点します。日表の作成は単独で、最終報告はグループワークで行うことは認められません。

 下記にあげたテーマ(「連立政権」を含む)以外にどうしても、取り組みたい(他の科目の宿題を流用するという安直な考え方はいけません)テーマがあれば、来週13日(月)までに、メールで相談して、草野の許可を得てください(bobby@sfc.keio.ac.jp)。

1 1999年3月の不審船出没と、日本政府の海上警備行動発令の決定と(実施)

2 1999年9月の東海村核関連施設事故と日本政府の危機管理(決定1,10K圏の避難勧告、決定2、原子力の安全管理に関する見直し)

3 1999年10月の日本政府の、介護保険実施の見直しに至る過程(亀井発言以前も含むこと)

4 1999年10月の自自公連立政権の発足に際して、衆議院の定数を20名削減することに決まったが、そこに至る過

5 1999年11月に、政府は、西ティモールに自衛隊部隊を派遣することを決め、直ちに実施したが、そこに至る過程(決定1,日本政府の東ティモールの住民投票への文民警察官の派遣、決定2、多国籍軍への日本の資金協力と人的協力の否定、決定3,西ティモールへの自衛隊部隊派遣)

6 1998年11月の日本長期信用銀行の一時国有化の決定に至る過程と、譲渡先が決まるまでの過

7 99年度通常国会で成立した通信傍受法案の政策過程(閣議決定を決定とし、そこに至る過程と、決定後の国会論戦をも分析)

8 99年度通常国会で成立した日の丸、君が代法案の政策過程(閣議決定を決定とし、そこに至る過程と、決定後の国会論戦をも分析)

提出期限 2000年1月11日(火)の正午

提出場所 イプシロン304