5342 返信 もう十分では? URL 高橋亨 2001/02/06 01:40
こんばんは。mikimamiさん。

>> もし本当に分散配備のせいで「慰安所」のあるところに兵がおらず、兵のい
>> るところには「慰安所」がなかったのなら、わざわざ何百という「慰安所」
>> を設置した意味がまったくなかったことになります。「慰安所」制度を立案
>> した軍中央はそこまでバカではないでしょう。
>
>現実にこの大隊では(高度分散配備の部隊では)、慰安所が無く、ピー屋に行っ
>て済ましていたと書いてあります。

軍の「慰安所」も同じく「ピー屋」と呼ばれていたんですけど。
日本軍部隊が駐屯地に着くとまず何よりも先にやるのが「慰安所」の設営で、
その任を担当した主計将校は、経理学校で「ピー屋設置要綱」というのを勉
強させられた、と鹿内信隆(元産経新聞社長)が述べています。[1]

それはともかく、ある特定の大隊の駐屯地に「慰安所」がなかったからといっ
て、それが一般的ケースだったということには全然ならないはずですが。そ
もそも、mikimamiさんが依拠しておられる桑島氏は、中国における「慰安所」
の全般的状況について、どれだけ知っているのですか?

>> そもそも、その桑島氏が述べているようなケースが「慰安所」の平均的な姿、
>> という根拠すらないのではありませんか?
>
>慰安所の状況ではなく、華北などで一般的だった、高度分散配置の部隊の状
>況です。200人くらいの中隊で、東京都くらいの広さの地域を守備する。
>その中隊も分遣隊が3つも4つも有り、各駐屯地とは20キロも30キロも
>離れていた。

それならますます、各分遣隊に「慰安婦」を派遣する必要があり、駐屯地が
分散しているほど移動に要するオーバーヘッドが大きくなったはずですが。
実際、分遣隊から「慰安婦」を受け取りに来て、隊の所在地まで連れて行っ
た話を何度か読んだ記憶があります。

>> たとえ重度の性病で「始末」されなくても、平均三回から四回も妊娠させら
>> れ、そのたびに注射や薬で堕胎させられる。「慰安婦」たちが強いられてい
>> たのはそうした生活です。性交の平均回数で「過酷さ」を測れるようなもの
>> ではなかったのです。
>>
>> 黄錦周さんはそれでもまだ性病治療の注射を受けられたのだからましなほう
>> です。海軍の元従軍看護婦中里チヨさんは、606号(梅毒治療のサルバル
>> サン注射)は軍人にだけ使用され、朝鮮人「慰安婦」には与えられなかった
>> こと、朝鮮人「慰安婦」はヨードチンキかマーキュロを塗ってもらうのがせ
>> いぜいの治療だったことを証言しています[5]。ざくろのように爛れた性器
>> にヨードチンキを塗られ、薬の染みる痛みに泣いていた「慰安婦」はその後
>> どうなったのでしょうか。
>
>これはぜんぜん話が違います。毎日のように過酷な性交を強いられていたと
>いう、話をしているはずです。私もそのようなことだったと考えていますが、
>違うのでしょうか? 性交の回数自体は少なかったが、扱いが酷かった、な
>どということでは無いと思うのですが。

私が言っているのは、「性交の回数」を過酷さを測る主要なパラメータであ
るかのように考えるのはおかしい、ということです。日本軍「慰安所」は、
現代の風俗産業などとは違います。軍人の回想記に出てくるような「慰安所」
は日本軍「慰安所」の中でも最もマシな部類(少なくともそれについて語っ
ても主観的には罪悪感に責められずに済ませられるような)ですが、それで
も「平均性交回数」で現代の風俗産業と比べて論じられるようなものではあ
りません。

>毎日、通過する部隊の兵の相手をさせられていたとは、従軍慰安婦の数が少
>ない証明でしょう。それともその地域に偏って少なかったのか。

私はそんなことは書いていません。通過部隊があるたびに(頻度がどの程度
なのかは不明)、その部隊の兵が「慰安所」に押し寄せてきて普段よりずっ
と過酷な状態になった、ということです。

>30人に一人従軍慰安婦が居れば、それこそ通過する部隊の兵と、同数くら
>いの従軍慰安婦が居てもおかしくない。

それでもどうしても兵と「慰安婦」の比率と、その結果としての「平均性交
回数」にこだわる、というのであれば、もう一度試算してみましょう。

実際の「慰安婦」数の比率は、軍が上から割り当てた数(軍人100人あた
り1名)と、業者が言うところの「適正比率」(軍人29人あたり1名)の
間のどこかにあったと考えます。いくらあちこちから連行してきても、「適
正比率」を達成するのは難しかったのではないかと思うからです。ここでは
仮に、軍人50人に1名、としてみます。

この数は、いわば「名簿上」の「慰安婦」数です。移動、妊娠、性病、ある
いはそれ以外の病気等により、「慰安婦」の実働数はこれより少なくなりま
す。

たった半年前に連れてこられた少女がもう「三等」になってしまうような状
況でこの実働数がどの程度目減りするものなのか。だいぶ甘い見積りのよう
な気がしますが、名目上の数から2割程度削って、軍人60人に1名、とし
てみます。

あとは軍人が平均してどの程度「慰安所」に行ったのか、ということが問題
になります。

休暇制度もなく、何年にもわたって戦場に縛り付けられ、人権のかけらもな
い、他にこれといって楽しみもない軍隊生活を送らされる兵にとって、行け
るものなら休日のたびにでも「慰安所」に行きたい、というのが偽らざると
ころでしょう。それを制約するのは料金だけです。

「慰安所」の料金を1円とすると、二等兵の給与は月6円ですから、確かに
かなりの出費です。しかし一等兵になれば9円、上等兵なら10円、兵長1
3円、下士官の伍長ともなれば20円、軍曹で30円、と給与は上がってい
きます[2]。

数的に軍の主要部分を占める下士官以下の平均として、月にどのくらい「慰
安所」に行ったものでしょうか。階級が上がるほど人数は減りますが、行き
たければ何回でも行けるような余裕ができてきます。

平均して軍人一人が月に2回「慰安所」に行くだけだったとしても、「慰安
婦」はまったく不可能な状態になっていない限り休むことなく毎日4人に、
月4回なら毎日8人に強姦されることになります。「慰安婦」の比率にも地
域的ばらつきがあり、兵がやってくる数にも波がありますから、多いときに
は一日に15人にも20人にもなったことでしょう。

これは「過酷な性交を強いられていた」状態ではないのでしょうか。

次に「慰安婦」の総数ですが、上記の仮定のとおり軍人50人あたり1名、
とすると、「慰安婦」の平均存在数は6万人となります。前回は交代率を1.
5〜2.0と見積もりましたが、改めて色々な証言を読み直してみると、こ
の見積りは低すぎる、という気がしてきました。何年もの「慰安婦」生活を
生き延びていま証言できている方たちは、頑健な精神と肉体、そしてかなり
の運にも恵まれた例外的な存在、と見るべきでしょう。

交代率を2.5とします。これで「慰安婦」総数は15万人です。

ところで、以上はあくまで「治安地域」における、登録された典型的「慰安
婦」の場合です。「高度分散配備」で辺境に配備された部隊などでは、周辺
の村から娘を拉致してきて隊内に監禁・輪姦するケースが多かったことが知
られています。この場合は金など支払わないのですから、金銭的制約条件は
何もありません。mikimamiさんは、これは強姦ケースだ、とおっしゃるかも
知れませんが、一定期間拘禁され性的奉仕を強要されたという被害実態が同
一である以上、典型的「慰安婦」同様、日本軍性奴隷制度の被害者、と見る
べきでしょう。女性国際戦犯法廷も同じ観点に立っているはずです。

中国や東南アジア全域にわたってみられたこのタイプの被害者がどれほどい
たのか、推定する根拠はなく、見当もつきません。典型的「慰安婦」の3分
の1、と仮定しても総数5万、これで被害者総数はもう20万人です。

もう十分ではないでしょうか。

もちろん以上の算定はあちこち推定ばかりで、パラメータの取り方ひとつで
倍にも半分にもなるでしょう。しかしそれならなおさら、数字にあれこれ言
うことに意味などないのではありませんか。

被害者数についてこれ以上はっきりしたことを言うためには、真相究明のた
めの公的な調査が必要です。一人や二人の学者がいくらがんばったところで
調べられるものではありません。公的調査でなければ官庁が隠しているデー
タを出させることも、被害国政府に協力を求めることもできません。そして、
そうした調査の実施をあくまで拒絶してきたのが日本国政府です。よって、
日本国政府にも、日本軍性奴隷問題の追求に反対するその他の勢力にも、女
性国際戦犯法廷の挙げた推定被害者数に異を唱える資格はありません。

>> [4] 石川逸子 『「従軍慰安婦」にされた少女たち』 岩波ジュニア文庫 
>> p.51
>> [5] 西野瑠美子 「私が看た海南島海軍病院の「慰安婦」たち」 週刊金曜
>> 日 1997.5.23号
>
>↑これはやっぱり南方の話が多いですね。
>従軍慰安婦の総数を知るには、陸軍の大半の部隊が居た、中国の状況を知ら
>なくては、分からないと思うのですが。

黄錦周さんのケースも、宋神道さんのケースも、どちらも中国です。

[1] 石出法太・金富子・林博史『「日本軍慰安婦」をどう教えるか』
  梨の木舎 p.130
[2] 同上書 p.64