15650 返信 Re:「護憲」の思想的意義 URL 鈴木 康 2002/10/08 05:09
へちま鼻さん、こんばんは。へちま鼻さんに比べれば私の守備範囲は狭いですし、あまり話を散らしたくもないので、「できる範囲でのレス」ということでお許し下さい。
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> 確かに、そうした「教条的護憲」から、いきなり真に主体的な価値意識が現れるかというと、僕も疑問なのです。ただし、価値意識のもともと稀薄な土壌をもつ日本社会で、あえて「護憲」に執着し続けるのは、安易にそれを見捨てて転向してしまうよりは、まだ思想的発展の可能性があると思いますよ。

 憲法を見捨てるのを「転向」と呼んでしまうのはいかがなものかと思います。私の場合ですと、思想的にはもともと見捨てているわけですから「転向」しようがないわけです。もちろん憲法のプラグマチックな価値については否定するものではありません。

>この意味で、日本国憲法に真に生命を与えたのは、戦後民主主義運動であったのです。

 しかし現実的に憲法の理想は遠のく一方なのはなぜなのでしょう?歴史的にみて日本国憲法が、占領軍の「反共・反軍国主義」政策を抱き合わせにした便宜主義の産物であったことを疑う余地はありません。憲法を偶像化し、憲法そのものの思想的意義の検証を怠ってきた戦後民主運動の思想的退廃のつけがまわってきたから、憲法の理想は遠のく一方であると私は考えます。
 「変わることだけは変わらない」というのが私がものを考える際の大原則です。日本国憲法にしても、「良く変わる」か「悪く変わる」以外にないと思っています。その意味で現在の「護憲勢力」は、改憲派に遅れをとっている部分があります。積極的に変えろとまでは言わないまでも、憲法そのものを論じることを怠っていてはそれなりの価値のある憲法が風化してしまいます。

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> > 護憲派の中には、自衛隊問題では厳格な憲法解釈を要求しつつ外国人の参政権問題では弾力的な憲法解釈を要求する向きもあるのです。
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> というのも、「条文フェティシズム」を取らずにその背後の精神を読み込むとすれば、決して「便宜主義」ではなく、むしろ本道だと思います。

 問題は、背後の精神が正しく読み込まれる保証はどこにもないということです。日本人が自らの手で憲法を作ったのならいざ知らず、「たなぼた」憲法の精神を正しく読み込めるかどうかは大いに疑問です。法解釈はさまざまな人間によってなされるわけですから、愚直なくらいでちょうどいいと私は思います。
 民主主義社会というのは、法治主義なしでは維持できません。法解釈はできるだけ条文通りに行い時代に合わない法はすみやかに改正していくほうが、玉石混淆の法解釈がなされるよりはましであると私は考えます。学者の間でしか通用しないような法解釈よりも、一般市民に通用する明快で一貫性のある法解釈こそが必要です。民主主義社会に大岡越前のような存在は無用です。