22252 | 返信 | ヨセフスの「キリスト証言」は後世の捏造 | URL | 森永和彦 | 2003/07/31 00:30 | |
>70年のユダヤ戦争でローマ軍の捕虜になったユダヤ人史家フラウィウス・ヨセフス [5] は、『ユダヤ古代誌』でイエスについて、こう述べています。 > > > さてこのころイエスという賢人(―実際に彼を人と呼ぶことが許されるならば―)が現れた。(彼は奇跡を行うものであり)、また喜んで真理を受け入れる人たちの教師でもあった。そして、多くのユダヤ人と(少なからざるギリシア人と)を帰依させた。(彼こそはキリストだったのである。)ピラトは彼が我々の指導者たちによって告発されると、十字架刑の判決を下したが、最初に彼を愛するようになった者たちは彼を見捨てようとはしなかった。(すると彼は三日目に復活して、彼らの中にその姿を見せた。すでに上の預言者たちは、これらのことやされに彼に関するその他無数の驚嘆すべき事柄を語っていたが、それが実現したのである。)なお彼の名にちなんでクリスティアノイ〔キリスト教徒〕と呼ばれる族は、その後現在にいたるまで連綿として残っている。 これがかの有名な「キリスト証言」であり、「ナザレのイエス」の実在を示すほとんど唯一の史料とされるものです。 しかし、この「キリスト証言」はヨセフスの筆になるものではなく、後世にキリスト教徒によって捏造されたものであると多くの歴史家は考えています。ヨセフスはパリサイ派ユダヤ教徒であったので、「彼こそはキリストだった」だの「三日目に復活した」だのという、ユダヤ教徒としての信条に完全に矛盾する記述を行うとは考えられず、少なくともこの部分はキリスト教徒が捏造したものだと考えられます。 上記の部分がすべてキリスト教徒によって捏造されたと考える歴史家もおり、また全部ではなく「彼こそはキリストだった」「三日目に復活した」などの部分だけがキリスト教徒により捏造されたと考える歴史家もいます。仮に後者の立場を取れば、ヨセフスの原文には「キリスト」「復活」はともかくとしても「ナザレのイエス」への言及自体はあったのだということになります。 しかしそうだとしても、この記事が「ナザレのイエス」の実在の証拠とされるには無理があります。ヨセフスが生まれたのは37年であり、『ユダヤ古代誌』が書かれたのは93年と考えられます。93年にはすでに原始キリスト教が成立し、福音書も存在しました。このことから、ヨセフスの記事は福音書から取られたもので、独立した史料によるものではない可能性があります。ヨセフス以前には、「ナザレのイエス」に関する信頼できる史料は何もありません。 全世界に広まったキリスト教。その創始者とされる人物が、実は架空の人物かもしれない--少なくとも、その実在を示す積極的な証拠は何もない。これを知ると仰天する人が多いかもしれませんが、夏休みに子どもたちの歴史への関心をかき立てるにはよいテーマかもしれません。 |
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