23129 | 返信 | マルクス思想の評価 | URL | 山 | 2003/09/13 12:26 | |
>マルクス・レーニン主義を指導原理として奉じる「現存社会主義」体制【国家】においては、おっしゃる通りでしょう。 > >ただ、僕が言っているのはあくまで【思想】としての「マルクス・レーニン主義」です。ベルナールさんがよく言われるように、こうした抽象的概念は再定義しないと意味を持たないわけで、その再定義の仕方によって「プロレタリアート独裁」の位置づけも変わってくるわけです。いわゆる本家争いや教義論争はまた別の話だと思います。 へちま鼻さん、こんにちは。 たまたま、久しぶりにここにROMに訪れ、少しコメントしたくなりました。 私が考えていることをかなり、大雑把に、しかもかなりいい加減、適当に書いて見たいと思います。 みなさん、良ければご批判していただきたいです。 現在の先進諸国の政治システムを思想史的に捉えなおすと、もともとイギリスの長い歴史の中で 発展した議会制、権力分立制+アメリカのジェファーソン流の民主主義(男子普選)+20世紀女子参政権というような流れで発展してきたと考えます。 この流れの中でマルクスは、チャーチスト運動のような男子普選要求の運動の時期の後、この男子普選要求運動と一線を画し、プロレタリアート独裁を主張し始めます。 この流れで見るならば、マルクスは本来の流れから外れていって袋小路に入っているのではないかという印象を持ちます。 もう一つ、政治思想で重要なことは、ジョン・ロックが主張した普遍的な「人間の権利」の思想です。 この思想が、個人の自由を尊重する自由主義から20世紀の社会権に発展(?)していったと考えると、マルクスは、人権思想を肯定的に採りあげたことはなく、これもまた、マルクス思想は同様に袋小路に入る流れに見えます。 経済学についても、マルクス以降、1870年代に限界革命によって、ミクロ経済学が発展していき、どのように希少な資源を効率的に配分するのかが経済学のテーマになり、市場メカニズムの優位性と同時に市場の失敗について明らかにされるになっていくに従って、労働価値説という客観主義的な理論的前提に立ち、市場の廃止と労働時間による分配を主張したマルクス流社会主義の誤りは、日本共産党綱領改定案でも批判される等、はっきりしてきていると思います。 かなり、大雑把に適当に書きましたが、私は、マルクス思想の幹の部分は何の価値もないと考えています。 もちろん、枝の部分、着想力や構想力などでは、参考すべき内容がまだある可能性はあると思いますが・・・ |
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