28211 | 返信 | 返事ととりあえずのまとめ。 | URL | あしな | 2004/06/05 15:24 | |
> 施設の方々には基本的な生活保障はあっても、お金ゲトは自分たちなりの工夫でするしかありません(株であったり、手内職であったり)、さまざまでした。 > 私が具体的に知っているのは、その手記を通してでしかありませんが。 > > で、私が「余談」で挙げた「例」をもって、「金もらえるなら自分も水俣病になりたい」と思われた方が、おひとりでもいらしたんでしょうか。 > > いらしたのであれば、申し訳なく思います。 もちろん私が言ったことはそういうことではなくて、以下のようなニュアンスに近いかと。本日付朝日新聞朝刊「私の視点」掲載ののシンスゴ氏の所論より この社会では、「かわいそうな弱者」がじっと耐えている間は、大衆は涙を流して同情してくれる。 だが、ひとたび弱者が声を上げ、政府や加害企業などに異議を唱え始めると、一転して「権利ばかり主張する」とか「感謝が足りない」と言った激しい非難をぶつけてくる。 ここから全体のまとめ。「日本人に権利意識は微塵もない」についてgajiさん他の方々は、大ざっぱにまとめれば、個々の日本人に「(西欧とは異なる)権利意識があるのに、それが無いとはどういうことだ」と主張されていると思っております。それに対して ・個々の日本人に権利意識はあるかもしれないが、日本人と呼ばれる集団全体の行動として、個々人が持つ権利意識は充分活かされていないか、むしろ鋭く対立した上で圧殺されているている。 というのが私の主張です。「鋭く対立した上で圧殺」の事例としてチッソ水俣病闘争を挙げました。さらにこのような見解の相違を来したポイントについては、 ・個人を積み上げていってそのままストレートに日本人という集団に行き着くわけではない。日本人という集合名詞が一つの具体的な実体として語られ得るためには、個々人、諸集団間の様々な矛盾を排除し近代国民国家に見合う「日本人」というナショナルアイデンティティーの確立を待たなければならない。それ故、近代以降の日本人にそれ以前の「日本人」がそのまま連続していると見なすことは出来ない。 となります。 |
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