28247 | 返信 | 義和団事件・北清事変 | URL | 小林 哲夫 | 2004/06/07 18:57 | |
山さん 武蔵の一住民さん こんにちは 1900年に中国で起こった義和団事件が、西洋がむちゃくちゃ侵略をしていた証拠だ、という人がいますので、この事件を勉強してみました。 この事件はいわば日本の幕末浪士による外国人襲撃事件を大規模にしたものです。 このころ中国民衆に対するキリスト教布教活動が盛んになって、信者数が中国全土で急増したために、国内で旧勢力との間に深刻な対立が生まれました。 この時キリスト教会を襲撃する事件が全中国で起こり、その代表的団体が義和団でした。 この外国人襲撃を伴う騒乱が北清一帯に広がり、ついに義和団は北京に入って、在留外国人1000人が籠もる地域を包囲しました。(映画;北京の55日) この時清朝政府から連合軍に対して宣戦を布告したのですから、西洋による一方的侵略とは言いがたいものです。 これを救出すべく八カ国連合軍が北京を攻略した際に略奪、虐殺があり、その戦後に莫大な賠償を課し、軍隊の駐留権を獲得したものです。 このような事件は日本では起こりえないことであるのは、 先ずキリスト教が日本では民衆の中に全く浸透しなかったので、民衆の間での対立が生じなかったこと。 次に日本の攘夷運動は幕末のほんの一握りの武士のものであって、明治以後に民衆の排外思想や外国人排斥運動など一切無かったことがあります。 これはイラクの反米感情と日本の敗戦後の親米感情の違いに似ています。 日本にも馬関戦争、薩英戦争と排外思想による戦争はありましたが、ちょっと戦って負けるや、変わり身早く今度は却って友好国になった経験があります。 日本は敵とすぐに仲良くなる能力が優れていたために、民衆の憎しみが外国人に向かったり、騒乱が起こるということが有り得なかったという意味で、義和団事件は日本にとって何の参考にもならないことなのです。 これに比べると中国では、キリスト教信者が急増したことが日本と違い、この急増が中国国内の対立を大きくしました。 日本にはこのような外国をめぐっての内部対立も起こらなかったという特性があります。 結論として、義和団事件には確かに西洋側(日本を含む)の行き過ぎもありましたが、事件は西洋が何かをたくらんで謀略で起こしたものでなく、中国民衆の排外思想が出発点でした。 何でもかんでも西洋を悪者にすれば済むというものでは無い、ということを説明しました。 |
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