28275 | 返信 | Re:植民地は儲からない | URL | タラリ | 2004/06/10 00:30 | |
小林さんの論理展開はで問題なのは、ある主張の主体とされているものが頻繁にすり変わることです。 >ここで植民地を持つ側、つまり西洋の側から見てみる事にします。 > 皆さんは「植民地を持てば莫大な儲けが転がり込んでくるから、持とうと思わない方が>おかしい。」というような心理状態にあるようです。 ◇西洋は植民地を持てば莫大な儲けが転がり込んでくるから、持とうと思った ◇皆さん(どうやら、左翼のことを指すらしい)は「西洋は植民地を持てば莫大な儲けが転がり込んでくるから、持とうと思った」と考えた。 のように主張しているかと思いきや、実は ◇皆さんが「植民地を持てば莫大な儲けが転がり込んでくるから、持とうと思っている」 という主張をしているわけです。左翼はそんなことを考えていません。 これは左翼の私が言うのですから確かです。 > 今でもこんな偏見を持っていると言うことが大変危険なことだと気がついてください。 > 「満州は日本の生命線だ。」と今でも信じている人が多いようです。 > > inti-solさんのような左翼側の人にこの考えの人が多いのが残念なのです。 > ただ結論の部分、「持つことは悪いことだった」というところが違うのですが、「日本にとって満州は必要だった。」ということは疑っていない人が多いのです。 左翼はそのようなことを考えてはおりません。これは左翼の私が言うのですから確かです。そういう、いわれなき批判を左翼に浴びせる小林哲夫さんは、さしづめウヨクでしょう。違いますか。 > しかしあの当時、石橋湛山がきっちり言っていますが、日本の植民地は全て持ち出しの赤字だったのです。 > > 植民地経営は結局は割に合わないものだと言うことを戦後にでも経済学者が数字で究明してくれればこんな誤解は残らなかったのですが、マル経の学者には都合悪いことだったようで、数字で明確にした本は無いようです。 石橋湛山は左翼ではありませんが、透徹したものの見方をしています。私は高く評価しています。 > 西洋は19世紀に既にこれが割に合わないことに気がついていたので、前の時代のような植民地主義は終わっていました。 > > 植民地から上がる利益では、軍隊・戦争の費用をまかない切れないものだったのです。 西洋が植民地が割に合わないと気がつくのは早くても第一次世界大戦後であって、それも不揃いであり、決定的になったのは第二次大戦後です。二〇世紀初頭までは依然として植民地獲得競争の時代でした。 > アヘン戦争というのは、インドからのお茶の輸入超過の支払いに困ったイギリスがこの代金をアヘンを売った金で決済しようと考えたものです。 > > これは全体が商品経済の世界であって、植民地の必要性などどこにも見当たりません。 アヘンは西欧各国で禁止された薬物です。普通の政府が国民に許すような商品ではありません。普通に売ろうとしても売れない商品ですから、武力をもって部分的に植民地化してはじめて売ることが出来たのです。けっして対等な貿易の商品ではありません。 > この時代の西洋は産業革命で過剰生産に陥っていた商品の市場を求めていたにすぎません。 > 香港の租借は、貿易の拠点を確保する目的であって、そこの人民を支配して搾取することを目的とした、前の時代の植民地ではありません。 > 中国のあちこちで租借地が作られますが、これらは全て拠点であって、これらを以って中国が植民地になったというのは、現実を見ない短絡的発想です。 何を寝ぼけていますか。アヘンは「産業革命で過剰生産に陥っていた商品」ではありません。香港の租借はアヘンを通じて中国の人民から搾取するためでした。租借したのは一地域にすぎませんが、それを通じて中国全体から暴利をむさぼることが出来たのです。 > だからこの時代、主権が確立している国に対しては、貿易の自由化を求めるのが主でした。 > > 主権が確立していない地域には、政府を作って、西洋の規格に合った領域にすることが目的でした。 「主権が確立していない地域には、政府を作って、西洋の規格に合った領域にする」 というのは植民地国家を作ったということですね。つまりアジア・アフリカを植民地化するのは搾取のためではなく、「西洋の規格に合った領域にする」という貴い目的があったと美化するわけですね。 小林さんのような人のことを「植民地主義者」と呼びます。 > アフリカや東南アジアの植民地化は、商品流通の地盤を整えるためであって、直接の現地からの搾取が目的ではありません。 > > だから東南アジアの中では国家として体制が確立していた、タイは植民地にする必要がなかったのです。 > > さらに極東の中国、朝鮮、日本は既に確立した国でしたから、植民地化する意思はありませんでした。 > > その中では中国は清朝末期の王朝の衰退期に当っていたので、西洋の干渉が他国よりは激しかったものです。 ただ、統一民族国家が成立していない部族国家しかなかった地域から植民地化が進んだ、統一民族国家が成立して植民地化されるのに強い抵抗をしめすところは植民地化が遅れた、あるいはイギリス、フランスの緩衝地帯であったタイなどは植民地化を免れたということでしょう。すべては帝国主義列強の都合です。 |
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