28430 | 返信 | Re:「君が代」強制批判のPTA会長、辞任に追い込まれる | URL | おっちゃん | 2004/06/18 16:08 | |
クマさん > 良心の自由に対する不当な圧力を問題にしているんですから、そういう圧力は悪いに決まってるでしょう。世のなかが圧力だらけ(といってもあんなのは異例でしょうが)といって弾圧を不問にしてどうするんですか。 この程度の圧力は弾圧ではないのです。このような言い換えは本当に弾圧された(されている)人たちに失礼になります。 > 、というのは脅迫ではないのか。というか、周囲から離反させ孤立させていく陰湿なやりかたなどは、脅迫でないから不問に付すわけですか? そういうのがまかりとおる社会であっていいと? 「子どもがイジメに遭うかもしれない」は非常に卑怯な物言いですが脅迫ではありません。そういうことを言う輩はどうせ「あなたの子どもさんのことを心配して言ったまで」などと逃げるでしょうが、私ならばいったんそういう言質を取れれば以降は楽に論争を進めることができると喜びます。 >もうすぐ「天皇陛下万歳」を黙って聞いていなければならなくなりそうなので抵抗しているんですよ。 そりゃPTA会長の式典での挨拶が「市民的自由・個人的意見表明」だとするようでは「黙って聞く」しかなくなるでしょうね。 > 去年までは都立高校でも校長や教頭も言っていた、他地域では今年も言っている「内心の自由がある」という、当たり前といえば当たり前すぎるほど当然の言明が、おっちゃんにとって「出すぎたこと」になってしまった基準はなんですか? さて、問題はここなのですね。 PTA会長の発言内容は詳しくは紹介されてはいませんが「(個人には)内心の自由がある」ということではなく、都教委の教員処分を直接批判した発言ではなかったのかと私はみています。私の想像で申しわけないがこの部分こそが問題の中心(本質)です。 前者と後者にはおおきな違いがあるということは、過去の問答有用での議論でもあきらかですね。 それを隠蔽するような報道内容(問題の内心の自由へのすりかえ)は眉唾ものというのが一般の見方ではないでしょうか。 前者ならば私はいくらでも支援しますが、後者ならば明らかに政治的発言であり「場違い」であることは明白でしょう。 > 要するに「お上の通達」でしょうが。おっちゃんの主張の結末が、「お上の言うことには従え、従わなければ圧力をかけられても仕方がない」というアケスケなものになったこと、非常に残念に思います。 さまざまな政治的立場や考えを持った人たちの集まりであるPTAの代表として発言する場面では個人の政治的発言(内容)を極力慎むべきだというのは常識です。 |
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