28536 | 返信 | Re:「君が代」強制批判&世界の国歌(フロム的解析) | URL | おっちゃん | 2004/06/23 02:33 | |
上海さん、 >いえ、公教育において、教科書検定制度がある以上、教育内容は極めて政治的であります。国家の予算で施す「教育」が「国家の不利益」の方向を向いているはずは無くでしょう。「教育」という行為自体、教える側が何らかの意図を持って行なう以上、教える側の思想信条は入ってきて当たり前です。数学や物理ですら「認識論」と「実験による証明」である限り「思想信条」は介入します。 そういう極論を書いていただけるのならば、もっと徹底的にやりましょう。 >その「介入する思想信条」をどの程度許容し同時に改善のための不断の努力を教育現場から如何に取り出すかが求められる姿なのではないかと思うわけです。 そのとおりです。 >「自由」と言うものが、その獲得のために払わざるを得ない多大な労力を惜しむ事によって「自由からの逃避」を社会的に行なっていく様の典型的な例が、よく見受けられる日の丸君が代論争ですね。 ひとつの「踏み絵」ですからね。典型的であると同時に教育問題としては瑣末な問題のひとつにすぎません。 さて、提案ですが、 教科書の選択、式典における日の丸・君が代の扱いなども含めて「改善のための不断の努力」の実質的な権能を教育現場の「当事者」の手に取りもどすというのはどうです? すべて校長・教師・PTAや地域の代表・・・が決めればいいことなのです。 そうではありませんか? 民主主義社会の学校教育というのはそうあるべきでしょう。 教育基本法にも『教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。』ときちんと書いてある。 文科省や日教組の出る幕ではないのですね。市民こそ主人公です。 |
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