28564 返信 Re:「君が代」強制批判&世界の国歌(フロム的解析) URL gaji 2004/06/24 10:32
上海さん、こんにちは(追加訂正・再投稿)

> > そうですね。けれど同じことを繰り返しループするだけだとしたら、対話ってなんでしょう。どこか不毛だと思うんですよ。切り捨てる、といったことではなく。なぜループになってしまうかというと、お互いのフレーム・オブ・レファレンス(準拠枠)が異なっているからだと思うんです。
>
> その通りです。しかし正確に言えば「異なっている」のではなく、意識的に或いは無意識的に
> 異なる準拠枠で議論するように多くの方の発想の方向が慣らされているのだと思いますが。

あの、ですから、その結果、準拠枠が異なってしまっている、ということです。

> > 十数年前と今とでは状況が違います。十数年前といえば、国旗国歌法(1999)もありませんでした。処分等、あるはずがありません。
>
> いえ、いっぱいありましたよ。
> 配置転換、自主退職などね。

そうかもしれませんね。
ちなみに「配置転換、自主退職」で検索してみたのですが、最近は不適格教員の問題のほうが深刻らしく、以前の例はなかなか見つけられませんでした。。

(1) 不適格教員の配置転換------
(略)
 しかし制度導入にあたっては、教育委員会側の一方的な認定で配置転換しないよう、「不適格」とする基準の明確化、認定に第三者を参加させるなど公正な手続きを保障する必要がある。
-----http://www.pref.gifu.jp/s21401/kenkyu/1/1_25/1_25_14.htm


> > >そういったことが、しかたない、あるいは、本人がハンコを押したから本人にも非がある、といったレベルで捉えられる事が、事の本質から「ずれてる」と考えられるわけです。本来なら、少なくとも、90年代以降の、このような事に拒否感を無くさせてしまった社会や人々の感性や理性の変化/鈍化二こそ危機感を感じざるおえない。つまり、技術論ではなく、状況論としてとらえるべきではないか?ということです。
> >
> > 時代のルールに即したものでなければ、ルール違反扱いされるのは自明のことです。
>
> これは思考ストップの宣言ともいえるが

そうですか、大仰ですね。

ご当人の以下のご発言から感じることは、

-------
(略)
しかし、私は音楽家である前に一人の人間です。
人間として社会に関わっていく上で、なにか納得の行かない出来事にあった時、自分の信条を曲げて受け流すのは潔いと思いません。子どもを学校に通わせている身としては、学校がより良い環境になることを願うのは当然の事です。それは親として避けて通る訳には行かない問題です。
(略)
御心配してくれる方々には感謝いたします。しかし、音楽家であることと、一社会人であること、この二つは自分に取って結びついたものです。別々のものではありません。一社会人として最低限、譲れないことは譲りません。譲ってしまえば、自分の大切にしている音楽をも見殺しにすることにつながるでしょう。
-----生活の中心 高橋聡6/19(元会長さん)より 

批判を受けて会長を辞任したことに関して、ご自身は、肯定的であること。

自分に対する批判(「私見は控えてほしい」by校長、「時と場をわきまえろ。反省しろ」by区議etc)=【納得がいかない出来事にあった】
(推測でしかありませんが、謝罪と撤回を求められたのかもしれません)
           ↓
【自分の信条を曲げて受け流すのは潔いと思いません】「高橋さんは辞意を表明。」
           ↓
(以降数日、もめますが)「皆さんと一緒に仕事を続けていく自信を失いました」(著名押印)
【譲れないことは譲りません。】

cf.http://www6.plala.or.jp/fynet/2scrap318kimigayo.html#318a040614xxx
(新聞記事になって以来、校長に対する非難が多いようです。少なくとも私が見かけたblogのほとんどは、都教委や校長に対する批判でした)

簡略すれば、”自分のしたことに非はない”、したがって反省する(譲る)気は毛頭ない。【譲ってしまえば、自分の大切にしている音楽をも見殺しにすることにつながるでしょう。】と。

サイトの訪問者も増え、かえって喜んでおられるといいますか。ミュージシャンであれば名が知れることは願ってもないことですよね。PTAとしてはともかく、個人的には勝者でしょう。

そのような意味では、お手数申し訳ありませんでしたが、以下は的外れかと思います。

> 或いは
>
> アメリカで第四インターの勢力が大量にネオコンに流れたのと同様の
> 「敗北」→「無力」→「恭順」→「服従」→「自由からの逃避」→(「権力への渇望」)
> というフロムが「自由からの逃走」として見事に説明した社会的個人の思考パターン
> にあてはまると思います。
>
> 「時代のルール」と言うものが憲法レベルなのか法令レベルなのか条例レベルなのか
> はたまた「暗黙の諒解」レベル(空気を読めよ!!レベル)なのか、gajiさん自身が
> 既に確固たる準拠枠を決めていらっしゃる!

私は何も決めていませんよ。迷ったときは何かをポーンして、裏か表かで決めてたり。。(←半分ホントのようなウソです)

失礼致しました
E・フロムは70年代の頃読みましたが(あのころ流行ってました)、すっかり忘れてしまいました。