28609 | 返信 | Re:「君が代」強制批判&世界の国歌(フロム的解析) | URL | おっちゃん | 2004/06/27 04:12 | |
ななさん、 >今年3月に行なわれた都立校(全日制、定時制、養護学校)の卒業式での「日の丸・君が代」強制に際して、不斉唱、不起立で臨んだ教員に対する都教委の処分については東京新聞の報道でその概要がつかめます。 ご紹介ありがとうございます。 >おっちゃんは「国旗国歌問題でのみ雇用拒否という現実であればあきらかに「弾圧」でしょう」と別稿で書かれていますが、報道されている内容の限りでは「「国旗国歌問題でのみ雇用拒否」というのが現実だと言えるでしょう。 したがって、今回の都教委による(地方行政)行為は不当な弾圧だと言う点でおっちゃんは同意できるわけですね? 報道されている限りによれば、 >理由は「卒業式の国歌斉唱で着座したことしか思いつかない」と語る。 「国歌斉唱をしなかった」ことが雇用延長をしなかった理由とされたのではなく、それは通告された側の想像(推測)のようですね。 雇用者側は理由を明示していないのではないですか? 雇用は契約であり、契約の範囲ならば何をしてもいいことになっているのですね。 その契約では理由を告げずに一方的に雇用延長を拒否できる契約になっているのではないですか? たぶん、嘱託の皆さんはそのことを了解して契約時にはハンコを押しているはずです。 ハンコを押してから何を言っても無効という見本のような現実です。 強調したくはないけれども、これも「弾圧」ではありません。 契約を切られたのが国歌斉唱をしなかった人たちのみで、それ以外は一名も契約を切られなかったというのならば、実に露骨かつ姑息な手法だと思いますが(「子どもがいじめられるかもしれない」発言と同様の手法)それだけのことです。 一般企業でも合理的根拠のない「見せしめ」の左遷とか、臨時(派遣)社員の雇用打ち切りとかが人権侵害として罰せられずに大手を振ってまかり通っているわけです。 この問題は私が「この国ではこれまでにクビを切られた公務員(教師)がひとりでもいるのか?」と書いた文章から派生しています。雇用契約の種類が違う方々の「例」をひきあいに出されても(同情はいたしますが)主張をひっこめるわけにはいかないのです。 同じことをしても片方がクビを切られずに、もう一方だけがバッサリ切られるということからは差別的雇用制度の矛盾が浮き彫りになるだけでしょう。 >このおっちゃんの物言いは、かなりひどい論点逸らし、論点の捻じ曲げだと思いますね。 >どう斜めに読んでみてもクマさんの発言から<「国旗国歌」強制以外の理由で「解雇してもかまわない」>という論旨は引き出せないのに、「その他の理由の場合は解雇してもかまわないと言うわけ?」という屈折した揶揄言辞の投げつけはおっちゃん流と解釈すべき?^^; クマさんにはちょっと言い過ぎましたかね。その部分もちろん撤回いたします。 他の理由で職を失った皆さんへの同情が前面に出過ぎました。 >正社員とパートや嘱託などのいわゆる非正社員との間に現前としてある雇用や待遇上の様々な差別の問題は、それ自体ひとつの大きな社会問題、政治問題であり、『問答有用掲示板』設置主旨に則った議論テーマに充分なり得るものと言えるでしょう。 はい。 >おっちゃんは<不当な「弾圧」があるすれば、それは嘱託契約教員に対する労働者としての権利保障上の差別的な扱いがその原因になっている」>というような論点に議論の方向をもっていきたいようですが、差別的な扱い(おっちゃん言うところの「自由に解雇できる雇用制度」)の存在を認め、それについて議論することと、それを今回の都教委による不当な処分問題(「正規雇用」教員に対する戒告や嘱託教員に対する「事実上の解雇」)の原因に絡めることは、今回の場合、分別して議論する必要があるように思います。 >おっちゃんが指摘する教員採用における雇用上の差別的な問題、不当性は、他の多くの職種にも広くそして切実に存在する問題として、一般論として同意できますが、今回の問題(都教委の教員に対する不当処分)を議論テーマとして取り上げる際には、雇用制度の不当性というよりも都教委による不当な処分という行政行為の不当性そのものにその焦点を当てて議論すべきでしょう。 だから、それは「解雇された公務員(教員)は一人でもいますか?」の事例(反論)にならないということでよろしいでしょうか? 私としてもきちんと分別していただければそれでいいのです。 私の主張は公務員(教師)はずいぶんと優遇されていて、少々のことでは解雇されないというものです。その程度の圧力や指導強化など「弾圧」のうちにはいらない・・・と何度も書いています。 一般社会の現実とのバランス感覚の問題ですね。 >実際のところ、都教委は「正規雇用教員」に対しても戒告処分(実質的には減給処分にもなる)が重なれば分限免職にするという警告、「脅し」をかけています。つまり、憲法で保護されるべき「良心の自由」を侵害するような暴挙を犯してまで都教委は思い通りにならない教員を嘱託、正規にかかわらず排除していこうというのが彼らの目的だと見ることができます。ですから、その行政行為の不当性について様々な角度から論じ批判することが今回の問題の本質的議論と言えるでしょうし、ここでの議論もその方向で進めていくべきだと思います。 「弾圧」や「強制」は個人の領域に及んでこそ憲法で保証された思想信条の自由の侵害になります。試験で自分の考えに合わない生徒の点数を零点にした公務員(教師)のような存在こそ弾圧者というのです。このような「排除の思想」が学校という権力機構(その尖兵は教師)を背景に台頭してくることこそ懸念されねばならないわけです。 この場合、「自衛隊派兵」に賛成か反対かなどの議論は関係なかったりするのですね。 |
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