28675 | 返信 | Re:根性が無いのう(28622への感想) | URL | 工藤猛 | 2004/07/01 11:31 | |
> 工藤さん、 > > > 私の感想では「よわよわしい」屁かす の ような脅しに聞こえた。 > > 脅した本人の「よわよわしい」悲鳴に聞こえた。 > > だからといって放っておくわけにはいかないのです。日の丸・君が代の強制に反対する挨拶をしたPTA会長に対する「子どもがいじめに遭うかもしれない」という脅しめいた言葉にしても、まず間違いなく「駄犬の遠吠え」でしょう。しかし、脅威を感じる人がいないわけではありません。右であれ左であれ、言語道断な脅迫を繰り返させないためには、水に落ちた犬は断固打つべきであり、まともに扱って「返り討ち」にする価値すらありません。 > 魯迅の評論「フェアプレイにはまだ早い」を転載します。 > > (転載開始) > 話に聞くと、勇敢な拳闘士は、すでに地に倒れた敵には決して手を加えぬそうである。これはまことに、吾人の模範とすべきことである。ただし、それにはもうひとつ条件がいる、と私は思う。 > すなわち、敵もまた勇敢な闘士であること、一敗した後は、みずから悔いて、再び手向かいしないか、あるいは堂々と復讐に立ち向かってくること。これなら、むろん、どちらでも悪くない。しかるに犬は、この例を当てはめて、対等の敵と見なすことはできない。何となれば、犬は、いかに狂い吠えようとも、実際は「道義」などを絶対に解さぬのだから。まして犬は泳ぎができる。かならず岸にはい上がって、油断していると、まず体をブルブルッと振って、しずくを人のからだといわず一面にはねかけ、しっぽを巻いて逃げ去るにちがいないのである。しかも、その後になっても、性情は依然として変わらない。愚直な人は、犬が水に落ちたのを見て、洗礼を受けたものと認め、きっと懺悔するだろう。もう出てきて人に咬みつくことはあるまいと思うのは、とんでもないまちがいである。 > 要するに、もし人を咬む犬なら、たとえ岸にいようとも、あるいは水中にいようとも、すべて打つべき部類だと私は考える。 > (転載終了) *****28643の鈴木 康さんの投稿***** むずい判断に迷う「論点」です。 ずるいにげかたをします。 どっちの対策とか方策とか対応の方が「徳ではなくて得」になって かつ自分の感性や心持にかなったものなのかと思案すると。 今の時勢、軍事派、右派よりの流れになっている。 (海外に軍隊を派兵している・いかに制限つきのものであれ、集団的自衛権に 政府が踏み込んだ発言をしている。憲法改正が5年から10年の期間で実現される 政治情勢にまで日本社会は良い方向に成熟してきた。国旗、国歌論争なんて 社会を喚起する話題ではなくなっている。) いけいけどんどんの一方向で政治や歴史の流れを誤らないように、 日本民族の自立自主・尊厳確保のために「左翼的な見解、感情」にも 一定の理解の下で「共存」の方向性で対応したほうが いいのではないかと、自分の習性・嗜好・思考から 判断するようになっている。 鈴木康さんのご意見はごもっともであり その方向性もあります。否定できかねます。 朝鮮半島の北半部の政権や中国大陸の共産党には 特に「朝鮮総連幹部」には鈴木康さんのご紹介されている 魯迅の評論に示された心性で心構えで、私も、対応しています。 どんな小さなごまかしも火種のうちに消そうと思っています。 今の日本、保守(一部の右翼を含む、多数の自由主義者を含む)、中道が 圧倒的に多数派です。 本来の意味での左翼はごく一部の少数派になっています。 社会党が国会で30%前後の議席を占めていた時代とは 時代層があきらかに違います。絶滅種の保護とまでは言いません。 その思想性、発想が庶民の安寧を願っての主張であるのならば 立場は違いますが庶民擁護の共通点に注目、着目して 「共同戦線」を張らなければならない事態がこないとも限りませんので 今のうちから『共存』の可能性を探ってゆきたいと思っています。 基本的な立場は、 『他国に侵略されたら政治や思想の利害を乗り越えて 共に侵略者に共同して立ち上がろう』 『愛するものたちを守るための盾になろう』 です。 |
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