29192 返信 真夏に舞う、哀しき阿呆。 URL 八木沢 2004/08/09 16:11

 「親日派の弁明」著者が韓国の刑法「死者への名誉毀損罪」で起訴されたことについて、毒芋虫氏の言及があったが、これに対してtpkn氏が「歴史上の人物への評価を名誉毀損で争おうとすることがまったくダメだ」と述べたところ、ノンポリと称する、おそらくはNON POLISHEDをその語源とするのであろうHNをもつ阿呆から「じゃあ百人斬り裁判はどうよ?」という、これ以上のものはそうめったにないというくらい阿呆な問いかけがなされた(その後、別の投稿において「百人斬り訴訟も言論弾圧ですか?」とさらに阿呆の上塗りをした)。

 どうもこうもない、まったく無関係である。我が国の刑法には「死者の名誉毀損罪」など存在せず、民事訴訟においてもそれが認められたことはない。百人斬り訴訟における本多勝一被告支持者の大半がいまだに理解していない(訴状を読む能力もない)のだが、百人斬り訴訟は死者の名誉を「間接保護」によって回復しようというものであり、当時の新聞社や本多被告による「死者に対する名誉毀損」そのものを問うているわけではない。これについては、すでにNo.26262において述べたし、前後のinti-sol氏と私のやりとりを読んでもらえば、およそどんな阿呆にでも問題の背景は理解出来るはずである。 

 「間接保護」説とは、死者の名拳毀損を遺族固有の人格権侵害と捉え、それを認めることで「間接」的に死者の人格的価値の保護を図ろうとする立場のことである。つまり侵害されたのは、遭族の人格権(遺族の死者に対する敬愛追慕の情)であるという立場である。これによる遺族側勝訴の例は多く、謝罪広告と慰謝料30万円の支払いを命ぜられた「実録小説密告」事件判決(大阪地裁堺支部1983年3月23日)や、出版社、編集長、カメラマンが慰謝料各100万円と弁護士費用各10万円を支払えと命ぜられた「エイズプライバシー」事件判決(大阪地裁1989年12月27日)などがある。そして、「百人斬り」訴訟の訴因を読めば、この間接保護説採用を想定したものであることは明白である。にもかかわらず、たとえばinti-sol氏らの被告支持者たちの多くは「直接保護(死者の名誉毀損をそのまま認定すること)によって死者の名誉が保護された判例がないこと」を、訴訟批判の根拠にしている。小泉首相がかつてレイプ事件を起こしていたという「ネタ」を真に受けて裁判を起こし大恥をかいた某は本人訴訟だったらしいが、百人斬り訴訟には複数の代理人弁護士がついている。弁護士が間接保護説を知らないわけなかろう。

 死者の名誉毀損など認められたことはない、と指摘することが有効な反論になると誤解しているのはinti-sol氏だけではないし、またその原因も必ずしも彼だけにあるわけではない。本多勝一が訴えられたということで逆上している連中の多くは、支援サイト・事実ドットコムの作成者を含め、法律的な素養をほとんどもっていないように見えるが、法律的な素養がまったくないからといってこの問題に発言してはならないということも私如きがいえるわけもない。悲しいのは、そういう無知で、しかし純朴な連中をその無知と純朴さにつけこんで煽る輩がいるということである。inti-sol氏の誤解は、本人が自分で言っているとおり被告側準備書面の誤読によるものだが、誤読されても仕方がないような、というかわざと誤読させるような準備書面を意図的に作成し、ばらまいている弁護士や運動家たちの悪辣さに私は吐き気をもよおすのである。inti-sol氏にせよ、事実ドットコムの作成者にせよ、無知で純朴でそれゆえ一見知的なものに騙されやすい、周囲から知的に思われたいと渇望しがちであるという致命的欠点はあるが、社会問題に対して彼らなりに「誠実に」向き合おうという意思をもつ、思考停止と悪ふざけの跋扈で腐るだけ腐りきった我が国には一応貴重な存在だ。そんな彼らを間違った前提で無意味な運動に駆り立てる悪質な連中が確実にいるということに、私は猛烈な怒りを覚える。たとえば、最近日の丸・君が代を拒否した教員が「解雇」されたと騒ぎ立てているが、嘱託教員としての契約を終了したことを「解雇」とはいわない。似たようなもの、では断じてない。自分たちの手駒が「反対勢力」からつっこまれて立ち往生しようがおかまいなし、その場しのぎの動員さえできればそれでいいという、まるで中身を伴わない戦術だ。煽る奴、煽られる奴、の力関係と悲哀が残酷に浮かび上がるのが昨今の左翼運動のまぎれもない一側面なのである。

 政治家は歴史法廷の被告であると喩えられるが、だからといって実際に本物の法廷で評価するようなことをやろうとしているのは韓国だけである。tpkn氏は韓国のそういう前近代的な部分を指摘して「まったくダメだ」と述べているのである。ノンポリが全く無関係なこのふたつの事例をあたかも類似しているかのように錯覚しているのは、ふたつとも全く理解できていないからだ。要するに阿呆だからだ。しかし、彼もまた堕落した左翼運動の被害者なのであろう。