29406 | 返信 | 二つの9.11 | URL | inti-sol | 2004/09/12 01:58 | |
1973年9月11日、チリの首都サンティアゴ。 選挙で選出されたサルバドル・アジェンデ大統領に対して、陸軍総司令官アウグスト・ピノチェト将軍がクーデターを起こし、モネダ宮(大統領官邸)は空軍のホーカー・ハンター戦闘爆撃機の集中爆撃を受けて炎上、アジェンデ大統領は戦死、その後16年に及ぶピノチェトの恐怖政治の始まりでした。 このクーデターの裏側に、米国ニクソン政権、CIA、そして多国籍通信企業ITTの暗躍があったことは周知の事実です。 何たる偶然か、それから28年後の2001年9月11日、米国で同時多発テロが起こりました 1973年の9.11では、推定1万人といわれる左派市民に対する虐殺が行われました。2001年の9.11の直接の犠牲者は、3000人余りです。ただし、間接的には、9.11に起因するアフガニスタン戦争、イラク戦争の犠牲者も含めて考えれば、チリのクーデターを遙かに上回る犠牲者を出しています。 米国の中南米に対するむき出しの干渉の象徴としての1973年の9.11と、その米国の覇権主義に対する敵意むき出しにした報復としての2001年の9.11。そういう意味で、二つの9.11は無関係ではありません。しかし覇権主義に対する報復といえば聞こえは良いけれど、その結果犠牲になったのは無辜の市民たちでした。 改めて、暴力の連鎖と憎悪の拡大再生産は、もう終わりにしてほしいと思います。 |
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