29700 | 返信 | Re:扇動と差別と。 | URL | 水原文人 | 2004/09/28 20:09 | |
おっちゃん様、ヤケになってなんでも意味不明に反論したフリをするって、ハタ迷惑だからやめて頂けません? 先日のあなたのご投稿を無視したのは、なんと当初から僕が主張していたこと(「野球選手も映画監督も労働者」)を、あなたがあたかも自分の当初からの意見のように(「卑下することはない」とか自分で書いたことなぞすっかり忘れて)書いている無節操さに、あきれ果てると同時に憐憫の情を抱くほかなかったからなんですが…。 まったく他人の温情をなんと思っている?(爆笑) > >だというのに精神障害のみ「差別だ」と主張するのは、その主張する主体(つまりこの場合、八木沢さまご自身)の持っている無意識な差別意識を吐露してしまっているということにしかなりません。 > > バカですね、だからこそ差別になるのではないですか。 あのですねぇ。喫煙の害を指摘することが肺がん患者の差別には決してならないのに、なぜ精神障害への言及が差別だ差別だと言われるのか、という根源的疑問を無視しないでもらえます? だからこそ僕は、精神障害を差別対象とせずほかの病気と同等に扱えばいいはずだ、と言うことを前提にしてるんですが? やってることがどうしようもなく姑息で、ハタからみてもみっともなさすぎますよ。 > 水原さんの書いたことが差別ではないといえるのは「無意識な差別意識」がこの世から消えてなくなったときです。「論理構成」どころかあなた(あるいは私)の中に差別意識が潜在しているか否かの問題でさえありません。 いいえ。まったく逆です。無意識の差別意識があるからこそ、それを意識的に顕在化する必要があるのですよ。 そもそも、現代文明のなかで生活していれば、30半ばになれば誰でも身体的な持病のひとつやふたつは抱えるものです。完全に健康ということ自体があり得ない。 同様に、文明や社会という存在そのものが、我々の生存を可能にしていると同時に、高度に発達した現代社会自体が我々の精神のバランスを危うくする構造もまた内包しているわけで、その意味では大なり小なり精神障害の要因を誰もが持っているのですが。 ただそこで本格的に「予備軍」になるかどうかは、それを自分でコントロールできているかどうかです。それにはまず、自覚することです。たとえば自分が無自覚に自己投影のシャドーボクシングでしかない投稿を繰り返していることを自覚できれば、今後そういった愚劣なことはやめようという意識が働くのがまともな人間です。 で、なにを持って「差別」というのかどうかは問題ですが、自らの精神障害敵兆候に無自覚な人間が自らに直接関わることを議論するのは、足を骨折している人間がマラソンをするのが無理なように、あるいは高所恐怖症である僕がジェットコースターに乗らない方がいいように、やめた方がいいことです。法的にも、禁治産者という規定があります。精神障害の場合、その能力的な判断をどうするかの基準についてさまざまな議論が必要であるとはいえ、「できないことは、できない」という認識それ自体までが「差別」というのであれば、そのような極端かつブサヨ的な「差別観」は社会自体を停滞させ、崩壊させます。 病気は病気であり、できないことはできないことです。ただそれだけの話なのになぜわからないのかといえば… 「無意識な差別意識がこの世から消えてなくなったとき」なんてこと自体がおそらくあり得ないからです。おっちゃんのように自分の悪意についてまったく無自覚でいられる人がたくさん存在していうるということが、まさにそれを証明していると言えるでしょうね。 |
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