29760 返信 BiH(БиХ) Re:「イスラエル」支配地域はすべて「占領地」Re:処刑された死者にも死後の人権はある。 URL 森永和彦 2004/09/30 22:44
>  重要なことは「ユダヤ人は民族的存在じゃない」という主張は、「だから、ユダヤ人は同化するのが正しい」という主張につながる性質があるということだろう。『ユダヤ人とは何か/ユダヤ人?』(三友社)には、そういう記述が存在している。

「ユダヤ人は同化すべき」というのは、Marx/Engelsをはじめとする革命的知識人の主張そのものです。どこが間違いだというのでしょうか。

現に、Marx/Engelsの時代には、ユダヤ人は急速に同化しつつありました。Marxのような同化ユダヤ人の知識人にとっては、「ユダヤ人の同化」は自明の前提であったといえるでしょう。ユダヤ人が同化・消滅しなかったのは、資本主義が衰退期に入ったからです。衰退期の資本主義は、もはや進歩性を失い、(たとえ長期的には資本主義の利益に反したとしても)さまざまな民族的・宗教的偏見を扇動して支配を維持せざるを得ません。

典型がアパルトヘイト体制です。「南アフリカ」の支配階級は、プロレタリア革命を阻止するために、人種差別を導入するしかなかった。しかしその結果、白人労働者階級に剰余価値を与えざるをえなくなり、ブルジョアジーの得る利潤は大幅に減少してしまった。人種差別と同様に、反ユダヤ主義にしても、「平等・自由な諸個人による市場」というブルジョアイデオロギーに反するものであり、「非ユダヤ労働者」に剰余価値を与えることになって、長期的にはブルジョアジーの支配を掘り崩してしまいます。(ナチス時代に工業労働者階級の経済的地位は増大した。)

ファシズムが失敗したので、戦後は福祉国家が試みられましたが、これも剰余価値のかなりの部分を必要とするだけでなく、産業予備軍を大幅に削減して労働者階級の力を強めることになってしまい、長期的には資本主義の危機が深まります。

このように、死滅しつつある資本主義は、生き延びるために自らの本質に反する政治的手段をとり、それがいっそう資本主義の危機を深めていく、というのが資本主義衰退期の特徴です。



>  だからといって、ユダヤ人を「民族的存在ではない」というのは、果たして正しいことなのだろうか?「人種」と異なり、「民族」としての概念は「文化や伝統歴史的に形成された同族意識を持つ集団」であることによって決まるわけで、具体的には「言語を共有することが重要視される」わけだが、ディアスポラ時代においても、ユダヤ人はイディッシュ語やラディノ語、ボハラ語(ユダヤ・ペルシア語)、モグラビット語(ユダヤ・アラビア語)といった固有の言語を有しており、「民族的存在じゃない」という主張は無理があると思う。

まったく論旨が通じません。あなたは、イディッシュ語がゲルマン語族の一種であることをご存じないのか。(スラブ語の一種という説もあるそうですが)その外の言語にしても、ペルシア語やアラビア語の一種です。

各国のユダヤ人は、それぞれの国の言語の一種を話していたのであって、「世界ユダヤ人の言語」の一種を話していたのではありません。むしろイディッシュ語こそ、ユダヤ人が民族でない証拠といえるでしょう。

「同族意識」といっても、近代以前のそれは近代的民族(nation)意識とはまったくことなるものです。誰もゾロアスター教徒が民族であると主張しないでしょう。経済的基盤をもたず、独自の国家ないし経済単位を形成する可能性のない集団は、nationとは呼ばれません。



>  また、民族的存在と宗教的存在とは全く別物だという主張を唱える人達は、ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦で話題になった「モスレム人」の存在については、なぜか口をつぐもうとしている。ちなみに、セルビア人(宗教はセルビア正教)とクロアチア人(宗教はカトリック)についても、両者は同じセルボクロアチア語を用いており、文字だけが違うだけである。(セルビア人はキリル文字。クロアチア人はローマ字)


誰が「口をつぐんでいる」のか不明ですが、BiH(БиХ)の内戦をめぐる議論で、「ボスニア人は民族か」は繰り返し議論されました。

「ボスニア人」は、「イスラームに改宗した南スラヴ人」であって、独自の民族ではなく、民族自決権の主体たりえない、というのが当然の結論だと思います。

Tito(Тито)政権は、「ボスニア人」を民族と認め、BiH(БиХ)という不要な共和国を捏造しました。これは、民族ではないものを民族と認め、不要な「民族自決権」を与えることによって後の内戦の種をまいたものであり大きな誤りでした。

「ボスニア人」の起源は、この地域がオスマン帝国の支配下にあったときにイスラーム教徒に改宗した人々です。オスマン帝国がこの地域に支配を拡大した時代には、オスマン帝国は文化的に欧州のキリスト教諸国に勝っており、オスマン帝国の拡大は進歩的でしたが、徐々にオスマン帝国は諸民族の発展のくびきとなっていきました。Marx/Engelsは、反ロシヤの立場からつねにオスマン帝国を支持していましたが、Rosa Luxemburgのような人々はオスマン帝国の解体を支持しました。オスマン帝国の解体は進歩的な事件であり、これに敵対した「ボスニア人」は反動の側に身を置くことになったのです。「ボスニア人」は、オスマン帝国により形成された不要な民族意識をできるだけ早く捨てて同化すべきでしたが、それが実現しなかったため、「ボスニア人」の反動的民族性がことあるごとに顔を出すことになったのです。

Хрватска (Hrvatska)については次に書きます。