29785 返信 Re:人肉餃子は美味いか。(Re:日本軍の人肉食) URL inti-sol 2004/10/01 23:28
tpknさん

> 「死体を食べること」自体が残虐となるかどうかは文化によって様々であり、カニバリズム自体の残虐性を自明のものとすることはできません。

少なくとも、20世紀半ば当時、密やかな民間伝承はともかくとして、一般論で言えば人肉食は日本でも中国でも残虐な行為と認識されていたのではないでしょうか。人肉食がもし倫理上問題のないものであったとしたら、大岡昇平の「野火」という小説は書かれなかったでしょう。世界には、その当時あるいはひょっとして現在でも人肉食を正当なものとする文化があったかもしれませんが、ことは日中両国間の問題ですから、それ以外の地域でのことは、あまり関係がないでしょう。

> 信じがたかろうがなんであろうが、そういう事実がなかったのであれば、教科書には書いてはいけないでしょう。

おっしゃるとおりです、そういう事実がなかったのであれば。
私は、正直に言えば日本兵が中国人の死体で餃子を作って食べた、という事例が事実として存在したのかどうか、知りません。手元に資料はないし、中国の教科書そのものも、その執筆の際の資料も読んだことがない。あったとしても、私は中国語は読めませんし。
つまり、餃子の券は、「あった」とも「なかった」とも私には言えません。言えることは、「あり得ない話ではない」というだけ。それ以上のことはわからない。そうである以上、「教科書に書いてはいけない」(つまり、なかった)とは言う根拠は、私にはない。

> もちろんです。にも関わらず、日本人の残虐さの宣伝として、中国の教科書がそのような記述をしていることが問題なわけですね。

日本軍の側にどんなに切羽詰まった事情があったにしても、殺される側にとって、残虐行為は残虐行為でしかありません。根元的にはそれは日本軍が中国を侵略したから起こった問題ですから。
例えば、仮定の話になりますが、ロシア軍が日本に攻め込んだとして、補給が途絶え、進退窮まって略奪と虐殺を繰り広げたとします。それに対して、「ロシア軍も補給が途絶えて進退窮まっていたから仕方ない、だからこれは残虐行為ではない」などと言える「心の広い」日本人がいったいどれだけいるでしょうか?

> たとえば多くのヒンドゥーは餓死しても牛は食べないでしょうし、多くのムスリムは同様にブタを食べないでしょう。

どうでしょう。ムスリムにとって、豚は不浄だから食べないのですが、ヒンドゥーにとっては、牛は神聖だから食べないのです。食べないという現象は同じでも、理由は違います。ムスリムは確かに餓死しても豚を食べない人が多いかもしれませんが、ヒンドゥーは飢餓状態に追い込まれると牛を食べてしまう例はあるようですね。

それからgajiさん

> まず、日本軍側に餃子のレシピがないとつくりようがないのですが、、
> 日本での餃子の普及は戦後のことです(家庭ではなく主にお店)。

日本の一般家庭に餃子が普及したのがいつの時代かは、あまり問題ではないのですね。なぜなら舞台は中国であり、中国に展開していた日本軍が地元の「餃子」という料理を知らなかったとは考えにくいからです。

手元に、大岡昇平の「レイテ戦記」があります。その下巻P.146には、「満洲」からレイテ島に派遣されて壊滅した今堀支隊の敗走中の出来事が記されています。
「部隊は附近山中に十六師団及びオルモック湾北岸に漂着した兵、船員が、多数「自活」しているのを認めた。住民は逃亡していたが、折柄収穫期なので民家には米、トウモロコシ、モンゴ(小豆)などの蓄積があり、芋、バナナなどの畑もあった。
敵機、砲兵の散発的な攻撃を受けるので、昼間は壕生活を強いられるが、夜間は風通しのいい台地に上がって、思い出話にふける。東嶋副官は、参謀たちの食い競べの状況を伝えている。
『ナグアン山麓の隣組、珍しくも米と豚と手に入り、常会を開催。(昭和二十年一月)持寄り料理
A家、部隊長、松田参謀、小生、川上少尉−やき豚、いも、もち。
B家、野中大尉、望月中尉−やきめし、ネギ汁。
C家、太田准尉、三上准尉、安倍准尉−ギョウザ、落花生。
D家、高橋曹長、大重曹長−豚饅頭。
久しぶりにご馳走、酒なき淋しさも忘れて一同団欒、朗らかに四方山話をした。一番人気のあった料理は三上の作ったギョウザ、蒙疆を思い出していろいろと花が咲く。さて大食家の番付と来れば、東の横綱、安倍准尉がギョウザ四十個平らげる。』」
今堀支隊がレイテに餃子のレシピを持ち込んだかどうかは知りませんけれど、「満洲」を離れること数千キロの戦場にあっても作りたい料理であったことは間違いないようで。