29791 | 返信 | Re:人肉餃子は美味いか。(Re:日本軍の人肉食) | URL | 水原文人 | 2004/10/02 01:41 | |
tpknさん、 > 重要なところをすっとばさないでください。カニバリズムについては、どのような人肉をなぜ食べるかということを抜きに「人肉を食った」、すなわち残虐というのは、非常に短絡的な発想だということです。 これはまったくその通りです。ただ一方で、中国の教科書に「人肉を食った」、すなわち日本人は残虐、と書かれているのかどうか、tpknさんはご存知なのでしょうか? その意味では非常に無益な論争だと思います。むしろ認識すべきは、たいていの場合「人肉を食った」と書いてあっただけで読んだ方が短絡的に「残虐!」と思い込むであろうことです。我々にとって「事実」だけを伝えたり認識することは、実のところ限りなく難しいという現実です。ひとつの「事実」だけ取り上げたとしても、それがどのような意味で受容されるかは発信した側には最終的にコントロールできないし、それは受け手の側でも同じです。 さて、中国の教科書に「人肉を食った」という記述があるかどうかをめぐるこのスレッド、その発端がぼくには今ひとつ分からないのですが、どうもそれを報告した側が「人肉を食った」という記述があることについて即「反日教育だ」と、その人の属する文脈としては当然ながら、しかしその意味では偏った感情があったのではないかと邪推はします。 >「日本でも中国でも残虐行為と認識されていた」という一般論など、戦場という狂気の世界に安易に適用すべきではないでしょう。 これまたまったくその通りです。だから仮に戦場という狂気の世界に追い込まれた人間のやったこととして人肉食が記述してあるのであれば、戦争がいかに狂ったものであるかの実例としてはとても力強い逸話だと思います。それを教えることは大事ですから、教科書に載っていてもおかしいとは思いません。 > 大岡昇平もまた、そういうことを描いているのだと思いますけど。それとも、大岡昇平は日本軍は人肉を食ったから残虐だ、と訴えたかったのだと思いますか? 確かに、この程度のことも分からないようでは「左翼」とか「良心派」とか自認することはあまりにも恥ずかしくてできないはずです。だからこそ、もし「野火」の中国訳が出るとか、市川崑監督に寄る映画版が中国で上映されることがあるとしたら、それを「反日だ」などと騒ぐ狭量な日本人が出て来ないことを祈ります。 小説も、そして映画も、戦争の狂気についてこれほど見事な作品を生み出したことは、むしろ日本人の誇りだくらいに思って欲しいものです(僕ぁ思わんけど。ただ大岡はすごいし、崑先生は心から尊敬してるだけ)。 > 日野日出志の作品に「百貫目」というのがあります(『蔵六の奇病』所収)。 > http://inagawatimes.hp.infoseek.co.jp/gekibaka.html#hino > > 果たしてこの兄弟は、残虐な強盗として断罪されるべきだと思いますか? この作品が訴えていることは、もっと全然別の大きな問題でしょう? というようなことが、このスレッドで私の言いたいことであります。 その通りであるのなら、中国の教科書に日本軍の人肉食について記述があるとしたらそのこと自体について「反日教育」と決めつけるのはどうかと思います。 今岩波ホールで大ヒットしている 『父と暮せば』 2004 黒木和雄監督 主演 宮沢りえ、原田芳雄、浅野忠信 原作 井上ひさしの同名戯曲(新潮社刊) という素晴らしい傑作がありますが、この映画がアメリカで「反米的である」として上映できないとしたら、アメリカ人はそれを恥じるべきだとすら思います。原爆の被害者の心の苦しみを真摯に描くことが「反米」になるという短絡的な発想から逃れるためにこそ、文学があり、映画もあるのだと思います。 > > つまり、餃子の券は、「あった」とも「なかった」とも私には言えません。言えることは、「あり得ない話ではない」というだけ。それ以上のことはわからない。そうである以上、「教科書に書いてはいけない」(つまり、なかった)とは言う根拠は、私にはない。 > > このへんに左翼のダブル・スタンダードがあるんですよ。そもそも「なかった」という根拠など誰にも出せるわけがないのです。「悪魔の証明」にわざわざ自分から縛られてどうするのでしょう? そんなことがまかりとおるのなら日本の歴史を神話から始めようが一向に問題はないはずですし、侵略戦争を「進出」と書く程度のことは、さらに何の問題もないということになりましょう。実際に「あった」ことについてさえ、その解釈の問題でこれだけもめているのに、「あったかなかったかわからない」ようなことを教科書に書いて、それを反日宣伝に積極的に利用しているとしたら大問題でしょう。 まずあくまで「としたら」です。そもそもそういう教科書があるのかどうかもよく分かりませんが、それはさておき、中国における人肉食については、その証言はあるわけです。証言について言えば多少の誇張は当然あるでしょう。あって当たり前です。人間の記憶なんてその程度の正確さしかありません。しかしそれを言うなら、歴史自体がその程度の正確さしかないものなのです。公文書の記録は、公文書に残った事実の断片的記録でしなかい。新聞記事も同様であり、そしてそこには、いかに事実関係を厳密にチェックする体制があったとしても、それでも書いた記者の主観に基づいたものでしかありません。 そしてtpknさんならお分かりでしょうが、そのようなチェック体制が戦場のような極限状態で働く訳がありません。 また公文書記録も、こと東アジア文化圏の公文書がいかに権力の支配構造んい都合のいいことしか書かないかは、これはもう文化的伝統です。日本でも、中国でも。 > > 日本軍の側にどんなに切羽詰まった事情があったにしても、殺される側にとって、残虐行為は残虐行為でしかありません。根元的にはそれは日本軍が中国を侵略したから起こった問題ですから。 > > > 例えば、仮定の話になりますが、ロシア軍が日本に攻め込んだとして、補給が途絶え、進退窮まって略奪と虐殺を繰り広げたとします。それに対して、「ロシア軍も補給が途絶えて進退窮まっていたから仕方ない、だからこれは残虐行為ではない」などと言える「心の広い」日本人がいったいどれだけいるでしょうか? > > 前提を「あった」に固定しないでください。本当に日本軍がギョーザにして食っていたのであれば、そしてそれが歴史的な検証に耐えうる情報であれば、いくら記述しても一向に構わないと思います。 その検証を求めること自体が、戦場というものを理解していない証拠になってしまうのではないでしょうか? 「正史」などと言うものでさえ、確度の高いごく一部の情報とその周辺の確度は低いけれど状況証拠からみて事実らしきものとずっと確度の低いガセネタのごたまぜという点の数々を、強引に解釈という線で結びつけた程度のものでしかありません。大多数の、名もない個人に起った事実は、証言以外にはなにも残りません。 ですから「人肉食」についてあったかないかの証拠など、出て来る方がほかしい。ただそれがあったのだと証言した人はいるのでしょう? もともと証言しか残りようがないような事件に「歴史的検証」を求めても始まりません。確かなのは、中国大陸に限らず、たとえばニューギニアでも人肉食事件があったという証言が、これは当事者の口からあっけらかんと出て来ている(しかもフィルムで記録されている)ことなどなどの傍証で、推測するに他でもあったんだから同様に飢えていた中国戦線でもあったのだろうと推測はできます。 はっきり言えば、僕はあったのだと思いますよ。で、被害者の側がその苦しみの記憶を語り継ごうと思うのは自然な欲求です。そのことをあげつらって「反日教育」だとか「由々しき事態だ」と叫ぶのは、あまりに自分の立場しか分からずに偏狭なものの見方・考え方しかできない短絡な人間でしょう。 ただ教育をする側の両親として、それを「反日」に利用するのではなく、戦争の不条理の例として教えるべきだと思うし、もしそうでないのならそういう教育を行う大人は批判されるべきである、ただそれだけで十分ではないでしょうか? 黒木和雄の新作をアメリカ人が「反米的だ」とか言ったら、僕はもちろん論破できますが、それ以前にまずムカつきます。中国人がこの議論を聞いても、ほとんど同じムカつきを感じるでしょう。 で、確認。中国の教科書には「人肉食をやった日本人は残虐だ」と書いてあるのですか? それとも人肉食があったことだけが書いてあるのですか? 餃子にしたかどうかも些細な問題でしかありません。「餃子だって、残虐だ、キーッ」と頭に血が上る人は(そう書いてあるから反日だと決めつける人も含む)、人間の食欲について理解がないよほど短絡的な人でしょう。そりゃどんな肉だって、まず料理しなくちゃ食べれませんよ。人肉だったらますます加工して元が分からないようにしたとしても不思議じゃない。それこそ、『ゆきゆきて、神軍』では黒豚とかの隠語を使っていたことも証言されています。そうでもしなきゃ、食えんでしょう? 仮に中国の子供がその教科書を読んで「残虐だ」と受け取るか「戦争の狂気」を感じるかは、それは一人一人の内面の問題です。「残虐だ」と受け止められる可能性があるから記載するなという主張があるとしたら・・・tpknさんであればそういう主張がいかにうさんくさいものであるかを理解するのに、僕の説明など必要ないだろうと思います。 イラク戦争の映像を「残虐だ」で見せない日本のテレビ局の「自主規制」とおんなじですよ。 もしかしたらinti-solさんには説明が必要かもしれないし、ノンポリ氏だったら相当に説明しても、それでものれんに腕押し豆腐にかすがいかも知れない(笑)。そのすさまじく想像力の欠如した独善をこそ突くべきであって、「反日」云々でtpknどんともあろうものがエネルギーを浪費することはないと思いますよ。それこそ『野火』に感動するような人であれば… |
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