29974 返信 Re:日本軍の人肉食 URL tpkn 2004/10/10 03:00
▼inti-solさん

> そうですね。私が責任を問う云々と書いたのは、先の投稿で「兵士たちが残虐なのではない」と書きましたが、残虐でないというよりは、残虐だが非難に値しな(やむを得ないこと)であると考えたからです。

すなわち、様々な事情やシチュエーション考慮しない場合、人肉食自体が残虐行為であるということですね? しかし、非難に値しないものを残虐と言えるのでしょうか? 形容矛盾ではないですか?

こういう疑問はですね、たとえば屠場を残虐と形容したり、動物が動物を食っている映像を残虐と形容したりするような違和感と同じなんです。


> いや、それは単に、戦争指導者は残虐行為の現場にいるのではなく、戦場から遠く離れたところで命令を発しているために、因果関係が目に見える形でわかりにくい、というだけでしょう。

その場合、食われたほうにとっては、食った人間とその人間をそのような状況に追い込んだ人間の二者が残虐であるということでしょうし、inti-solさんご自身も上で述べているように、兵士自身の行為が残虐であるということには変わりないでしょう?

戦争指導者 > 食った人 > 食われた人 
    残虐行為   残虐行為

> あ、これは失礼しました。そういう面では、前線に人肉食をすら強いるような彼等の戦争指導が残虐であった、というのが私の考えです。

しかし、「非難には値しない」ものの、前線で人を食った兵士の行為も残虐なのでしょう? 単に、二つの残虐行為をそこに認めるということではないですか?

> > 捕虜は兵士でしょう?
>
> そうですが、もはや戦闘には参加できない者でもあります。

同じ人間を戦闘で殺害するよりも捕虜収容所で虐待するほうが残虐なのでしょうか?
生きて虜囚の辱めを受けず、の精神ですか?

> > だから、「人肉餃子」の話にかこつけて日本軍内部の人肉食の例などを持ち出してくる神経がわからないわけです。
>
> すみません。

いえ、それは渡辺さんの話です。

> > 単純に考えて、外回りの兵士と内勤の兵士では、後者は安全な仕事でしょう。
>
> しかし、報道されているところによると、刑務所での残虐行為は、上層部からの命令にもとづく残虐行為でした。命令に逆らうことは、「安全な仕事」ではなかったでしょう。

国際法に違反する不当命令に逆らうことは、町中でどこから撃ってくるかわからないゲリラを相手にするよりも、よほど安全でしょう。

▼上海さん

> 元々はgajiさん投稿の中帰連に対する「証拠を見せろ」というアホ臭いツッコミに
> 「ああ まーーたか・・」と思った事がキッカケなんで。

このことに関しては、gajiきんの投稿が削除されていることで上海さんが誤解しており、結果的にgajiきんに対する中傷となっていることを指摘した投稿を何回かしたのですが、その私の投稿も削除されているのでもはや何がどうなのかさっぱりわからなくなっています。削除されているgajiきんの投稿は潜行にありますので、読んでみてください。

> ただ、反論する場合、刑事裁判の様な証拠や事実の追求「のみ」では、このような問題の
> 噴出する背景から、「一人歩きするバーチャルな争い」だけが切り取られて増幅するだけで
> あるのではないかと思うわけです。

むしろ「噴出する背景」から目をそらそうとする方が多いという印象を受けます。この背景には、日本軍の中国侵略だけではなく、90年代に入って以降の江沢民の政策が大きく関係しているのは明らかだからです。

> tpknさんとあろう人の「たとえ」にしては、普通過ぎたんで、「言ってみた」だけで
> 本筋の議論に絡める積りは毛頭ないですから、サッサと引っ込めます。

なんじゃそりゃ(笑)

> > そんなことは向こうの事情であって、「本当に追及したいことではない」のであれば書くなというのが常識でしょう。
> ええ、そこまでで充分なんです。「こんなミットナイ事を教科書にわざわざ書きなさんな!」
> と。そして書くべき事を真面目に提起する事だと思います。

そうなると、今度は逆に内政干渉になると思います。私は最初から述べている通り、事実であるならいくら書いても構わないと思っています。餃子にされたのであれば、向こうにとっては「ミットモナイ」ことでもなんでもなく、許しがたい蛮行でしょう。しかし、餃子にして食ったなんてのはホントかいなと思うわけです。

> 内容の行く末を勝手に日本側として考えてみれば、中国側が「日本はひどいんだ」という事を
> 書きたかったとしても、実際にはそういう意図は論理的に全く達成され得るモノではなく、
> ネタとしてのセンスの悪さと、目的の単純さ脆弱さが露呈するだけのものです。

そういう意図が達成された成果が、サッカーのワールドカップにおける反日サポーターの存在、すなわち、第三者たりうる若い世代に渦巻く反日感情だと思います。

> 中国人の多くが、あんな与太話でも日本を悪者にして少しでも溜飲を下げるのだという
> 「事実」或いは「予測される現実」をそのまま受け入れましょうという事です。

その結果、サッカー選手がものを投げられたり大使の車が破壊されたりするのですが、そんなものをそのまま受け入れなければいけないというのが、自虐史観でしょう。というか、中国人に対して高見から見過ぎでは? 

> 掲示板というのは「書かれた文言に拠ってのみ対応、議論する」という不文律が強いように
> 思いますが、僕は書いている人の「無意識の意識の発露」が気にかかる悪い癖があります。

非常に悪いクセだと思います。

> 例えて言うなら、小泉は一度も「日本はアメリカの犬になる」とは発言しておらず、逆に
> 「日本独自の見解を堂々と世界に述べる」と公言していますが、やってる事は違いますよね。

それは無意識の意識の発露ではなくて、単に言行不一致というだけの話でしょう。

> また「敢えてミギっぽく振舞う」事によって、自らの独自性をパフォーマンスしたり、「ヒダリ
> はカスや」と言いながら、「実は心底情けないヒダリへのエールでもあるんだ」と見せようとする芝居も、心情的に受け付けないという理由もあります。

それは「敢えてミギっぽく振る舞う」「見せようとする芝居」が、上海さんの印象だけではなく具体的な裏付けをもって論証されない限り、どこまでいっても「心情」でしかなく、その妥当性は上海さん以外の誰も担保できないでしょう。小泉の例にそっていえば、掲示板上では言行不一致をしようにも基本的には「言」しかないのですから、存在しない「行」を勝手に想定しても水原さんの言うシャドーボクシングにしかならないと思うのですが。

> > それとこれとは全く別問題です。しかし、仮に上海さんのその論法に乗るとすれば、少なくともそういう主張をここで繰り広げてきた私ならば第三者として餃子批判を行う資格があるということになりますが?
>
> そのとおりですよ。僕はtpknさんの「残虐論議」はそのとおりと思ってますが・・・

いえ、あくまで「上海さんのその論法に乗るとすれば」という話であって、本来ならどのような立場の人であっても、私がここに書いていることは言ってもいいはずなんですが…。

▼あしな天皇

>  tpknさんは「日本兵は残虐ではない、だから日本兵の行為は残虐な行為ではない。」と行為主体の属性によって行為そのものの意味が決定されるとお考えのようですが、いかがでしょうか。

そのようなことは一度も主張しておりません。「日本兵が中国人を餃子にして食ったのであればそれは残虐行為だが、南方で同胞の死体を食ったことは残虐行為とは言えないだろう。したがって、餃子話をしているときにその話を持ち出す意味がわかりません」というのが基本的な主張の骨子です。

> > 「戦時中の日本人一般」と「前線で飢餓状態に置かれた兵士」について、食人行為の意味が果たして同じかどうかを話題にしているスレッドです。それらにとってひとしく「食人行為は残虐行為であり」という前提そのものを問題にしているところに、その前提に疑いを持たない意見を書かれてもどうしようもありません(笑)。
> >
>
>  食人行為が残虐であるからこそ、あるいはそのような残虐行為を強いられることに「前線で飢餓状態に置かれた個々の兵士」の悲惨があると思います。

「食人行為は残虐行為であり」という前提そのものを問題にしているところに、その前提に疑いを持たない意見を書かれてもどうしようもありません(笑)。

> この悲惨さは、彼らが日常的に人肉食などしない程度に普通の人間である場合、「飢餓状態」ではなく嗜虐的に人肉食をしたりさせられた兵士にとっても同様です。で、tpknさんが「前提そのものを問題にする」という時の論理、「行為」と「主体」の扱い方がおかしいと言っているのですが。

おかしくありません。

▼とほほ師匠(藁

> 例えば某所で話題になっている「人肉餃子」のくだらない議論にしろ「中国では旧日本軍は餃子にして食べた、と教えている」と言う報道だけでは何もコメントする事はできません。マクドナルドの猫肉ハンバーガーと同じ類の流言かもしれないですし。

川中島への投稿をそのままコピペすんのはいいですが、せめて「某所で」を「ここで」に書き換えるぐらいの手間はかけたらどうですか? マルチポストってのはこれだからタチが悪いのです。

> またそれが真実であれば私は決して考えられない事ではないと思ったりします。

だとすれば猫肉バーガーの例とはまるで異なりますね(藁

>「餃子にする」を額面通りに受け取る必要もなく、「挽肉のように切り刻んで」と言う行為を「餃子」と表現することにはなんら不正もないでしょう。

挽肉だけで餃子ができるわけないのですから、まるっきり不正でしょう。少なくとも、侵略を進出と記述する程度のことの1万倍ぐらい不正でしょう。

> 実際、それが何の肉であるか知らされないまま食べた例もあるわけで、何の肉かわからないようにして食べる、と言うのは逆に当たり前かもしれません。東南アジアでは肉を食べる時その動物の頭を丸ごと食卓に置く文化は当たり前で、シンガポールに私が行ったときに出てきたチキンバスケットの中には鶏の頭や足をそのままから揚げにしており、私はそれが故、その鶏のから揚げを食えなかった事があります、豚の頭が食卓に乗っているだけで豚肉が食えません。ひよこの形をしている東南アジアのゆで卵はついに一回も口にする事はできませんでした。アメリカ人は頭のついた魚を食べられないと聞きます。日本人にしろ刺身は切り身であるから食べられるのであり生の魚をそのまま食べるのは躊躇があるでしょう。
>
> いずれにせよ、殺される側の論理から言えば、その残虐性を表現するのにどんな言葉を使おうがそれは正当です。逆に考えるべきは殺した側がそれについて「そんな事は嘘だ、確かに殺したがそんな残虐な殺し方はしてない」等と言う論理は通用しません。日本軍の残虐行為を知る我々は粛々と批判を受け止め、知らない若者は怒りを表す。これこそが自由である真の姿だと思います。

よくもまあこれだけ無関係な話をぐだぐだと並べられるもんですな。「何もコメントする事はできません」って話はどこ行ったんだ…(禿藁