30021 | 返信 | Re:日本軍の人肉食 | URL | あしな | 2004/10/12 23:46 | |
> > 29879> いいですか、「食べた人」が残虐ではないのなら、戦場で味方を食った兵士は残虐ではないのです。したがって、その兵士が行った行為は「残虐行為」たりえないわけです。> > > > > 同じく>厳しい自然環境の中で一切の食料もなく命の危険に常に晒されていた兵士が味方の死体を食ったからといって、飽食の現代に生きる我々がそれをなぜ「残虐行為」などと簡単に書いてしまえるのか。あまりにも想像力が欠如していないでしょうか。こういう行為と、たとえば嬲りものにして敵を殺害する行為、あるいはそうやって殺した敵を餃子にして食ってしまう行為は、ほとんど無関係といってもいいでしょう。> > > > > 29908>それは論理的におかしいです。「残虐行為」を行った人が残虐でないなどということはありえないでしょう。> > > はい、その3カ所ですね……って、あのねえ…(w > あしな天皇が文脈というものをまったく読みとれないというのがよくわかりますね。 もし本気でそう言っているのならば、tpknさんは自分が何を語っているのかよくわからないのでしょう。 > これらはすべて、ある「行為」が残虐と評価されうるかという問題に関して、それが「残虐行為」なのであれば、「行為を行ったもの」と「行為をおこなわざるをえない状況に置いた者」のどちらが「残虐行為」を行ったのか、という議論でしょう? 上記三カ所とも兵士や日本人の人格について言及しているものなどないのですが? > どこをどう読めばそうなるんですか? > それを私が人格について言及していると誤解するのは、私に対する偏見から生じたたんなる読み違いということでしょうけども、それについて私は >
> と、再三強調しているでしょう? なのになぜそういうレスを一切無視して、同じことを強弁するのです? つーか、戦場である行為を行った人間が日常的に残虐かどうかというような、人格一般の話をしているのは最初からあしな天皇のみであって、それに対して私は一貫して「議題とは違う」と述べているのですけども? > 私は「ある行為が残虐であるかどうか」は、「行為の当事者が日常的にその行為を残虐と見なしているかどうか」によって決まると言っています。そのように「行為そのものの意味」について語っているところに、上記のように「議題とは違う」と言われても仕方がないです。 > 日常が非日常に対して「優越している」などと簡単に書けるのは、安全な日常に安住している人だけでしょう。それをあしな天皇の独善だと申し上げております。 > 非日常とはあくまでも「非」日常なのであって、日常との相対性でしか語れません。少なくとも人肉食に関する限り、食べた当人が日常的に人肉食を残虐であると思っているのであれば、非日常的な状況下で人肉を食べている最中にも「自分が残虐な事をしている」と自覚している可能性が高いと思います。 > で、あしな天皇がカンペキに間違っているのは、#29924で「主体が行為の意味を決定するんじゃなく、行為が主体の意味を決定する」と書いてるところなんですが。状況や主体を抜きにした「行為」というものは存在しないので、ある行為にそれらと関係ない評価を与えることは不可能なのですけど。さらに言えば「行為が主体の意味を決定する」というのは、ある行為によってある主体の人格を論じることになると思いますが。というように、常にムチャクチャなのです、あなたの言っていることは。> 残虐でない人の行為であれば、その行為は残虐ではない、と言う方がよほどむちゃくちゃです。私たちは普通、残虐な行為をする人を(少なくともその行為の時点では)残虐な人であると見なします。人格の評価などという者はその人の行為を通してしかできません。tpknさんが「その人が残虐であるかどうかは俺が直感的に決める。」と言うならそれは自由ですが、もちろん私は認めません。 > なりませんが? どのような論理からそういう結論が導かれるのでしょう? 私はその人がどう思っているかということについて一度も言及したことはありません。> 極限状態での人肉食が「残虐ではない」のならば、人肉を食べた人は自分が残虐な事を強いられたとは思っていない事になるでしょう。それ故、 > > これは人肉食の記憶に苦い思いを抱く人々に対して、その記憶の苦さを抑圧させています。 > > 他人の思いを稚拙な日常的倫理観で勝手に斟酌することを独善と申し上げております。これ、左翼のもっとも批判されている部分ですけども。 > 人肉を食った戦時中の日本人が、その後も自分が人肉を食ったという事実に対して苦い気持ちを抱いたであろうと考える事がどうして「稚拙な日常的倫理観で勝手に斟酌」とされるのでしょうか?そこが全く了解不能。 > > どのような論理からそういう結論が導かれるのでしょうか? 非日常的な状況で行った行為に対して日常的な状況において悔やんでいる人がいるとすれば、それに対して「残虐だ」などと言い立てることはその痛みを増幅することにしかならないと思いますけど。 > 悔やんでいるのはその人物にとって人肉食が残虐な行為と認識されているからです。そのような心的外傷から回復するためには、外傷体験を直面化する必要があります。その直面かの過程はもちろん「「残虐だ」などと言い立てる」のではありませんが、「強いられたにせよ残虐な事をした」という事実から目をそらす事では決してありません。 > > > > そういうのがtpknさんらしいと言えなくもない。もちろん素なのか故意なのかは知りませんが。 > > > > > > つーか、相手が書いてもいないことを勝手に想像して「tpknさんらしい」なんて失礼なことを言うのはやめてください。 > > > > > 上記、時に「他人の痛み」に無頓着なところ。 > > それは「他人の痛み」ではなく、自分が他人の痛みをわかっているとあしな天皇が思いこみたいがための架空の「痛み」です。まったく、どこまでも傲慢な考え方しかできない方ですね。 > この文脈に即せば、人肉を食った人間が、その事実に関してその後も平気でいられるかどうかという事で、私は、その人物は平気でいられないだろうと言っております。それが「架空の痛み」としか思えないのであれば、本当に「他人の痛み」に対する想像力とか共感能力を欠いているのではないですか?マヒケンみたいな奴か? > 罵倒に走る閾値? 2ちゃんねらーの言う「煽り耐性」みたいなものですか? 私があしな天皇を罵倒しはじめるのは、いつもあなたがある行為を行ったとき、とはっきり決まっています。それは、私の言説の根拠を論理ではなく私の人格に求め始めたとき、すなわち、反論に窮して人格攻撃を始めたときです。今回で言えば、「そういうのがtpknさんらしいと言えなくもない」がそれに当たります。そういう読み方をしていれば、そりゃ誤読しまくりなのもしょうがないですわ。 > 自分は最初から人を天皇呼ばわりしておいてよく言えるよね。上記のようなもっとらしい事言わないでいるんだったら「あしな天皇」には言及しないでおいてやろうと思っていたんだけどね。 ここでもう一度まとめますが、極限状況下であれ、食った当人と食われた当人がそれ以前から「人肉食」を残虐と考えていたのであれば、その後も食った当人なり食われた当人の関係者にしてみれば、「人肉食」という行為は残逆な出来事として想起されるでしょう。それはたとえ正当防衛であっても人を殺したという体験がPTSDの要因としての外傷体験となる事と同様です。 それ故、ある条件下で人肉食をした人間が残虐ではないと言う事はできても、行為そのものを残虐ではないと言う事はできません。もし自らの残虐行為による痛みを感じている人間に対して「その行為は残虐ではなかった」と言えば、災害の被災者に対して「あなたのあった災害は大した事無かった」というようなものです。 |
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