30113 | 返信 | Re:極右による言論の自由侵害を許すな | URL | にゃにゃにゃにゃにゃ | 2004/10/15 12:23 | |
横レスですが・・・ > > 南京大虐殺がなかったという意見を言った人達が右翼諸氏と言われたり、 > > そのとおりです。何が違いますか? > 参考までに、私は左翼です。共産主義者ではないけれど、左翼であることに一片の疑問の余地もない。 > 右翼と左翼というのは、相対的なものであり、ブッシュの言によればケリーも「左翼」らしいですし(私にはとてもそうは思えないが)、日本にも河野洋平や野中広務氏を「左翼」という人がいます。逆にイスラエルのリベラル左派政党メレツを「極右政党」と言う人もこの掲示板にいる。それらのどれが正しいとも間違っているとも言えません。その人の主観次第です。逆に誰を右翼と呼び左翼と呼ぶかは、逆に呼ぶ人自身の政治的立場を指し示す指標にもなるでしょう。 > > 右翼と左翼というのはイデオロギー的色分けであって、右翼だから正しいとか、左翼だから正しいとか、そういうことはありません。右翼にも立派な人はいるし、左翼にもダメな人はいる。もちろん、左翼にも立派な人はいるし、右翼にもダメな人はいる。ただ、自分でこういうのも「自虐的」かもしれませんが、右翼左翼ともに、世間一般より「ちょっとへんな人」が多いかもしれません。私自身も含めてです。 こういう事実があります。アウシュビッツの収容所の所長のヘスは、自分の家庭ではとてもよき父、よき夫だったというそうです。そんな、こと家庭では「立派な人物」だったヘスが、収容所ではもっとも残忍な人間としてふるまっていた。 だから私は、「歴史修正主義者にも立派な人がいる」というような、そういう考え方を認めることはできない。仮に彼らが「立派なふるまいをする」ことがあったとしても、それは家族や友人、どんなに広い範囲になっても、せいぜい、同じ日本人に対してだけしか向けられないものであって、アジアの戦争犯罪被害者にはもっとも残忍な顔を見せる。そういう「二つの顔をもった人間」を「立派な人間」と呼ぶのは、決して正しくない。 歴史修正主義者は最近、チベットについて、饒舌に語る。チベットやウィグルなどの少数民族の民族自決の権利は保障されなければならない。が、それを語るのなら、同時に過去の日本による朝鮮植民地支配に対する反省が当然、必要である。それができなければ、それは「自分に優しく、他人に厳しい」ものとして、受けとめられるだけだ。そんなのは、イスラエルのパレスチナ人虐殺を、ネオナチが非難しているようなものでしかないではないか? |
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