| 30294 | 返信 | Re:あなたはどう考えるのですか | URL | gaji | 2004/10/23 17:52 | |
| inti-solさん > 朝鮮戦争からベトナム戦争から持ちだして、「話を逸らした」のは誰ですか? それは、戦争で一般人が被害者になることが次第に多くなってきたことの例示であって、話を逸らした訳ではありませんよ。 > 「軍の戦略として便衣戦術」などということはありません。 > 上海の攻防戦では、あなたの言うような便衣「兵」も確かに存在した。ただし、それは「軍の戦略として」などと言えたものではありません。なぜなら、フランスのレジスタンスなどと同様、第二次上海事変に於いても中国側は軍民ともに日本軍に対して抵抗意識がきわめて強かった。まさに、「未ダ占領セラレサル地方ノ人民ニシテ敵ノ接近スルニ方リ第1条ニ遵テ編成スルノ逞ナク自然武器ヲ操リテ侵入軍隊ニ抗敵スル者ニシテ戦闘ノ法規慣例ヲ遵守スル者」に相当する人たちが日本軍に抵抗したのが「便衣兵」なるものの実態です。 南京ではどうだったのでしょうか。 ーーーーーーーーーーー また当時の中国法では軍事地区に指定されると住民は一切私有財産を失った。すなわち、わずかな動産を除いて24時間以内の立ち退きが命じられた。このこともあって住民の中国軍(国民)への支持が強かったわけではない。 ーーー また中国では国軍が来て、慌てたり逃げたりする民衆が存在した。これはベルギーやフランスではみられない。当然ベルギー兵やフランス兵は自国領土を奪回したとき沿道花道で歓迎された。国民党軍が士気はともかく軍紀は必ずしも良好でなかったことは事実のようだ。当時法令では徴兵制をとっていたが、実際は傭兵に近くほとんど華北・両広で募集された。このため兵士と民衆は言語による意思疎通ができなかった。そして上海周辺は中国きっての裕福な地帯で、そこに住む人々は国民党の兵士と共通の感情はもてなかった。一方日本兵は字が書けるから民衆との意思疎通が不可能ではない。これは国家間の戦争では珍事だった。 ーーーーーーーーーーーhttp://ww1.m78.com/topix-2/persuit.html > そして、上海で敗北した中国軍は、一気に戦意を喪失して総崩れに近い状態で南京陥落を許します。この段階の「便衣兵」なるものは、戦意などまったくない、ただ生き延びるために軍服を脱ぎ捨て、武器も捨てた人たちです。「戦略」も「戦術」も、あったものではない。 > もちろん、南京防衛軍総兵力は15万もいたのですから、中には戦意を喪失せずに戦闘継続しようと「便衣兵戦術」を取ろうとした軍人がいなかった、とは言いません。しかしそれは、「特殊なケースです。それをもって敷衍化することのほうに無理があります。」(c)gajiさん > > > 中国軍は「抵抗かなわず敗北」「かろうじて生き残った」ものが「なんとか脱出」「私服に着替え」たのではないですよ。 > > いいえ、かろうじて生き残ったものが軍服を脱ぎ捨ててなんとか脱出しようとしたのです。 そういう便衣兵もなかにはいたでしょう。けれど、 ーーーーーーーーーーー 便衣兵は通常武器を保有しながら逃亡、再起を図ろうとするもので戦闘意思を完全に喪失したわけではない。この場合の戦闘意思とは自力で逃亡する、併せて強盗も辞さないことも含まれる。南京方面以外の方向に逃げ成功した国府軍将校は日本軍より武装した逃亡兵の方が恐ろしかったと書き残している。 日本兵を襲撃し武器を奪う行為は幾多も報告されており、ラーベの申し立て、難民区にはいる際、武装解除した、は言いすぎだろう。ただこれも日本兵の証言が信用できないとなれば証明することはできない。また12月一杯かけて、両軍は南京周辺で交戦中だった。中国兵の士気は高く、手榴弾を抱いて日本兵に飛び込んだケースはいくつも報告されている。逃亡兵の多くは同胞への攻撃より日本兵への攻撃を選んだだろう。もちろんだからといって引っ立てた便衣兵を殺害してはならない。しかし放置もできない。 ーーーーーーーーーーーhttp://ww1.m78.com/topix-2/deadoutsidenanking.html > > まず、中国軍は武器を捨ててはいません。軍服は道路等に脱ぎ散らかしていますが、同時に市民の衣服をゲト(いわば追いはぎですね)、武器を隠して安全区に潜伏したんです。 > > いいえ、中国軍が大量の武器を遺棄していることは、多くの証言から明らかです。武器を隠し持った「特殊なケース」は、確かにあります。 >しかしそれなら、そのような歴然たる「便衣兵」を処刑すればいい。実際には、「便衣兵狩り」で殺された中国「兵」のなかに、武器を所持していた例などほとんどない。「青壮年ハスベテ敗残兵又ハ便衣兵トミナシ」(歩6旅団の掃討要領・「南京事件」秦郁彦P.192より)と、見境なしに、あるいは「太股に日焼けの線がある(中国軍の軍服が半ズボンだから)、額に日焼けの線がある(軍帽をかぶるから)、手にタコがある(銃をもつので)、坊主頭である、紛らわしいのは逃亡兵の方に入れる」(同書P.166より再構築)といった、いい加減な判断基準で、戦意も武器もない便衣「兵」も一般民衆もいっしょくたに殺戮していったのです。 そうですね。しかし、《そのような文民の巻添えがどうしても避けられないのが、換言すると「軍事目標主義」の遂行を不可能ならしめるのが、便衣・ゲリラ戦術というものの本質》であり、アンフェアな戦術であることから、便衣兵の存在は背信行為として戦時国際法に抵触するということです。 http://www.interq.or.jp/sheep/clarex/jusinbello/jusinbello17.html > あなたの引用文は、侵略者の側が占領地の民衆を虐殺したことを臆面もなく正当化する、低劣で破廉恥な文章に過ぎない。踏みにじられた側への視点というものが、まったくない。それを喜々として引用してくる者も同断。 「説得力のある議論は、基本的に名詞と動詞を中心に構成されています。形容詞、とりわけ貶下的形容詞が増えるたびに、その議論の説得力と信用は確実に低下します」(ベルナールさん、川中島#1466) −ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 安全区を認め、そこに難民が行くことを認めたのは日本政府であり(用語は複雑)、それに背信してラーベが便衣兵の入区を認めたのだ。もし安全区が非戦闘市街地だと認定されるなら、そこの市長は敗軍兵士の入域を全力で阻止し、かつその旨を掲示し訴えなければならない。国際法自体そこは残忍なのかもしれない。しかし公人としてのラーベは平服に着替えた兵士をいかに殺されるとわかっても、入域させてはならない。もし緊急避難で国府軍兵士を救いたいのであれば、ドイツ公使を説得し世界中の通信社にその旨打電すればよい。日本兵が捕虜を無差別に殺害している旨を叫べばよい。そして事情が許せばドイツ大使館と公邸内に誘導すべきだった。ラーベに安全区を戦闘区域に替え不必要は民間人犠牲者を出す判断を行う権限は与えられていない。ラーベはこの点を全く反省していない。 ーーーーーーーーーhttp://ww1.m78.com/topix-2/deadoutsidenanking.html |
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