30394 | 返信 | Re:K-Kさんへ Re:あなたはどう考えるのですか( | URL | gaji | 2004/10/28 00:52 | |
> つなぐかどうかではなく、述べるべき場所が違うと思います。 そうでしたか。 > 申し訳ないのですが、まったく仰る意味が理解できません。 > gajiさんは、結局、「国軍来了民衆不要驚慌逃跪」という標語の「逆の方々」というものを、どのように想定しているのですか? > 具体的に仰ってください。 具体的に言ったつもりなのですが、ご理解いただけないのでしたら仕方ありません。 > 論じるまでも無いほどに明白なこととは思われますが、軍・兵士と市民との意思の疎通が行われている事例を挙げておきます。 > 本多勝一『南京への道』(朝日文庫)p294〜303 申し訳ありませんが、本多勝一の書物に関しては、初期のもの以外、すべてNOです。 > >意思の疎通ができて、協力したひとたちも、もちろんいたでしょうが、日本軍にしても隊によっては軍紀が乱れていたところがあったように、中国軍の場合、傭兵が多かっただけに、言葉が通じなければ意思の疎通(理解し合える)はむずかしかったと思いますが。 > >同じ日本語で話し合っていても、意思の疎通(相手によく理解し合えること)は難しいのですから。 > > この議論は、gajiさんが挙げた根拠である文章に、言葉が通じなかったから意思の疎通が出来なかった旨が書かれていたため、その点について議論を行っていたのです。 > もし、gajiさんが、中国軍が一般市民に歓迎されていなかった理由としての「意思の疎通」を否定するのであれば、それで結論に達すると思われます。 意味不明です。 > >上海から南京への敗走の途中の中国兵の行為にしても同様ですよ。日本軍に利用されないよう、民家を焼き払い、食糧等を略奪しながらの敗走だったのではありませんか? > 私が聞き及んでいるのは、作戦として行われたということです。Msg.30340の第1項目に挙げたものと一致します。 意味不明。 > >南京市民で、逃げるあてがなかった貧しい人々は安全区に避難したり、家を追われた人々は難民となって、あちこちに避難していたわけですね(ちょうど今、不安な日々を送っておられる中越地震避難民のように)。 > >で、そういった聖域ともいえる人々が片寄せあっているゾーンに、上海からの敗残兵や、俄かに駆り集められた傭兵たちがなだれ込んできたのではありませんか? > > 答えになっていないようですね。 貴方には何を答えても仕方がないように思えてきました(w > http://b@p−bs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=30294&range=1 > gajiさんが挙げた文章は、「上海周辺は中国きっての裕福な地帯」であり、「国民党の兵士」は貧しい階級の出であったので、「共通の感情はもてなかった」、と主張します。 それに対しては答えてあるのですが、そこは無視ですものね^^ 以下、あまりにバカバカしいので、やめます。 失礼致しました。 > 【問】南京の残留市民と、「国民党の兵士」の貧富の差はありましたか? > > > > >そうかもしれませんね。私もつい最近まで、そのように認識していたのですが、それが本当なのかどうか、判断のしようがない、というのが正直なところです。 > > 具体的にお聞きしますが、摘出された「便衣兵」容疑者たちは、どのように「抵抗」することが出来たのでしょうか? > > > > >専門的な歴史研究のことは私には分かりません。 > >殺されたひとたちは生き返らないのですし。 > >虚偽や捏造でもって死者に鞭打つようなことがあってはならない、と思うだけです。 > > 虐殺は無かった、強姦もなかった、略奪もなかった、というような主張をされた場合、実際に被害にあった人や死者に対しては、そのような言動は「鞭打つようなこと」になるのではないでしょうか? > また、歴史学上、虐殺が事実だとした場合、それでも「死者に鞭打つ」ことになるのでしょうか? |
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