| 30508 | 返信 | Re:南京の(国民政府軍と国民解放軍etc. | URL | とほほ | 2004/10/31 21:57 | |
| > その後、様々な事変を経て盧溝橋事件以降はとうとう激しい戦闘に突入してしまったわけですね。 ああ。そうですか。以下私のホームページより。 ○1937年(昭12)7月7日 盧溝橋事件 7/7 発砲を受けた清水中隊は即座に演習を中止し点呼した所一人の兵士の行方不明が発覚。 牟田口大佐に報告が入り大隊長一木少佐に対し「戦闘隊形で中国側と交渉するよう」との命令をだす。 命令を受けた一木少佐は大隊を引き連れて盧溝橋に出発。 7/8 午前2時すぎ到着すると行方不明の兵士は帰隊していた。 従って命令にある解決すべき事件は解決済みであり兵を引き上げて本来の任務に復帰すべきであった。 しかし、 ‖> 「実弾射撃をやれば日本軍は演習をやめて逃げて行くという観念を彼等 ‖> (中国軍)にあたえるのは遺憾だから」という理由で「断然攻撃したい」 ‖> と牟田口に電話し、許可を得て「軍の威信上奮起し」、夜明けをまって ‖> 攻撃した。 (#一木少佐本人の証言) とあるように実態は定かではないがとにかく日本軍は発砲のあった中国軍陣地竜王廟を制圧したようです。 その後局地的な停戦協議を経て、 7/11 停戦協定成立 停戦協定のあったその日近衛内閣は五師団の華北派遣声明を出している。 7/28、支那駐屯軍の北京総攻撃 7/29、通州事件 を経て7月末には北京、天清を占領。 ○増兵を待って南下作戦を開始。 8/13、上海で戦闘開始(第2次上海事変) 陸軍上海派兵閣議決定 8/15、上海派遣軍編組、近衛内閣南京政府断固膺懲声明、日中全面戦争突入 南京渡洋爆撃 8/31、北支那方面軍編成 「支那は統一不可能な分裂的弱国であって、日本が強い態度を示せばただちに屈従する。この際支那を屈伏させて概して北支五省を日本の勢力下に入れ、満州と相まって対ソ戦略体制を強化することが必要で、盧溝橋事件はそれを実現するため、願ってもない好機の到来を示すものである。この事件は楽観を許さない。これに対処するには力をもってする他に方法はない。それには兵力を増派して、状況によっては機を失せず一撃を加える。これによってのみ時局の収集ができるのである。 (以上『軍務局長武藤章回想録』、笠原(南京事件)より)」 |
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