30515 | 返信 | Re:新資料「百人斬り競争」野田氏の手紙: その意味 (市民58歳さん) | URL | 渡辺 | 2004/11/01 00:23 | |
これは、市民58歳さんの『30191 Re:新資料「百人斬り競争」野田氏の手紙: その意味』 2004/10/17 http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=30191&range=1 に対する返信です。 --- 渡辺:> > > 60年余以上も前のことですから、現存はしていないでしょう。 > > この件は裁判で争われているものですね? > もし実物がない(現存していない)とすれば、そういう記事を書いた新聞が存在する証拠に > はなってもその手紙自体が存在した証拠にはならないでしょう。 「手紙自体が存在した」かどうかを裁判で争っているわけではありません。 新聞記事は、野田氏本人が百人斬りをしたと言っていたという証拠の文書として提出されたものです。 > > > 手紙の件は中村xx氏の創作の可能性も無いではない。 > > > > 地元の新聞に偽の手紙を投稿した場合、後で本人や家族・同僚などがそれを知ったら > > 大変なことになると思われます。「中村xx氏の創作」は、普通では考えられないことです。 > > 以上は渡辺様の推測ですね。現在のこういう状況なら「本人や家族・同僚などがそれを知ったら大変なことになる」でしょうが、昭和13年の時点でもそうでしょうか?国威発揚や戦果を喜び合っていた社会の筈です。 やっていないこと、やっていたとして記述するのは、当時でも問題でしょう。 とくにウソの手柄話しは、上官や同僚から指摘され、むずかしい立場になるでしょうね。 > > それにもかかわらず、あえて「中村xx氏の創作の可能性も無いではない」とおっしゃる > > のには理由があると思います。その理由をお聞かせください。(質問2) > > 裁判で争われている以上、(あらゆる証拠の)証拠能力を疑うのは当然だと思うのですが。 > 現物が無ければそれはそういうものがあった可能性を示しているだけであった証拠にはなりません。 証拠は、この手紙だけではありません。総合的に判断されるものです。 少なくとも、百人斬り競争をやっていたと本人が認識していたという証拠にはなるでしょう。 この手紙について「中村xx氏の創作の可能性も無いではない」という主張を原告がする場合は、立証責任が原告側にあります。例えば、この手紙は本人が出したものではないという当時のスキャンダルのような記事があれば、良い反証になるでしょう。 > > いや、その前に、この手紙と政府とどういう関係があるのでしょうか、まずそれをお教えください。(質問4) > > 済みません。この質問はどういう趣旨でしょうか?政府との関係とは? 「戦時中は国民の戦意高揚のために政府は事実でないことも事実として発表して来た(例の大本営発表)し」とあることと、野田氏の手紙とどういう関係があるのかな、と思ったまでです。 > > それから、日中戦争当時、大本営が「事実でないことも事実として発表」した例をお教え > > ください。(質問5) > > (発表する事実を選択、表現を脚色し、事実を否認したということはあるでしょうが、事実> でないことも事実として発表した例を知りませんので。) > > 済みません。取り敢えず訂正を。日中事変当時「大本営」なるものがあったかどうか知りません。太平洋戦争の後半ではあったと思いますが、どなたかこの点についてはご教示下さい。 大本営の設置は、1938年11月20日です。 > 質問5の答えですが、(正確でなくて申し訳ありませんが)ろこうきょう事件の発端について > 日本軍の兵士が何人か行方不明になったと発表された例があったと思います。実は行方不明でも > 何でもなくて単にトイレに行っていだだけというようなことを聞いたことがあります。 (^^? > 「発表する事実を選択、表現を脚色し、事実を否認」することで、発表を聞いた者がAという事実をBと認識し、それを発表者が最初から狙っていたとすれば、事実でないことを事実を発表したのと同じことになりませんか。 存在しない事実を存在すると、虚偽をいうことは、脚色と呼びません。 > > > 現在でも例の朝日新聞記者の珊瑚礁KYいたずら書き事件のように-しかもこちらは新聞という公器を堂々と使って-功名心から偽りの情報を流すことは普通にある。 > > > > その件は普通にあることではないと思います。また、この手紙が誰かの「巧妙心」で > > 「中村xx氏」が「創作」したとも思われません。 > > 渡辺様がそう思われない理由は何でしょうか。そう思いたくないと言う以上の何か確たる根拠があるのですか。 野田氏の手紙について、誰の功名心から偽りの情報を流したというんんでしょうか。 そのような根拠はありませんから、『この手紙が誰かの「巧妙心」で 「中村xx氏」が「創作」したとも思われません』ということになります。 いずれにしろ、野田氏の手紙を疑うには根拠が必要です。ここがおかしい、あそこがおかしいと言っているだけでは、反証にはなりません。 > > ちなみに、珊瑚礁の件では、「巧妙心」は記者にありました。一方、「百人斬り競争」 > > 記事では、向井・野田氏に「巧妙心」があったのですから、ずいぶん状況が異なります > > し、時代背景も違います。手紙の件も「百人斬り競争」記事も比較は困難です。 > > (4つの「百人斬り競争」記事は、複数の記者の名前で発信されたものです。当時、 > > 日本軍は破竹の勢いで常州を陥落し、本格的に南京攻略戦に移るという緊迫した時期 > > でした。記事の発信者に名前のある、光本、浅海氏を初め多くの記者が最前線にいて > > 一番乗りを競っていました。そのため、無錫では二人の記者が殉職しました。「百人 > > 斬り競争」記事は、その中のエピソードの一つにしか過ぎません。) > > > > > > だからこの手紙の件は > > > (1)手紙が実在する > > > (2)本人からのものであることが証明される > > > (3)事実を述べている > > > の3点が無ければ決定的な証拠にはならないと思う。むしろ当時のありふれた単なる > >> 戦意高揚のためのプロパガンダと考えられる。 > > > > 形あるものは崩れる、時間が経過すれば資料が失われて行くのは自然の理です。 > > (1)原本が存在しない場合は、写しを資料とします。この場合は二次史料ということになる > > でしょう。 > 写しは存在するのですか。当時のことですから筆写でしょうが、その筆写をした人は分かって > いるのでしょうか。 新聞記事が手紙の写しであること疑う理由はありません。誤字脱字、誤読、編集者が削除した部分があるかも知れませんが、新聞に掲載されたものは原本の写しと考えられます。 訴訟では、大阪毎日新聞沖縄鹿児島版の記事が原本ということになるでしょう。1930年代の文書ですから、手紙の原本はないものと考えるのが普通です。 > > 訴訟において、新聞記事を証拠とすることには問題がありません。 > > 争いの当事者は何であれ証拠として提出することには問題ないでしょう。ただ問題は証拠と > して認められるかどうかです。 証拠として認めるかどうかは裁判官が判断することですが、昔のことを争う場合は証拠が少なくなりますから、新聞記事、特に本人のインタビューや、こういった手紙の転載記事は証拠として有力と考えられます。 >どんな内容にしろ新聞記事だけで「縛り首」(極端な例ですが)になることは無いと思いますが。 ? この裁判は、「縛り首」の裁判ではありません。死者に対する名誉毀損によって原告が損害を受けたかどうかが問題となっています。 > >> (2)本人からの手紙であることは、新聞に書かれております。訴訟において、文書の成立 > > を疑うためには反証が必要です。 > > 新聞に書かれた内容が事実と違うことがあることは先の珊瑚礁事件の例で示したとおりです。 > 新聞がいかに事実と違うことを(過ちにより或いは故意に)書くかは取りまとめたサイトが > インターネット上にあったと思います。ご希望であれば調べてURLを掲載することができます。 珊瑚礁事件と野田氏の手紙とどう結びつくのでしょうか? あるいは、珊瑚礁事件を根拠に、新聞記事というものはどれも事実とは違うという結論によって導かれた発言でしょうか。そうであるなら、珊瑚礁事件を根拠に新聞記事というものはどれも事実ではないという前提そのものが間違っていると思います。 野田氏の手紙が事実と違うと主張するならば、その根拠が必要です。その記事が発表されてから、半世紀以上も後の事件は根拠となりえません。 > > (3)本人が事実をありのまま書いているかどうかは、別の問題です。訴訟において、文書の > > 内容を疑うためには、反証が必要です。歴史では資料批判を行います。資料作成者の内的 > > フィルターを通しているものとの前提になります。 > > ちょっと言われているご主旨が分からないのですが、「別の問題」とは何と何が別の問題なのでしょうか。 裁判では証書の成立を認めた場合でも、当然、その内容については争うことができます。 歴史では、たとい本人が書いたことが明瞭であっても、それだけで、直ちに書かれている内容が事実をありのままに記述したものとするわけにはゆきません。少なくとも、資料作成者の主観を通して事実を見たものとの前提になります。 > ここで言う文書とは、(本人からの)手紙なるものの本人以外の人による引用を言っているのですね。この引用が間違いなく本人からの手紙に基づくという根拠がなければ、引用者の単なる創作と裁判の相手側から主張されたら抗弁のしようが無いのではないでしょうか。 裁判では、証拠の証拠、つまり証拠が本物であるかどうかという根拠を求められることはありません。今回の場合、原告が手紙に疑問をもつなら、その反論を証拠によって主張しなければなりません。 > > > の3点が無ければ決定的な証拠にはならないと思う。 裁判では、「思う」だけでは不十分で、主張とその証拠を提出しなければなりません。 極端にいうと、被告本人の主張を文書にしたものでも、原告が争わなければ、それが事実と認められてしまうでしょう。 > > 資料それ自体が一つの完結した証拠です。証拠の証拠を求めることは、訴訟でも、歴史 > > でも行いません。 > > 済みません。ここも私にはわからないのですが、「資料それ自体が一つの完結した証拠です。」とは何のことでしょうか。 そういう資料が存在するという事実は、はっきりしているという意味です。 訴訟の場合なら文書の成立に争いがないということになります。文書の成立を否認するには、反証が必要です。反証がない限り提出した側から文書の成立を証明する必要はありません。資料それ自体が一つの完結した証拠です。提出した証拠の、更にその証拠を求められることはありません。 >例の朝日新聞の珊瑚礁事件を例に取れば、たまたま近くに > KYと言うイニシャルの人がいてしかも毎日珊瑚礁に行っていたとすれば、朝日新聞のその > 記事だけで(記事自体が完結した証拠ということで)この人が珊瑚礁破損の件で有罪になる > と言う意味でしょうか。 新聞記事は証拠のひとつと言っているにすぎません。 半世紀以上も前の新聞記事を、今ごろ取り上げて毎日新聞を訴えるということ自体が普通ではありません。 民事では20年の時効や除斥期間が定められています。何十年も昔のことは証拠も乏しくなっていて判断が難しいだけでなく、たとい事実でないことであっても、時間の経過とともに、すでに事実として権利関係などが定着していると考えられるからです。[1] 百人斬り競争訴訟のように、1930年代の事実について争いがある場合は、証拠が乏しくなっているのですから、当時の新聞記事や、戦後の回想録などが証拠として重要になります。最近に起こった事件の訴訟とは、かなり異なった状況です。 > > >むしろ当時のありふれた単なる戦意高揚のためのプロパガンダと考えられる。 > > > > お尋ねしたいのですが、百人斬りや二百五十三人斬りのどこが戦意高揚になるので > > しょうか?(質問6) > > 事実かどうかを別にすれば、敵を何人倒したかは戦場の兵士にとって武勲に違いないと思うのですが。これも記憶だけで申し訳ないのですが、戦闘機乗りが撃墜した敵側の機の数だけ期待に星などのマークを入れていた例があったと思います。郷土の兵隊さんが多くの敵を倒したとすればそれはきっと戦意高揚に役立つと考えられたと思います。(家族の気持ちとしては武勲などよりもとにかく無事でいて欲しいというのが一番の気持ちであったろうと思いますが。) 「武勲」が「戦意高揚に役立つ」かもしれないからといって、「武勲」の記事が「当時のありふれた単なる戦意高揚のためのプロパガンダ」であるとすることはできません。 > > 手紙が戦争に意欲を持たせるような内容には見えません。また、当時は南京陥落で戦争が > > これで終わったと思われていた時期に書かれたものです。 > > 私自身はその手紙の引用なるものを見ていないので何とも言えません。 ? 当然、私が投稿した野田氏の手紙の抜粋を読んで返信されたんですよね? >「当時は南京陥落で戦争がこれで終わったと思われていた」ことが何かを証明するのでしょうか。 まず、野田氏の手紙の内容は自慢話しであり、戦争に意欲を持たせるような内容には見えません。 なぜなら、敵の首都が陥落し、もうこれで戦争が終わったという時期なので、いきり立つこともないわけです。 > > 「プロパガンダ」とおっしゃいますと、この手紙について、誰が誰の宣伝をしているとおっしゃるのでしょうか、理由を添えてお教えください。(質問7) > > これははっきりしていますね。当時の日本の軍部が政府の一部からの批判を無視して中国戦線に深入りし、結局にっちもさっちも行かない状況で国民からの支持を失いかけていた時期でしょうから、日本の軍部が新聞に圧力をかけ(或いは軍国主義的な新聞が自ら進んで)事実であろうとあるまいと「かくかくたる戦果」を示し、中国戦線の未来は明るいと国民に印象付けたかったのでしょう。当時は現在のような報道の自由なるものは無かったので、新聞が独自に調査して事実だけを掲載するなどということはなかった。特に中国戦線については軍部が知らせたと思うものしか新聞に記載されなかった筈です。 大阪毎日新聞沖縄鹿児島版が、軍部の意向にいちいち沿っていたんでしょうか?そういう事実はないと思いますけど。手紙を捏造してまで、「戦意高揚」の宣伝をしますかね。想像だけなら、いろいろ考えられると思いますが、やはり、なにがしかの根拠がなければ主張はできないと思います。 ちなみに、「国民からの支持を失いかけていた時期」ではなく、南京陥落の提灯行列の興奮の余韻が残っている頃です。「深入り」というのは、もっと後のことではないでしょうか。 --- 註[1] ・時の経過によってすべてのことは正式に行われたものと推定される。 たとえその当時は非難されるような現実でも、それが長い間存在し続けているうちに、やがて容易に動かしがたい力を持つことはよくあることです。このような現実の上に、社会関係が幾重にも複雑にからみ合ってくると、それを否認することがかえって社会の信頼を破り、その秩序を乱すことにもなりかねません。時効の認められる由縁は、正にここにあります。[長門路政行『時効』自由国民社,p.23] |
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