30518 | 返信 | Re:自主的思考の放棄と個人崇拝 | URL | にゃにゃにゃにゃにゃ | 2004/11/01 01:03 | |
なんだか、題名がすごく長くなっていますね。題名を簡潔にしました。 > 残念ながら、にゃ5さんは自主的思考を放棄し、ドグマに固執するだけなので生産的議論が成長しませんでしたね。論争を読みもしないで「Ленин(Lenin)が正しかった」と主張するだけでは何の進歩も見込めません。 うーん、こういうのは失礼だと思いますけれど、ドグマに固執しているのはあなたではないかと思います。一応、あなたは「マルクスやエンゲルスがオスマン帝国を支持し、オスマン帝国に抑圧された南スラヴ諸民族を支持しなかったのは、誤りだ」とは言いましたけれど、マルクスやエンゲルスが「被抑圧民族であれば支持されるべき」というような主張はしていないとか、あるいはチェコ人やクロアチア人を「生来の反革命的民族」と呼んで、彼らへの抑圧を支持していたという事実のみを強調し、ソ連・東欧諸国の共産党政権がなぜ崩壊したのか、なぜソ連の連邦制が(イギリスやフランスの植民地帝国が崩壊したことと、全く同じように)崩壊したのか、という歴史的事実からの教訓から目をそらしているように思います。 大切なことは、マルクスやエンゲルスを現実の社会に適応させていくことであって、「マルクスやエンゲルスの民族論」をそれこそドグマ的にふりまわすことではないと思います。 > > > アチェの独立運動派は、「イスラーム法の施行」をインドネシア全体に要求しているわけではない。また、チェチェンの独立運動家は「ワッハーブ派の宗教独裁」をロシア全体に要求しているわけでもない。そこにあるのは、被抑圧民族による民族解放の闘いであって、宗教戦争ではないのです。また、抑圧的な宗教勢力の打倒は、アチェやチェチェンの住民によって行なわれるべき性質のものであって、ロシア軍やインドネシア軍などによって行なわれるべきものではないのです。 > > まず最大の問題は、なぜ「被抑圧民族による民族解放の闘いであって、宗教戦争ではない」といえるのか、また仮に「被抑圧民族による民族解放の闘い」であれば常に支持されるべきなのか否か、という検討がまったくなされていないことです。 > > 何度もいいますが、MarxやEngelsは、オスマン帝国を支持し、オスマン帝国に抑圧された南スラヴ諸民族を決して支持しませんでしたし、チェコ人やクロアチア(Hrvatska)人を「生来の反革命的民族」と呼んで、彼らへの抑圧を支持していました。被抑圧民族であれば支持されるべき、というような主張は、感情に基いたものであっても科学的主張とはいえません。 > > すでに触れたRoza Luxemburg (Róźa Luksemburg)は、Україна(ウクライナ)の独立について、「Шевченко(シェフチェンコ)の反動的な詩のほかには何の独自の文化もないような民族がまともに独立できるわけがない」と辛辣に批評しました。やはりその通りでした。 > > 「被抑圧民族は常に正しい」などという根拠のない主張は、科学的思考とも史的唯物論とも無縁のものです。 チェチェンに関しては、林克明著『カフカスの小さな国・チェチェン独立運動始末』(絶版だが、図書館などで入手可。小学館)や林克明・大富亮著『チェチェンで何が起こっているのか』(高文研)、アンナ・ポリトコフスカヤ著『チェチェン・やめられない戦争』(日本法曹出版協会)などがありますが、チェチェン側の死者は全員が「ワッハーブ派の宗教独裁」を要求する人達だというわけでしょうか? それは、イラク戦争におけるイラク側の死者を全員、「アルカイダの支持者」とか「サダム・フセインの支持者」と呼ぶにも似たふるまいかと思います。 チェチェンでは、ロシア軍は、村々を包囲・砲撃・破壊し、家々を襲撃し踏み込み、老若男女を問わず無差別に暴行・略奪・レイプし、拉致し、穴牢に監禁し、拷問を加え、虐殺し、死体を遺棄しているといいます。94年以来2次10年にわたるチェチェン戦争と軍事占領のなかで、25万人が虐殺され、40万人の難民が生じています。あなたは、こういうことをもっと徹底して行なうべきだとお考えなのでしょうか? チェチェンの油井とパイプラインはいまやロシア連邦軍とマフィアの非合法支配のもとにおかれ、ロシア軍が警備し、マフィアが採掘・抜き取りし、精製・販売しているといいます。 あなたは、ソ連崩壊への引きがねの一つであったソ連のアフガニスタン侵攻、この侵攻が米軍による「ベトナム戦争」と同じ「泥沼」となったことについては、どう総括されていますか? 歴史をつくるのは、一人一人の名もない市民であって、特権的なインテリ層ではありません。ファシストでも極右でも歴史修正主義者でも差別排外主義者でもない、ごく普通の人民に対して、暴力や脅迫的手段で服従させようという手法は決して長続きしません。 > Чеченに関していえば、なぜ「Чечен独立」に同情的な左翼がこれほど多いのか、私には理解できません。おそらく病的な個人崇拝から、Ленин(Lenin)の「民族自決権」論を、まったく状況の異なる今日に機械的に適用する結果でしょうか。Ленин(Lenin)の「民族自決権」論は、当時としてはそれなりに根拠があったものでしょうが、今日の状況に適用できるようなものではありません。 > > Чечен人が、帝政が倒れてから80年以上経っても、世俗化・近代化に失敗し、ワッハーブ派のムラーの指導下で、近代国家に反乱して宗教国家の建国を目指しているとするならば、それは要するに歴史的生命力を持たない民族であるということを証明しています。いかなる進歩的未来ももたない民族に独立国家を恵んであげても無意味でしょう。ロシヤの勝利による近代化・世俗化以外に希望はないと思います。MarxやEngelsであれば、そう主張したであろうことは疑いの余地がありません。 そもそもロシアの戦争目的を「近代化」と考えること自体、根本的に甘いし、それに「近代化」や「世俗化」「民主化」につながるのなら、侵略戦争を肯定するという発想はイラク戦争でのネオコンに通じるものがあります。 > > > バルト三国とウクライナでの抵抗運動とパルチザンはその後も1950年代初めまで活動していました。バルト三国で活動したのは「森の兄弟」と呼ばれるパルチザン軍です。 > > 「森の兄弟」は、ナチスに協力したファシストです。ソ連政府がこれを徹底的に掃討したのは当然です。それとも、ファシストであっても反ソなら支持すべきということでしょうか。 あなたの論理だと、東南アジアの民族独立運動家のなかに、旧日本軍に協力した経験のある人達がいるのなら、東南アジアの国々は永遠に英帝、仏帝などの植民地にとどまらなければならないということになります。 > 言うまでもなく、「ファシストに協力する憎むべき反動」にほかなりません。Roza Luxemburg (Róźa Luksemburg)が予見したように、「民族自決」という反動的空語のなかから、ドイツの銃剣が這い出してきたのです。(論創社『ロシア革命論』) そもそもナチスはポーランド人やロシア人などのスラブ民族を決して「アーリア民族の一員」とは考えず、アジア人であり、ユダヤ人につぐ劣等民族(ウンテルメンシェン)とみなしていました。ナチス・ドイツの戦争目的は、バルト海からポーランド全域などのスラブ系民族の居住地域、とりわけウクライナの穀倉地帯を奪取して、そこにゲルマン民族を入植させることにあったのです。ロシア人とウクライナ人に対しては、「抵抗運動の核になりうる知識人層」を虐殺し、残りは奴隷国民となるために、ごく初歩的な教育と農業訓練しか受けられないものとされていたのです。 つまり、ウクライナなどの民族自決など、最初からヒトラーの眼中になかったわけです。いっぽう、ナチスの軍隊が1941年6月22日に、ソヴィエト連邦に侵攻すると、自ら志願してナチスに協力するバルト三国やウクライナの住民がいたことは事実です。その原因として、ナチスへの認識不足があります。ユダヤ人ですら、多くはソ連当局の勧めにもかかわらず避難せず、自発的に残留すらしました。これは、年配の人のなかに第一次大戦当時のドイツ人の記憶が残っており、恐れを抱かなかったからです。彼らは、ドイツがどのように変貌したのかを知らなかったのです。 そして、ここで重要なことは、ウクライナ人などのなかに存在する反ユダヤ主義の感情が引き出され、ユダヤ人虐殺への加担・協力が行なわれたことです。 帝政ロシアのもとで被抑圧民族の地位にあったポーランド人やウクライナ人は、ユダヤ人に対しては抑圧民族としてのふるまいを、歴史的に行なってきました。同じように、ロシアや東欧などで被抑圧民族だったユダヤ人も、パレスチナでは抑圧民族としてふるまっていますし、アラブ人もパレスチナでは被抑圧民族ですが、クルド人やスーダン西部や南部のアフリカ系住民に対しては、抑圧民族としてふるまっています。中国人(漢民族)も、日本に対しては、歴史的に被抑圧民族だが、チベットやウィグルなどでは抑圧民族として現れています。 そして、当然のことではありますが、抑圧民族としてのふるまいは、決して被抑圧民族として受けた仕打ちを帳消しにすることにはつながりません。 |
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