| 30562 | 返信 | Re:南京戦の証言 Re:Marisさん | URL | Maris | 2004/11/03 09:43 | |
| gajiさん、おはようございます。 何人かの方々から、gajiさんへの反論が寄せられているようなので、 重複しないように、私としては、次の点についてお訊ねしようと思います。 > 先月、当時の映像史料を目にしたときに、かつて高校のときあたりから把握・認識していたようなことは史実とは異なるのではないか、と思い始めた、ということです。 以前にもおっしゃっていましたが、「南京大虐殺」を事実として認識していた gajiさんが、この「当時の映像史料」を見て以来、そのなごやかな風情に 「目からウロコ」(gajiさん)となり、これまでの認識、つまり非戦闘員や女性や 子どもも含む大量の凄惨な虐殺があったと言う認識を改め、それらは「なかったと 思う」ようになった、と言うことですね? たとえば、ナチスのアウシュビッツ収容所に楽団(オーケストラ)があったことは ご存知ですか? ユダヤ人を始めとする収容者(囚人)の中で、プロの音楽家であった人たちが 集まって編成された楽団です。この場合はむろん、彼らの自由意志によって 作成された楽団ではありません。音楽好きのナチス将校たちが一流の演奏家による 一流の音楽を楽しむために作られた楽団でした。 ナチス将校たちは、彼らの奏でる美しい演奏にたいへん満足し、ほとんど日々、 それを楽しむひとときを持ったと言います。(出典:『死の国の音楽隊』音楽の友社) もしgajiさんが、その様子を写した映像なり写真なりを見た場合、どう思うか 想像してみてください。 粒ぞろいの演奏家が奏でる音楽に、うっとりと聞き入っているナチスの将校たち。 美しい音楽への愛着と陶酔の表情。 こんなシーンがあったのならば、アウシュビッツ強制収容所の凄惨な虐殺など なかったのかもしれない。ガス室など存在しなかったのかもしれない。 いや、ひょっとしたら、ホロコーストなんて、ある特定のイデオロギーが大袈裟に 言い立てている捏造かもしれない。 ……と、そんなふうに思われますか? gajiさんが今回展開されているご意見は、上記のような思考とまったく同じです。 あのアウシュビッツ強制収容所でさえも、「ひと時」や「一場面」としての 人間的なシーンはあったのです。 だからと言って、より多くの時、より多くの場面であった凄惨な虐殺がなかった 訳ではありません。ナチス将校たちは、オーケストラの演奏を聞きながら 囚人たちを並べて大量虐殺をしたことすらあったと言います。 そして、くだんの楽団員たちも例外的な存在ではなく、死の恐怖に怯えながら 演奏していました。 なぜならば、ミスをしたり演奏技術が落ちると、楽団員を辞めさせられるから です。そうなれば、他の収容者たちと同様、いつ、どんな理由で殺されるか 分からない身となる運命でした。 写真や映像によって切り取られた一場面が平和そうに見えたからと言って、 その他の多くの場面が残虐ではなかったなどとは、まったく言えないのです。 |
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