| 30570 | 返信 | gajiさんへ 南京戦の証言 | URL | K−K | 2004/11/03 16:03 | |
| >> こんにちは、gajiさん。 >> Msg.30457は読ませて頂きましたが、まったく論点と関係ないことだけを書いているあの投稿にはどのような意味があるのでしょうか? >意味を見いだせないのでしたら、貴方にとって無意味ということかと思います。失礼致しました。 なぜ、無意味かとというと、反論にならない返信をしているからです。 それが失礼だとお思いでしたら、反論をお願いします。 ご自身でも認めているように、以下の返信は反論になっていませんね。 http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=30444&range=1 http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=30411&range=1 >> もちろん仰る通り、証言というのは信憑性が乏しいものと言えるでしょう。 >> ただし、その信憑性の乏しい証言であっても、複数の証言がある事柄に言及しているのであれば、それに限り、信憑性が高くなることも言うまでもありません。 >> 「証言だから」、「松岡環だから」、「本多勝一だから」というようなgajiさん的な思い込みで資料を評価するのは妥当性がありません。 >> 要は、gajiさん的に気に食わない資料に難癖をつけている、ということだけであり、これは否定論の論法全般と共通するものと思われます。 >「証言だから」信憑性に乏しい、ということではありませんよ。 なるほど、「聞き書きの証言集」は信憑性が乏しいということですね? もちろん、同様に、信憑性の乏しい「聞き書きの証言集」であっても、複数の証言がある事柄に言及しているのであれば、それに限り、信憑性が高くなることも言うまでもありません。 「聞き書きの証言集」ということで一括りに評価するgajiさん的な評価には、やはり妥当性がありません。 >けれど、同じ「証言」にしても、扇情的といいますかセンセーショナルなものは、「?」となってしまう、ということなのです。 >どこか不自然に思えてしまうのは私の主観が入っているせいなのかもしれませんね。 例えば、事実が「扇情的」で「センセーショナル」なものであった場合、それに関する証言もまた、「不自然に思えてしまう」のでしょうか? >> 新聞記事が事実を正確に伝えれていれば、gajiさんが引用した文章の言葉どおり「たなごころを返す」とも言えるでしょう。 >> しかし、ベーツは、当時から日本軍の行為に対して非常に批判的であり、その暴虐をティンパーリー『戦争とは何か』において告発しています。 >> ---- 引用 ---- >> <アメリカのキリスト者へのベイツの回状> 1938年11月29日 >> 南京の犯罪的な悲劇については、恐ろしい全貌を把握している人は少ないのですが、少なくとも衆知の事実になりました。ティンパレー『戦争とは何か----中国におけう日本軍の暴虐』の本は直接資料kらなっています。 >> 『南京事件資料集1』p337 >> ---- 終わり ---- >> ベイツはこの本の出版に深く関わっています。 >> このようなベイツが、本当に「秩序ある日本軍の入城で南京に平和が早くも訪れたのは何よりです」とインタビューで答えるでしょうか?多分に新聞記者の脚色があったと考えるのが妥当でしょう。 >そうですね。当時、日本に対して、米国は反日感情があったわけですし(ドイツもそうですね。蒋介石軍をフォローしてたわけですから。安全区のラーベはドイツ人ですから、日本軍に対して好感情をもてないのも分かります)。 >ご紹介の本は1938年の秋発刊です。1938年春(3月あたりから)には反日プロパガンダが盛んになってきていますので、その一環かと思うのですが。 とりあえず確認しておきますが、ベーツの日本軍に対する本来の見解は、「秩序ある日本軍の入城で南京に平和が早くも訪れたのは何よりです」というような言葉から程遠いものであった、ということでよろしいでしょうか? そこでお聞きしますが、なぜ、gajiさんは、引用した文章(これは松尾さんのHPの記述ですが)が正しいと思ったのでしょうか? また、今まで、いくつかこの松尾さんのHPに関して事実とは違うということを指摘しましたが、なぜ、それでもなお、そのHPの記述が正しいと信じれるのでしょうか? >> ここで紹介されている資料のすべてに信憑性があるとも思えませんが、この証言と、松岡氏などが収集した証言と、「証言である」という点だけで一括りに出きるはずもないでしょう。 >> 子供じみた詭弁です。 >そうですね。けれど私は《「証言である」という点だけで一括りに》しているわけではないですよ。 >「見たこと」「聞いたこと」に関する述懐があるなら、「聞いたこと」は限りなくグレーゾーンであるということです。 つまり、南京軍事法廷に提出された証言と、松岡『南京戦』の証言とを一括りにして評価することはできないということですね? ならば、gajiさんが提示した南京軍事法廷の証言に関する記述(松尾さんのHPの記述)は、松岡『南京戦』の評価として引用することは不適当だということになるでしょう。 この点はよろしいでしょうか? なお、南京軍事法廷の証言も松岡『南京戦』の証言も、ともに「見たこと」、「聞いたこと」または「体験したこと」が記述されていますが、なぜ、gajiさんは、「見たこと」・「体験したこと」の評価をせずに、「聞いたこと」だけで評価をするのでしょうか? >> 松岡氏が、紀念館と近しい関係があることと、証言の信憑性との関連性は何もありません。 >> inti-solさんも指摘しているように、gajiさんの「好み」をいくら裏付けようしても無意味です。 >> それは「好み」の問題でしかないでしょう。 >「好み」で言ってはいませんよ(w では、なぜ、「松岡氏が、紀念館と近しい関係がある」と、松岡氏らが取材・編集した証言集は「信憑性に欠ける」ことになるのでしょうか? >> ■ちなみに、以下の文章に反論しておきましょう。 >>(略) >> これも馬鹿馬鹿しいことですが、ただの記述ミスです。 >> 『南京戦』の新しい版を見れば分かりますが、鬼頭氏の生まれは、正しくは1916年です。 >けれど、こういった数字の誤植だけではなく、内容的にミスだらけ、という指摘がありますね。 gajiさんが略した部分のような「内容的」な「ミス」でしょうか?そちらを略したということは、その「内容的」な「ミス」に関しては、解決したということでよろしいですね? また、「内容的にミス」というのはどのような意味でしょうか? 例えば、証言者が証言した内容が、事実と矛盾することは十分にありえると思います。gajiさんにとって、それが「内容的」な「ミス」なのでしょうか? gajiさんが指摘するような「内容的」な「ミス」が多いと、複数の証言が示す同一の事柄に関しても「信憑性」が低下するのでしょうか? (なお、ここでいう同一の事柄とは、例えば「市民・捕虜に対する殺害命令」や、「強姦」に関する記述、「下関での虐殺の場面」、「天野中尉事件」などです) >> 一体、gajiさんは何を基準に「正しい」と思うのでしょうか? >> 結局、gajiさんの判断基準というのは、「好み」であり、「イデオロギー」なのではないでしょうかね? >それはK-Kさん御自身の自己投影ではありませんか? >私は当時の軍隊にいたわけではありませんので、何がホントなのか、正直分かりません。 再度お聞きしますが、「好み」や「イデオロギー」以外に、一体、何を基準に「正しい」と思い、根拠の引用を行っているのですか? |
||||||
![]() | ||||||